神道~古今東西の融合と未来~

京都教育大学

神道~古今東西の融合と未来~

PEOPLEこの人に取材しました!

ウィルチコ・フローリアンさん

神主

来日して日本の伝統文化に魅せられ、外国人として初の神主になられたウィルチコ・フローリアンさんに、国や文化の「境界」を越えてお仕事をされる中、そこからどんな世界が見えるのか、また日本と神道の未来について、どのような思いを持たれているのかについて、お話を伺いました。
プロフィール
1987年オーストリア生まれ。幼い頃から日本に興味を持ち、日本文化を学ぶ中で、ますます興味を深める。2007年名古屋市の上野天満宮に入り、住み込みで神道を学ぶ。その後、ウィーン大学で日本学を専攻し、卒業後に再び来日して國學院大學神道学専攻科に入学。2012年渋谷区の金王八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)に任命される。2016年5月からは、結婚にともなって三重県津市の久居八幡宮に移り、現在禰宜(ねぎ)を務めている。

神道へのお導き

神職の道を選んだきっかけ

最初から神主として神社で仕事をしたいという希望があったわけではないです。もともとは日本の伝統文化に興味がありました。日本の伝統建築、及び着物、装束の形など、とても珍しい感じがしました。そして、調べていく中で、その歴史の長さや奥の深さにもっと興味が湧いてきました。日本には仏教などのように外から来た信仰と、もともとあった信仰がありますが、その中で元々日本にあった神道という信仰に大変興味を深めていったのです。最初は日本の伝統的な文化の見た目が気になって、一回勉強し始めると、その歴史の長さと奥の深さから、どんどん色んなものが見えてきて、そこから、興味も趣味に代わって、どんどん広がっていったのです。

最初見た目にひかれ、伝統文化を深く学びたくなった

神道の勉強だけではなく、色々な日本の伝統文化についても学びました。気になることが多かったからです。「なんでこういう形なのか」とか、「どういう意味があるのか」とか、単にきれいだから興味がわいたのではなく、何かの由緒があるということが気になったのです。例えば、神社に「狛犬」があるでしょう。それは昔、「高麗(こま)」(現朝鮮半島)から来た歴史を含むものです。それが最初は御所の魔除けとしておかれて、後々神社にも普及してきました。長い歴史を遡りながら、由緒をどんどん発見するという過程は私自身、面白いと思っています。日本は昔、韓国や中国から伝来した様々な文化を受け入れてきました。それは、ただ単にコピーしたというものではなく、自分たちの役に立つように、文化の花がきれいに咲くようにアレンジされたと思います。

日本は島国なので、島の上で生まれた文化がもちろんありますが、海の向こうから入ってきた新しいものに憧れを持っています。だから島国の日本の人々は昔から新しいものが大好きです。今も何か新しいお店があると、すぐに行列をつくって、何時間待つことも常にあるのは、そういうところから来ているのでしょう。

神社の魅力はもう一つあると思います。それは、何百年何千年も前に生きていた人と直接会うことはできませんが、色々調べたり、昔の人と同じことをしたりすることによって、その人たちの心とつながることができるところです伝統文化の産物を見ながら、「昔の人はこういうことをお考えになって、だからこういう形になる」という考えを生み出すようになりました。そんなタイムスリップ のようなことができるということは非常に貴重だと思います。日本はもちろん変化している国ですが、一つの国がずっと長く続いているので、そういうタイムスリップがしやすいかもしれませんね。

神道の信仰と「宗教」との違い

神道は他の宗教と比べて、厳しい教えが特にないです。信仰という言葉と宗教という言葉は割と近く感じられるかもしれませんが、日本の場合は特に別々に考えた方が理解しやすいと思います。宗教というのは、Religionだと考えた方がいいと思います。神道への信仰の場合はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のように教義が書いてあるグループの「パスポート」を持ってなければ入れない宗教と違って、たくさんいる神様の中で、信仰者自身がどの神様を頼りにして、結びついて行くかどうかが完全に自由です。この久居という町には八幡様という神様がお祀りしてあって、これはこの町や土地の守り神様になるのですが、場所が変われば、神様の名前も歴史もまた変わります。でも、そのときに信仰者はその土地のグループに所属しないから入れないということは全くないのです。

神社の鳥居という入口は誰に対してもオープンです。 ただここからは神様のテリトリーとして、鎮まっていただきたい場所ということを示すためにはその入り口があるわけです。それは教会のように閉じられる扉があるのとは考え方も、全然違うわけですね。日本の場合は、もともと神様の信仰が古代からもあって、でも途中でインドから、朝鮮半島経由で日本に入ってきた仏教も受け入れていますが、宗教の戦争はしなかったです。どちらを選ぶのか、どちらをなくすのかという考え方がなかったようです。新しい宗教が入ってきても、お互いにいいように、受け入れたわけです。受け入れても、神様というのはもともと日本という国にいるので、そのもともとの神様、つまり神道の神様は現地の一番力持ちの強い守り神様なのだというようなイメージです。

