自分が自分のベストフレンドであること

武蔵野美術大学

自分が自分のベストフレンドであること

PEOPLEこの人に取材しました!

髙橋 素子さん

社会起業家・講演家・エッセイスト・motomoto sri soul 代表

偶然が重なり、自分の心の赴くままにスリランカへ二週間の一人旅。その後、直感だけを信じ電撃結婚。そしてスリランカへ移住。2019年から、現地で個人旅行やアーユルヴェーダ※の手配、日本人向けのライフコンサルティング、自己肯定感をUPする子どもオンライン英語などの提供を行なっている。また、スリランカの子どもたちを救うためにチャリティ活動も行っている。スリランカでの生活や取り組みについてインタビューをさせていただいた。自分の心の声に従って行動してきた髙橋さんのこれまでと、これからを聞くことができた。
motomoto sri soulでは、モトコメソッド英語指導をはじめ、ライフコンサルティング、海外オンラインビジネス等、さまざまな事業を展開している。

※アーユルヴェーダはインドの伝統医学の分野で、スリランカでも一般的に使用されている。

心に従ってタイに

大学卒業後、3年間オーストラリアで生活し、その後アメリカ・フロリダ州のディズニーワールドで販売員としての採用が決まっていました。でも、悩んでいました。オーストラリアでの社会経験を活かしたいけれど、フロリダでの生活が本当に自分のスキルアップになるのかな?という疑問が私の心に湧き上がっていたんです。
その時期に、タイでの就職が新しい選択肢として目に入ってきました。そのとき、タイでは日本人の求人がたくさんあったんです。その中のひとつがホテルの日本人マネージャー職でした。600室規模の大型ホテルの募集を発見したとき、「こっちかもしれない、チャレンジしてみたい」という想いを強く感じたんですね。それで、フロリダの仕事の採用をお断りし、自分の心が伝えているメッセージに従ってタイに面接に出向き、翌日見事採用となりました。5つ星ホテルだったので、日常ではなかなか会うことができない様々な国の様々な立場の方々と接することが多かったです。日本の首相や大臣を対応させていただいたり、銃撃戦の中で過ごしたこともありました。海外ならではの貴重な経験をたくさんさせてもらいましたね。

タイのホテルで働いていた高橋さんとタイのスタッフ

外国人としての苦しさ

もちろん、大規模ホテルで外国人として働くことは苦しさもたくさんありました。日本で提供するようなレベルの高いサービスを、タイでも同じように提供してほしいという要望があっても、サービスを提供するのはタイのスタッフなので、お客様に満足してもらうには予想よりもずっと大変でした。日本で当たり前のことが当たり前に進まない日々。クレームを直接受けるマネージャーとして、思い通りにいかないことにとても苦しみました。そして「私はこのままだと幸せになれないかもしれない。私自身が変わらなければいけないのかもしれない。」と思うようになりました。日本が恋しくて恋しくて、最初の一年は、終業後に涙を流しながら部屋にかえるほど、毎日仕事をやめたくて仕方なかったんです。
でも、このまま仕事を辞めて帰国するってことは、逃げることと同じだと思って、一人前になるまでは仕事をやり切ろうと決心しました。タイ人の資質やタイの文化や習慣に私が合わせて仕事を進めるべきだという気づきを得るまでに結局1年かかったんです。でも、3年間、ホテルマネージャーとしてなんとかやり遂げました。毎日もがきながらも頑張り切れたことで、これからの人生においても何をやっても私は大丈夫、乗り越えられる!と自分自身に言えるようになり大きな自信になりました。

偶然が重なったスリランカとの出会い

タイから帰国して8年ほど日本の米軍基地で働いていました。米軍基地って長期休暇を結構いただけるんです。海外が好きで1年に3回くらい海外旅行へ行っていました。そして3年前の2018年、沖縄の友達に会いに行くために飛行機に乗り、次の長期休暇はどこに行こうかなぁと考えていたとき、ふと隙間から前の座席の人が広げていた旅行雑誌が目に飛び込んできました。それがスリランカの雑誌だったんです。スリランカってどこだろうとスリランカの場所すら分かりませんでした。タイで働いていた時アジア圏はほとんど行ってるのに、スリランカはなぜか一度も目に留まりませんでした。でも、スリランカに行った友達が2人いて、すごく素敵な国だよってめちゃくちゃ勧められたのを思い出したんです。
沖縄旅行から帰ってきてテレビをつけたら、ちょうどスリランカのことをやっていました。スリランカがなんでいきなり私の人生に入ってきたんだろう?と不思議に思いながら、スリランカについて調べ始めました。アーユルヴェーダって知っていますか。オイルをおでこに垂らしたりするのが有名ですが、私はエステかなんかだと思っていました。でも実は、世界三大医学のひとつと言われていて、治療であったり、体内の毒素とかを全部出してデトックスするんです。パンチャカルマっていうアーユルヴェーダのプログラムがあるんですね。10日間とか2週間とか、アーユルヴェーダのホテルにお医者さんがいて、そこに世界中から人が治療や施術のために集まってくる。女子が一人旅で世界から来ていて心身共にデトックスしたりしてるんですよ。それを知ってスリランカって面白そうだなと思いました。だから勇気を出して行ってみようかなと思って、一人でスリランカに行ったんです。

