武蔵野美術大学の記事一覧

仕事は人と人のつながり〜中国で電子辞書を売ったプロフェッショナル

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仕事は人と人のつながり〜中国で電子辞書を売ったプロフェッショナル

行政書士吉田国際法務事務所、元カシオ中国支社社長
吉田修作さん

学生時代のアメリカ研修ツアーをきっかけに、国際的な仕事に興味を持った吉田修作さん。そして、大手電子製品会社カシオに就職。その後努力が功を成し、カシオの中国支社社長にまで就任。そしてカシオ製品で有名な電子辞書の企画・販売に携わるなど優れた功績…(続きを見る)

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幸せの循環を支えるために

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幸せの循環を支えるために

文化庁国語課 日本語教育調査官
松井孝浩さん

地域の日本語教室でのボランティア経験をきっかけに日本語教師としてタイやフィリピンに赴任。横浜市の多文化共生に関する施設での勤務を経て、現在は、文化庁国語課に勤務。海外を訪れて感じた「言語」という壁に対して、松井さんが行った活動やその活動のお…(続きを見る)

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自分が自分のベストフレンドであること

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自分が自分のベストフレンドであること

社会起業家・講演家・エッセイスト・motomoto sri soul 代表
髙橋 素子さん

偶然が重なり、自分の心の赴くままにスリランカへ二週間の一人旅。その後、直感だけを信じ電撃結婚。そしてスリランカへ移住。2019年から、現地で個人旅行やアーユルヴェーダ※の手配、日本人向けのライフコンサルティング、自己肯定感をUPする子どもオ…(続きを見る)

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Be Myself―日本語教師からカフェバリスタへ!

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Be Myself―日本語教師からカフェバリスタへ!

Japan Australia Life Company最高経営責任者/ ZeeCaf. Nosh Co.オーナーバリスタ/日本語教師/トラウマヒーラー
尾島ヴァンダメイ幸香さん

オーストラリアへ渡りJapan Australia Life Company(JALC)の主任として日本語講座、日本語教師養成講座を開講。多くの生徒との関わりの中で、トラウマヒーラーとしても活躍する。そして2017年、シェフである夫リックさ…(続きを見る)

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成長して自由になる

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成長して自由になる

異文化ナビゲーター
玉利ドーラさん

玉利ドーラさんは、クロアチア人の父と日本人の母をもつ。クロアチアで生まれ、その後、難民としてドイツと日本へ移住、その後、日本を始め、8カ国での生活経験を持ち、現在は、フリーランスで、異文化ナビゲーターとして活動中。私たちは、そんな玉利さんの…(続きを見る)

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口で筆を掴む 

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口で筆を掴む 

画家
古小路浩典さん

中学3年生のとき体操クラブ活動中の事故で頸椎を損傷し、手術·リハビリ後も手足の機能は回復しませんでした。入院期間中に『口と足で描く芸術家協会』(注)を知ってから、自分も口に筆を咥えて絵を描き、個展を開催するようになりました。そこで、古小路さ…(続きを見る)

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価値観の共有への第一歩はお互いを知ること

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価値観の共有への第一歩はお互いを知ること

日本通訳翻訳センター 代表取締役
綱島延明さん

綱島さんは「中国残留婦人」*3世だ。1990年に父母と共に祖母の郷里、長野県穂高町に移住した。多感な学生時代を経験し、2010年に日本通訳翻訳センターを立ち上げた。「中国残留孤児」支援活動などに参加し日中間のトラブルを身近に感じてきた綱島さ…(続きを見る)

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時間をデザインする教育者

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時間をデザインする教育者

小鹿野町地域おこし協力隊
宇佐川拓郎さん

「遊びを考え、巻き込むことが大好き」。北海道生まれ。東京の大学を目指して上京。小学校と特別支援学校で5年ほど教員をしたとき、学校教育の理想と現実のギャップを目の当たりにする。一度、自分のいる教育環境を離れて見ると共に、自分なりの教育へのアプ…(続きを見る)

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日本からブラジルへ~「運がいい」の連続!

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日本からブラジルへ~「運がいい」の連続!

横溝みえさん

ブラジルのサンパウロ州の隣にあるマイリポラン市に滞在しています。2005年に初めてボランティアで JICA日系社会青年ボランティアの日本語教師としてブラジルに移動し、2年間活動しました。その後、2007年に日本に帰り、また2008年、ブラジ…(続きを見る)

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多様性で撮る、多様性を撮る

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多様性で撮る、多様性を撮る

映画監督、映像ディレクター
小川 和也さん

東京ビジュアルアーツ映画学科卒業後、アメリカのSchool of Visual Artsの監督コースに編入。5年間をアメリカで過ごした後、イタリア・トスカーナ地方のスベレートに移住。日本とイタリアがプロダクション、撮影地はパレスチナとイスラ…(続きを見る)

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