マガジンをつくるということは、まだ見たい世界があるということ

武蔵野美術大学

マガジンをつくるということは、まだ見たい世界があるということ

PEOPLEこの人に取材しました!

haru.さん

クリエイティブディレクター

私たちは人生の節目や仕事での人間関係、他者との対話など日常のなかにさまざまな境界を見出しました。その境界を飛び越え自分らしさを体現しつつ、それらを受け取る私たちが昨日よりも自分らしく生きて行けるようなエッセンスを与えてくださるharu.さんに、お仕事で大切にしていることや、これまでとこれからについてのお話を聞きました。

 

〈プロフィール〉

1995年生まれ。東京藝術大学在学中に、同世代のクリエイター達とインディペンデントマガジン「HIGH(er)magazine」を編集長として創刊。卒業後株式会社HUGを設立し、代表取締役としてコンテンツプロデュースや、アーティストのマネジメント、様々な企業とのタイアップコンテンツの制作を展開している。活動を通して、社会でこうあるべきとされているところから視点をずらし、既存の固定概念を少しずつ広げていくことを目指す。

ニュートラルな自分だから、相手と社会の仲介者になれる

Q:マガジンの出版やアーティストのマネジメント、モデル等、様々なお仕事をされているharu.さんですが、haru.さんは自身のお仕事の肩書きをどう捉えていますか?

クリエイティブディレクターという考え方でいいのかな。編集者とも名乗っています。基本的には、クライアントワークをメインにやっていて、伝えたいメッセージやビジョンを持った方たちが声をかけてくれることが多いです。そういった声を聞いて、どうやったらその思いを実現できるか相手と相談した上で道筋を立てていきます。それがイベントなのか冊子なのか映像なのか、具体的な表現方法を話し合いながら形にしています。

Q:haru.さんは、お仕事の相手と社会とを繋ぐような役割をされているように感じたのですが……

仲介者っぽい立ち回りだなとはよく思います。だから私自身が何か強いメッセージを発信することってあんまりないんですよね。いろんな人を繋いでいくためには、どこかとてもニュートラルでいる必要もあるんです。私は自分が大事にしていることを外に発信するバランスは意識しているかもしれないです。私たちのやっていることって信頼してもらうことがすごく大事だから。でも自分の自我を出しすぎないというか、自分がキャラクターになりすぎないことは気にしてるかな。私がなろうとしてもなれないんですけどね、そんなにキャラ濃くないから(笑)。

相手の考えを直接聞いて、こちらの思いも伝える

Q:人を集めて haru.さんを介して色々な制作物をつくっていくなかで、特に意識していることはありますか?

なんだろう。けっこう強引な部分もあると思うんですよ、わたし。これがいい!って思ったら、これが絶対いいと思うよって言うし。でもそう思った理由をしっかり相手に伝えることは大切かなと思います。遠慮はしないかもしれない。これは誰かとものづくりをするうえで意識している大事な部分で、やっぱりクリエイティブに責任を持たなきゃいけないってなったときに、遠慮しすぎていると結局良いものにはならないと思っていて。

私たちが手がけた羊文学の「our hope」 のアルバムのジャケットは、メンバーと話し合う中で、当初は車っていうモチーフがちょっと嫌かもしれないと言われていて。でも、この写真の構想のはじまりは、羊文学のメンバーたちがコロナ禍、車で全国ツアーをまわっていたときの話をモエカ(羊文学のギター&ボーカル、塩塚モエカ)から聞いたところにあって。何か移動しているっていうことが前提で欲しかったんですよ。でもそれが、コロナ禍でみんなが自由に行き交うことができる時期ではなかったから、車という小さな部屋が移動しているっていうイメージは大切にしたかったんです。この写真は横で車を並走させながら撮っていて。曲を聞いていると隣で優しく話しかけてもらっているみたいというか、ふと窓の外を見た時に目があって何か訴えかけられているみたいな、そういう印象をこのアルバムに感じて。だから車である必要がありますっていう話をした。自転車は?っていう案も出てたけど、自転車ではないと思う。とか、そういう話し合いをたくさんして、結局じゃあ車でいいねってところに落ち着いた。

羊文学「our hope」 のアルバムのジャケット

Q:ひとつひとつの選択を対話することで確認していくという感じですか?

それはすごく大事かもしれない。誰かが違和感のある状態で物事が進んでいくと、結構気持ち悪いことになっちゃうから。もちろん、全員がすべてに納得している状態もチームの人数が増えれば増えるほど難しいことなんだけど、でもやっぱり説明してわかってもらえるところはとことん説明するということは大事かなと思います。相手の考えを直接聞いて、こちらの思いも伝える。お互いを尊重しながら話し合える空気をつくることは意識しています。

ふと、マインドが変わった日

Q:haru.さんにとって、今までの人生の中での転機やターニングポイントはいつですか?

子ども時代にドイツと日本を行ったり来たりしていたんですけど、それは確実に毎回ターニングポイントでした。まったく言語も考え方も違う国に来てまた再スタートする感じだったので、毎度毎度振り出しに戻る感覚があった。

そんな中、ある日ふと思ったんです。ドイツで高校生活を送っていた時のことなんですけど、その日もすごく落ち込んでいて学校も休んでいて、ベッドで縮こまって寝ていたんです。その時はご飯も食べられなくて、体重も落ちていて生理も止まってて、なんなんだろうこれって。その時に、こんなに頑張っているのにこんなに落ち込んでいる意味がわからない、割にあってないって、だんだん腹が立ってきて。

でも、一年前は何もできなかったのに今はもうドイツ語でテストとか受けてるじゃん。そう考えてみたら多分自分はすごく成長しているんじゃないかなって、そんなふうに思えた日がありました。その日から周りと比較することは意味がないって心から思って、マインドがスッと変わりました。「だって私外国人なんですけど」って思って、ハッとして。それからはもう大丈夫になった。それまでは誰に何を言われても見た目にも言語にも全部に自信がなくて、自分って何なんだろうって落ち込んでいました。周りに追いつこうと思っても追いつけないけど、自分軸で考えたら大きく成長しているという気付き。それはめちゃくちゃ大事だなと思います。

HIGH(er)magazineをつくるということは、まだ見たい世界があるということ

『HIGH(er)magazine』

Q:『HIGH(er)magazine』は同世代のクリエイター仲間の方達と学生の頃から制作していると伺ったのですが、どんなきっかけでつくり始めたのですか?