夫との出会い

スリランカって途上国でまだまだ物は少ないけれど、綺麗な海や紅茶畑が続く山々、野生動物が多く生息する国立公園もある、手つかずの大自然に囲まれている国です。人が優しく「幸せの本質」を感じられるような、温かくてピュアな笑顔が溢れる宝島のような場所なんですよ。山、海、都市それぞれにいいホテルがあって、どこに滞在するかホテル選びは悩みました。結局選んだのは、その中でも高級なビーチ沿いのアーユルヴェーダホテルでした。私は日頃から、頭ではなく自分の「心」がやりたいことを大事にしようと生きています。頭と心って違うでしょう? 就職すべきとか、何とかすべき、もう何歳だからこうすべきっていう、頭ではこうすべきっていうのがありますよね。ですが、私は日頃から心が言っている声を聞いて動いています。ホテル選びも、本当はもっと安いところに行くべきだというのが頭の中にはありました。ひとりで2週間も行くし飛行機代だけでも高いからです。頭ではそう思っているものの、心はそのビーチ沿いの高級ホテルに惹かれていました。その分のお金はお仕事を頑張れば、きっといつか返ってくるし、心に従って決断することは良いことに必ず繋がると信じていたので、心の声に従い結局そのビーチ沿いのホテルを選んだんです。
チェックインしてすぐに、ホテルの目の前の夕日が綺麗なビーチに出てのんびり波打ち際を歩いていました。そのビーチには、私のような観光客や現地の家族連れ、現地のツアーガイドさんがたくさんいたんですね。
現地のガイドさんやレストランのスタッフがハロー!って気軽に声をかけてきました。
その声をかけてくれた中のひとりと、4か月後に私は結婚することになるとは誰が想像しますか?笑
信じられないでしょう? 当時日本に彼氏がいましたし、よくあるビビビ!と恋に落ちたとかではないのですが、なぜだか偶然が積み重なってそうなったんです。今の夫との最初の出会いはそういう出会いでした。

声をかけてくれた彼とビーチを一緒に歩きながら、世間話をしている中で、「今夜ビーチ沿いのホテルで演奏するバンドのギターが足りなくて手伝いに行くから、よかったら演奏を見に来ない?」って誘われたんです。その場では決められないからって返事してとりあえずLINEを交換しました。普段、現地の人と連絡先を交換することって私はないのですが、その時はなぜか交換をして。話していて居心地が良かったんでしょうね。
でも、演奏を見に行くつもりは全然なかったんです。ホテルに戻り夜ご飯を食べて部屋に戻ったらまだ19時。何にもすることがない。アーユルヴェーダって自分と向き合う時間だから部屋にテレビもありません。ちょっと出かけたい気分だなーって思って、そう言えばあの人、近くのホテルでバンドやってるって言ってたから1時間くらい見に行ってもいいかなぁと思ったんです。もしつまらなかったら一人で帰ってくればいいし。と思って行ったんです。そうしたら、バンドの人たちは人数揃っちゃって、彼はギターを弾く必要がなくなってしまって、結局2人でそのバンドを聴きながらスリランカのことやお互いの事を話していました。そして彼はツアーガイドさんだから、次の日からスリランカを案内してもらうことになったんです。
スリランカの人ってすごくオープンだから、彼のお父さんのお店や、実家にも連れていってくれたんです。出会って2日目とか3日目くらいには、彼の実家でチキンカレーをあぐらをかいて食べていました。ママもサッパリしていて優しくて、なんて心地の良い家なんだろうと感じたことが印象的でした。お腹もいっぱいになってガーデンに座ってボケーっとしながら、目の前のヤシの木がサア~って風に揺れているのをただただ味わっていました。そよ風がすごく気持ち良くって。真っ青な空と鮮やかな緑と鳥のさえずりが最高で。その時、目の前のヤシの木に突然、ここに来たほうがいって言われている気がしました。スリランカのこの場所に呼ばれている気がして。なぜか分からないけれど直感的に次に来るのはここかもって思ったんです。
何で私そんなこと思うんだろう?と不思議でした。だって、呼ばれているとかよく分からないし、この人のことよく知らないし。でも、色々話してみると彼と私の夢が一緒だったんです。こんな風に家庭を持ちたいとか、ヴィラを建てて観光客が宿泊できる場所を作りたいとか、海外にいっぱい行きたいとか、彼の夢を聞いていたら、楽しそう!私も一緒にやりたい!って言い出していました。そして、「私がここに来たら私たちはどこに住むの?」とか具体的に聞いている自分がいて……。私、この人に恋しているわけでもないのに何を言ってんだろうって内心で疑問に思っていたんですけどね。

