移動に魅せられ、見つけた自由

武蔵野美術大学

移動に魅せられ、見つけた自由

PEOPLEこの人に取材しました!

片山恵さん

日本語教師

北海道出身。過去には、オーストラリア、フィリピン、アメリカ、ブラジルで生活した経験をもつ。現在は国際交流基金ブダペスト日本文化センターに勤務しており、ハンガリーに在住。海外での日本語教育の他に日本語教育者育成にも携わっている。
また、海外で出会った人々との繋がりを大切にし、現地のフェスティバルや学校のイベントに参加している。訪れた様々な国での生活の仕方や大切にしていることをインタビューさせていただき、片山さんの周りで起こった、心温まる出来事を聞くことができた。

Q. 小さい頃から海外との関わりはありましたか?

東京や静岡とか、愛知とかは外国人の方がいっぱいいるイメージじゃないですか?それに比べて北海道は少ないです。
でも小さい頃、私の街(北海道・斜里町)にフィリピンパブがありました。みんなの小さい頃にはあったかわからないですけど、1990 年代にはそういうお店が結構あって。田舎ではフィリピン人、外国人がいるととても目立ちます。「綺麗な化粧をして、全然知らない言葉を喋って、私たちとは違う服を身につけて…、この人たちはなにか私とは違う人だ」と。

私の地元で外国人というと、フィリピン人とロシア人でしたね。ロシアが近いから、船がよく来て停まり、時々ロシア人を見ていました。また、斜里町はロシアの町と姉妹都市で小学校の頃はロシアの子どもたちと文通する交流がありました。 

父がレンタルビデオ屋を経営していたので、海外の新作映画をよく観ていました。今はみんなネットフリックスとかで映画を観ると思いますけど、昔はレンタルビデオで映画を観ていたんです。映画は海外のものが多かったから、小さい頃から洋画と接してきました。英語はよくわかっていなかったんですけどね。
小学校6年生の時に『デンジャラスマインド』という映画を観て、かっこいいなー、と思ったんです。その時からアメリカのブラックカルチャーに憧れていました。色々な海外の音楽、もちろんヒップホップも聴きましたし、本も沢山読みました。グラフィティ文字を書くのにもハマってました。それで、大学生の時はお金を貯めてアメリカのセントルイスというところに行きました。すごく好きなヒップホップのアーティストがいたんですけど、その人の出身地だったんですよ。その頃は、メイクや髪型なども影響を受けて真似してましたね。

Q 海外で関わった人との、印象深いエピソードなどありますか?

はい、オーストラリアに高校生の頃留学していて、その時はじめてホストファミリーを経験しました。そのホストファミリーの親戚のおじさんが近くに住んでいたんですけどゲイのカップルだったんです。よくそういう話は聞いていたけど、こんなオープンなのは見たことなかったからとても驚きました。2人ともすごくいい仕事についていて、立派なお家に住んでいて。ホストファミリーはその 2 人の関係を全員が認めていました。そのことに感銘を受けて、ここはみんなが認め合える、なんて素晴らしいところなのだろう!って思っていました。

2011年から2013年にアメリカのアイオワ州に日本語教育の仕事で行きました。その時のホストファミリーの娘がレズビアンだったんですね。アメリカって州によって法律が違うのですが、ちょうど私が行った年か、その何年か前の年から同性婚が認められました。その子はパートナーがいて、ずっと結婚したがっていて、やっと結婚できるようになったんです。それがなかったら2人とも引っ越すって言っていました。でもアイオワ州ができるようになったからこのままここに住めるね、って住んでいましたね。

ホストファミリーから離れてセクシャリティの話になるんですけど。フィリピンの高校のクラスの半分くらいの学生がゲイでした。 ゲイの人が普通にいて、なんていうんでしょう男とか女とか、そういう感じではなかったなぁと思っています。
そして、その学生たちがクラスのスター、盛り上げ役なんですよ。何でかというと、どちらもわかるから。みんなそれに対して馬鹿にしたりなんかしない、むしろとても愛されている存在でした。こういうオープンなのをすごくいいなぁって。日本も男の人でも、女の人でもそういう人はいっぱいいると思っています。だけど言いにくいっていうか、明らかにオープンな感じにしている人もいるけど、それが今でもまだまだ少数だなって思っています。私が偶然行った国外の場所はみんなオープンで、周囲がそれを認めていてなんかすごくいいなと思っていました。

Q 初めて行った国に馴染むコツはなんですか?

私は一番大事なことは捉え方ではないかなと思います。何でもおもしろいと思えると、どこでも適応できると思いますね。例えば、ブラジルとフィリピンは日本と違いすぎておもしろかったです。ブラジルだと平気で12時間は遅刻する人もいます。そう言うのがイライラしちゃったりすると本当に辛いと思います。でも、この人たちは本当におもしろいな〜と思えれば、辛くないと思います。

あと家の修理とかも「明日行くね」って言っても来ないんです。そして、電話して何で来ないのって言ったら「今日行けなくなったから来週行く」って言ってきてですね。で、その来週にも来ないんですよね、本当に!そういうのに私はイライラしなくて、おもしろいなぁと思います。日本の場合、バスとか電車とか遅れると、みんなけっこう怒るじゃないですか。それに比べ、この人たちって本当にゆっくりだな、おもしろいなぁって思います。

Q 海外の活動やイベントで楽しかったエピソードはありますか?