始まりは、ドイツで高校卒業間際にZINE*をつくっていて、それが初めて人と関係を持てたって思えた媒体だったことです。それまで人との関わり方でしっくりきてなかったというか、自信がなかったんです。ドイツにいた10代の時に周りのみんなは恋愛とかしてて、でも私は恋愛じゃなくて何か他の方法ってないのかなってすごく思っていて。表層的な関わりじゃなくてちゃんとお互いに大事なものをシェアするような関わりを人としたいって思った時に、相手にタッチして直接触れる以外の方法が何か欲しかった。それもあって、ZINEをつくるという関わりは自分の中で大事なことに思えた。

日本に帰ってもこれを続けていきたいなと思って。そこから仲間を集めてつくったのがHIGH(er)magazineだったんですよ。当時はメンバー全員大学生だったし、こういうこともよく考えずにやってたけど、今振り返ったら自分たちの大事なものを共有しながら、時間も労力も、いろんなものをかけて作ったなっていう気はしますね。メンバーのみんなは今はそれぞれ違う道に進んでいて、それでも時々会って話していると親族みたいな関係性だなって。血は繋がってないけれど、これからも離れていてもお互いそれぞれが常に気にしあっている存在であり続けるのかなと思っています。そういう関係はきっとなかなか生まれないものなんだろうなっていう感覚はあります。

*個人や集団が自発的に発行する出版物のこと。自由な手法で制作できるため、作者の趣味や好きなもの、個人的な思いなどが強く反映されることが多い。

Q:『HIGH(er)magazine』の名前の由来はなんですか?

ちゃんと覚えているわけじゃないんですけど、「上へ上へ」という気持ちがずっとあって。それは周りと比較してどうとかではなくて、自分の中で昨日よりもちょっと良いとか、一年前の自分よりも今こんなことができるとか、私はそんなふうに自分を鼓舞して生きてきたから。周りと比べたら落ち込むことしかないです。私はいつもビリから始めていたから、そういった意味で周りを見ずに上を見ているみたいなイメージがあって、『HIGH(er)magazine』と名付けました。

Q:『HIGH(er)magazine』を最初につくった時から今に至るまでに、haru.さん自身に変化はありましたか?

自分たちの見たいものを自分たちの手でつくることがコンセプトだったので、それをやることができるんだっていう実感。自分に意思があれば、形にできる。誰にもそこは止められないっていうことを自分のマガジンに教えてもらった感覚はすごくあります。

仕事って誰かのためにやっていることだから、いくらやっても私が作りたいという気持ちを置き換えられるものではなくて。その時は全力なんですけどね。マガジン制作の最初の頃は今ではあり得ないようなレイアウトとかしていて幼さも感じるけど、そこから感じる当時の自分の意思に、今の自分が動かされることもあるから。今また最新号を準備しようとしていて、過去にこのマガジンを出してきた事実が自分を応援してるっていうのはあるかもしれないですね。

つくったという事実から、きっとできるみたいな。今までつくってきたことで、「自分が見たい世界がきっとまだあるはず」と思える。マガジンをつくるということは、まだ見たい世界があるということだから、やっていけそうな気がする。そういう意味でつくり続けることが自分のためにもなるのかなと思います。

主軸の声を自分たちに戻していきたい

Q:これからの活動に向けての思いや、目指しているゴールはありますか?

今はクライアントワークがメインで、その間に頑張って『HIGH(er)magazine』を制作している状況なんですけど、そろそろ次のステップに変えていく必要があるなと感じています。私たちが一貫して目指していることは、社会でこうあるべきとされているところから少し視点をずらして、既存の固定概念を少しずつ広げていくっていうことです。お仕事のパートナーさんもそういった思いで活動している方が多いから、一つ一つのクライアントワークを達成すると自分たちの目指していることも少し達成されるような気持ちもある。でもこれからは、自分たちの活動に対してクライアントワークの比重は減らしつつ、『HIGH(er)magazine』をつくる時間とかをちゃんと確保できるように、私たちの活動を主軸にシフトチェンジをしていきたいなって思います。

同じ会社でも、担うプロジェクトが違うスタッフだと境界を感じるんですよ。何か具体的な目標を自分たちで掲げることで、境界があったとしてもお互いを尊重しながら一つの目標に向かっていくことを目指したい。今がちょうどその節目だなと感じています。主軸の声を自分たちに戻していくみたいな。そういうふうにしたいですね。

Q:これからの活動について、主軸を自分に戻していきたいという話が、先程伺ったharu.さんのこれまでの人生の動きみたいだなと思って、感動しました。

確かに、本当にそうかもしれない。やっぱり人生かけられることってなかなかないというか。でも、やるなら人生かけてやりたいっていう気持ちはすごくあって、だったらその軸みたいなものを1人じゃなくて仲間とつくりたいって思いがあります。まさに、人生ですね。

(インタビュー:2023年6月)

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