10日間のアーユルヴェーダホテルでの滞在が終わり全身が整った直後に、なぜか突然、持病の椎間板ヘルニアで腰を痛めてしまい日本へ帰る3日前に歩けなくなってしまいました。
これは大変だ、とそのとき彼が私以上に心配してくれて、彼の信頼のおけるアーユルヴェーダのドクターのところに連れて行ってくれました。あと2日で彼女の腰をなんとか治してくれって、土下座するんじゃないかというくらい、私のために真剣にドクターに頼んでくれました。ドクターの熱心な治療のおかげで、奇跡的にどうにか歩けるようにまでなったんです。だけど座ったり重いスーツケースはまだ持てませんでした。すると彼が部屋に来て、私が横になっている間に、私の荷物を綺麗にパッキングしてくれました。ドクターに真剣にお願いする姿や、ササっと私のスーツケースを整えてくれている姿を見て、こういう人と一緒にいたら幸せになるんじゃないかなと思ったんです。彼のサポート無しでは、絶対に帰国できなかったので本当に感謝の気持ちでいっぱいで空港で涙が出てきたことを覚えています。

そしてその3ヵ月後に、彼を日本へ招待することにしました。日本で数週間一緒に過ごしてみようと思ったんです。スリランカ人が日本の観光ビザを取るのはとても難しいと言われている中、日本へ来れたことは本当に奇跡でした。スリランカを出発する前日にやっと観光ビザがとれパスポートを返されたほど、時間も労力もかかりました。日本では私の母や友人にも会ってもらって、3週間一緒に過ごしました。やっぱりすごく良い人だな。この人なら大丈夫かも!と思い、ヤシの木に呼ばれたことを信じ、勇気を振り絞ってスリランカへの移住・彼との結婚を決意しました。出逢って4ヵ月。人生最大の決断をしたと思います。
だけど、これも頭の中で、日本で安定して好きな仕事もあるんだし、このまま安心安定の暮らしを選ぶべきなんじゃないのかなと考えている自分もいました。でも、心では冒険したいというか、新しい世界、未知な世界をもっと見て色んなことを経験してみたいっていう思いがすごくありました。「人生一回しかないよ。安定と冒険どっちにする?」って、4ヵ月間、ずっと自分に問いかけていました。それでやっぱり、ワクワクを取ろう!って決めたんです。だってスリランカのあのお庭にいた時、私はここに来たほうがいい気がする!って直感的に思ったからあの自分の感覚を信じてあげようって。うまくいかなかったら日本に帰ってきてやり直せばいいけど、スリランカへ行かないで、あの時行ってたらどうだったんだろう?って後悔するのだけは絶対に嫌だったから。私は日本人として生まれて、どんな国よりも恵まれているんだから、やりたいことはやってみないとなって。

スリランカ、その暮らし

スリランカは、真っ青な海と真緑な木々に囲まれている大自然の国です。なんかね、日本の60年前くらいの雰囲気が残っているんじゃないかっていう国なんです。都会を少し離れると、家にインターホンとかないんですよ。みんなオープンで助け合っているって感じがします。みんなで分け合って、助け合って、人生を分かち合っているって感じがします。
だからひとりぼっちになっちゃうとか絶対にないです。まだまだ発展途上の国だから、経済も豊かじゃないのだけれど、シンプルにすごく幸せそうなんですよね、見ていると。仏教の国でとても信仰心が厚いから、徳を積むっていうのかな、寄付をするということも当たり前なんです。寄付をして、必要な人の所にお金や食料を届けるっていうことが。
こっちでは小さい子でもお菓子を貰ったら、まず人数分にお菓子を割って周りにいる人たちにあげるんです。自分の分がどんなに小さくなっちゃっても。私は寄付を当たり前にする国で育ってないので、スリランカ人が「分け合う」姿を見て素晴らしいなぁって思いました。私は、まず自分!って思ってしまうから、「分け合う」ということが最初の一年位はピンと来なかったんです。でも、コロナ渦で収入が途絶えても、自分のできる範囲で当たり前のようにお金や食料を分けあう夫の姿を日々見ていると、それが私にとってもだんだん当たり前になってくるんですね。助け合い、分けあうことって真の豊かさだなって感じるようになりました。スリランカはそんな国なんですよ。日常に愛が溢れているので寂しいと思ったことはないですね。