フィリピンに行った時に学校でいろいろなイベントがありました。2010年にトンドという地区の学校に派遣されていて、そこは昔ゴミの山があった場所で、スラム街で危険な場所。そういうところの高校に行っていたんですよ。ある大きなイベントの時に「日本語のクラスの人で何かやってください」って言われて、みんなで日本舞踊を踊りました。2週間くらい前から放課後にダンスの練習を始めました。各学年の日本語クラスの代表の学生たちに浴衣を着せて、メイクアップもして。彼らはダンスが上手ですぐ覚えるんです。本番はとても上手に踊って、初めて浴衣を着るって体験に喜んでいました。トンドは外国人が来る場所ではないしみんなも他の町、他の観光客がいるようなところはあまり行かないので、外国人とか外国のことに実際に触れるのはとても珍しいことだったので何やっても喜んでくれました。だからいつも、みんなが知らない、見たことないだろうなって思うものとか、そういうことを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思っていました。みんなで一緒にやるっていうイベントはすごい思い出がありますね。学校内のイベントなのですが、外国のもの、文化とかを体験するっていうのはないから、嬉しかったみたいで、すごい喜んでくれたっていうのが一番印象的でした。

学校のイベントで日本舞踊を踊る片山さんと学生たち

Q コロナウイルスの影響で移動が制限されていますが、人との繋がりを維持するには実際に会うことが大切だと思いますか?

すごい大事! 私はそう思ってます。もちろんオンライン上で知り合うってことも新しいやり方だしできるんですけど。学校の休み時間に話したり、授業中に隣の人と話したりとか、そういうのが大事だと思います。オンラインの画面上だと画面切られると終わるじゃないですか。でもリアルだと余白みたいな、無駄な部分が実はすごく無駄じゃないっていうか、世間話的なところとかで人が繋がれるなってとこはあります。あとは、感じるものが違うっていうか。気配を感じるか感じないかって全然違うと思います。SNSが流行ってからインフルエンサーがいろんな情報を集めて発信したりするじゃないですか。そういうものは広く浅いって感じがします。ただ情報集めて言っている人と、本当にその場所に行ってそこの人と交流して、聞いたり見たりしてきた人では全然違うと思っています。だから、人との繋がりもそうだけど、本当に実際見て、触れて、聞いて、経験するっていうのはすっごい大事なんじゃないかなぁって思います。

Q 片山さんにとっての移動について教えてください。

自分にとっては自然なこと。コロナで移動が制限されたってこともあったけど、移動ができるってすごい自由が保障されてることなのかなって思っていて。移動できなくなったら自由じゃなくなったっていう感情がとてもありました。今までは自分が移動するときにそういうことを意識したことがなかったのですが、コロナに直面し、移動制限を自ら体験してはじめて移動と自由を関連づけて考えました。私の中では永遠の問いとして自由について考えるということがあります。日本にいた時に自由に関する本の読書会みたいなのやっていました。いろいろな本を読みながら、自分はどう思うかとか自分の解釈をみんなで言い合っていくみたいなことをやってました。自由って人によって定義が違うので面白いなって思って。なんか、自分は自由ってことにすごい憧れてるっていうか、そういうことをもっと考えていきたいなって思っています。

Q 片山さんにとっての自由とはなんですか?

自分で決められることかなって思ってます。周りが決めるんじゃなくて自分が決断したことをできるのが自由かもしれない。いろんな圧力で自分で決まれないことも多いかなって思うんですけど、そういう中でも自分が納得して決断ができることかなって思いますね。

Q 今大切にしていることはなんですか?

基本的なことですが、心身ともに健やかでいることです。特に海外で暮らす時はいつも意識していま す。今はひたすら散歩することがその役割を担っています。

今住んでいるブダペストはとても綺麗な街なので、延々と散歩して、色んなものを見たり、その中で考えたりする時間が大好きになりました。12時間ずっと歩いてます。ドナウ川の近くに住んでるんですけど、ドナウ川の両端が遊歩道になってるんですよ。そこがベストオブ散歩スポットですね。毎日景色が違って、同じ道ですけど本当に違うんですよ。これは自分が歳を重ねたなって思う部分なんですけど、大学生の頃、高校の教育実習に行った時の教頭先生が「本当に毎日景色に感動してるんです」って話をよくしていました。その時は、「?」って思ってたんですけど、私も今は何を見ても感動してるんですよ。特に自然。花が咲いてたりとか、ちょっとしたことに感動しています。

Q片山さんにとって移動が感動するものなんですね。

そう!!! でも自分に余裕がない時って見えないんですよ。だから私も実はここにきて最初の3ヶ月くらいは見えないものがいっぱいあったんです。同じ道を歩いていても何ヶ月後とかに「え!?こんなところにこんな素敵な装飾品あったの!?」みたいなことに気づき始めて、どんどんいろんなものが見えるようになってくるんですよ。それってゆとりというか、そういうのが関係あると思います。同じところを通ってるのに全然そういうことに気づけないみたいな。頭の中で全然違うこと考えてるから見えないみたいな。でも今は色々なものが見えます。

ドナウ川を散歩する片山さん

(インタビュー:2022年6月)

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