運命の夫と二人で。

クサル君との出会い

コロナ禍になって半年、私の住む村では、観光業で生計を立てている家庭がほとんどなのですが、コロナの影響で観光が完全にストップしまい段々と生活ができなくなっている家庭が多いことを知らされました。お隣の子供達が庭の木の実を食べて暮らしていると・・・
そこで日本の友人たちの力を借り、様々なチャリティー企画を開催しました。多くの仲間が協力してくれて、村の約80軒の家庭へ1週間分の食料を配布することができたんです。
その活動の話は現地でも一気に広まりました。
そんな時、新たなチャリティーに協力してくれないかという話が来たんです。それが重病のクサル君です。
クサル君の家庭はすごく大変だったんですよ。お父さんが働いたお金もクサル君の治療費で全部消えてしまって生活ができず寄付に頼っていました。今にも崩れそうな家に住んでいたから、知り合いのスリランカ人たちでお金を出し合って度々家を修理しながら、なんとか生活していたんです。それでもなお、家は倒壊する危険のある状況でした。
そこで、クサル君の家を新しく建て直したいから、どうか力を貸して欲しいとのことでした。実際にクサル君の家を見に行ってみたんですが、あぁ、これは本当に危ないなあと思いました。でも、寄付を集めて家の建設をするというのは、労力も時間もかかるし想像以上に大変だよなぁ~とも正直思い躊躇している自分もいました。
そしていつも通り自分自身の「心」に聞いてみたんです。「どうしたい?」って。そうしたら、「もし今、私が動かなくて数か月後クサル君の家が倒壊して家族5人全員が亡くなってしまったら、自分が行動しなかったことを一生後悔するんじゃない?やれるだけやってみたら?」という答えが心から返ってきました。
そして、今回は自分だけではできない大きなプロジェクトだから、他人の力を借りる勇気を出そうって決心しました。まずは日本にいるチャリティーに詳しい方に相談をしました。そうしたら、その方が色々とチャリティーのノウハウを教えてくれて、じゃあ、早速やってみよう!ってなったわけです。実行に移してみるとありがたいことに日本から100万円程すぐに集まったんです。色々大変なこともありながらもその寄付金で無事に新しい安全な家を一軒建てることができました。

スリランカの元旦に伝統のサリーを巻いて。
クサル君(中央)、高橋さん(左)、夫(右)とチャリティーで建設した家。

子どもの夢が平等に叶えられる世界へ

私の願望。それは世界中の親の居ない子どもたちをサポートすることです。貧しい子どもだけに限らず、世界中のどんな子どもも平等に夢を叶えられるチャンスがあるような世界にしたいと私は思っています。
そのためにはやはりお金が必要です。例えば、あるところでこんなサポートが必要だということがあったとします。そうしたら、そのサポートに必要なお金を集めるために、私が仲間たちに声をかけます。200万円必要だったら、みんなでちょっとずつ出し合って200万円を集めます。それぞれが自分のできる範囲で気持ちよくお金を出し合い、私が仲介役となり必要なところにそのお金を回す。寄付した人もされた人もみんなでハッピーになれる世界を作る。そんな循環を作りたいんです。
そのために、私は社会活動家として共感してくれる仲間を増やし、輪を広げていけたらいいなって思っています。
まずは、何よりも私の周りにいてくれる仲間たちを大切にする。そして新しい出会いに繋がる行動も積極的にしていく。その繰り返しできっと愛にあふれた素敵な輪が少しずつ大きくなっていくと信じています。今はZOOMなどを使って世界のどこにいても繋がれる時代。コロナ禍の状況で、今あるご縁を大事にしながらも新しい出会いを加速させるのにはもってこいじゃないですか。
それと、もうひとつ大切なこと。勉強をし続けることです。いくつになっても新しいことを学び続け、成長しようとしている人ってキラキラ輝いていると思うんです。だから、自分自身が成長し続けることも大切にしています。そういう人にはやっぱり人が集まってくるし、とても魅力的です。日本の子どもたちにも、自分のやりたいことをやりながら勉強し続け、日々楽しんで生きている大人の姿を見て育って欲しいと願っています。
そのためにはまず、私達大人の心が満たされてないといけません。意識的にゆっくり自分の心と向き合える時間をとっていく。そして心の声に従って、日々ほんの小さなことから丁寧に自分自身の欲求を満たし、望みを叶えていってあげる。「~すべき」という頭の声じゃなくてね。そしてどんなにダメな自分にも、ダメ出しをせず受け入れてあげること。自分の感じていることに、「そう感じているんだね」ってただただ共感し抱きしめてあげること。自分自身が芯から満たされて初めて、心から他人へ愛を分け与えられると私は思うからです。私は、自分が自分のベストフレンドでいることを何よりも大事にしています。

日本からの寄付金で準備した村人80家庭への食料の配布の様子。夫と姪たちと。

(インタビュー:2021年6月)

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