明治時代まで続いた神仏混合という考え方があって、お釈迦様と神様がお互い助け合って高めていくわけですね。宗教戦争をやっている世界から見たら、非常に珍しい例であって、でも神仏混合はすごく複雑ではあるけれども、教えとしてはすごくいいです。日本の場合はその平和な世の中が長く続いていたので、その信仰による「あなたは違う神様を信じているから受け入れられない」という争いはあまりなかったですね。戦国時代のように戦争が長く続いていた時期もあったけれども、信仰で争ったわけではないです。逆に言ったら、その神仏混合(神様と仏様を同時に大切にするという考え方)がものすごく平和をもたらすような、もっと広い意味で言ったら、世界平和につながるような考え方でもあるのではないかと思いますね。

補足すると、宗教のグループという認識は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などのような砂漠の文化圏で生まれた信仰とは違うのです。日本とは生活環境が全く違うわけですから。日本の場合はいろんな自然災害があり、怖い面もあるのですが、四季折々に変化する豊かな自然の美しい面もあります。それをおそらく一つの神様に絞ることはできないのです。砂漠では、食べ物もなかなかなく、畑も作れず、ものすごく厳しい環境です。そうした厳しい環境で生きるには、それなりに厳しいルールが必要なわけです。ルールは一つで、それを守らなければいけない、神様に選ばれた人しか生きられないという考え方が自然になっていくと思うのですね。

このように、それぞれの土地にそれぞれに合った信仰があるというのは自然な形だと思います。日本の場合はそれが割と分かりやすい形で残っており、珍しいかもしれません。私はそれを見ることによって、いろいろなことが学べるのではないかなと思います。

久居八幡宮の参集殿にて

日本文化を深く理解するためには、実際にやってみること

私が日本文化、そして神道を学んでいく中で思ったのは、日本の文化に興味のある人は結構多いけれども、深く理解する為には、結局自分がやらないとわからないということです。例えば今から20年ぐらい前に神道を学び始めた頃は、神道とは何かについて書かれた本はあまりありませんでした。その当時は、神道についての本は英語では二、三冊ぐらい、ドイツ語ではまだ一冊できたばかりだったかと思います。そして、私の場合は、ある書物を英語とかドイツ語の本で読んだとき、「元はどうなのか」とよく思いました。例えば、『古事記』を読んだとき、この元は、元の言葉でどういうふうに書いてあるのかが気になって仕方ないです。日本に興味を持ち始めたころ、日本語の本はまだ読めないけれども、日本語の本をいっぱい買って読んでみて「なるほど、ここにこの漢字が書いてある!これはドイツ語でこのように書いてあったところだ」っていう発見ができ、それが結構好きでした。学べば学ぶほどいろいろ繋がっていきます。日本でどういう作法で神様を拝んでいるのか、どんな気持ちで神様を大事にしているのか、全部に何か理由があるわけです。それも気になって、調べていったのですね。そういう学び方でないと、神様の道はなかなか理解できなかったと思います。

神道の背景知識は必要だけれども、やってみないと分からない、本を読むだけでは深い理解もできないこともたくさんあります。実際に体を使って、実際に神社へ足を運んでお参りして神様にご挨拶して、それで初めて何かを感じ取ることができます。「実践する」ことに「道」という漢字がついていることの意味だと思います。茶道にしても武道にしても、全部実践を目的にしているのですね。「道(どう)」と言ったら「道(みち)」ということですが、どこかにゴールがあるかというと、それは重要というわけではないのです。例えば、弓道のゴールというと、上のほうの段や級などを取ることと思われますけど、でもそれだけじゃないです。その道を歩くことが目的だと私は思います。続けること、進むことで、また次の人にそれを教えることがその「道」というものの意味だと思いますね。

外国人として神職に就くこと

周りからの反応ー外国人扱いや差別の経験

日本全国でこの仕事をしている外国人は私だけだと聞いていますので、きっと珍しいとは思われているでしょう。一人しかいないのに、びっくりしないのもおかしいですよね。だから、「外国人さんですか」と言われることはありますが、そう言われても、相手の気持ちは別に差別からくるものではなく、純粋に驚いた気持ちだと思っています。

懐かしい故郷のオーストリア――ホームシックの乗り越え方

最後に行ったのは、5年前です。息子が一歳の時に一度連れて行って、それからコロナウイルスの影響で全然帰れませんでした。今年の夏に久しぶりに家族と里帰りしようと思っています。ホームシックは、あまりないです。今はスマホなどで家族の顔もすぐに見られるので、便利な時代です。でも、スマホでは向こうの自然の中にいたり、向こうの空気を吸ったりということはできないので、なつかしくなることはあります。故郷というのはそういうものだと思います。だから今回は、5年ぶりに帰るのが楽しみです。

奥様との出会いー神職の人・外国人との結婚に対する気持ち

私はここに来る前に東京の渋谷の神社に勤めていました。渋谷駅から徒歩5分のところにあります。その神社は930年以上もの長い歴史を持っています。そこに、私がたまたまご縁をいただいて4年お勤めさせていただいていました。その間に、妻と知り合って、妻も場所は違うけれども、同じ神主という仕事をしていて、それがご縁で知り合い、結婚することになりました。神様のお導きがあったと思いますね。 妻はここの神社で生まれ育って、父はこの神社の宮司(ぐうじ)です。三姉妹のうち、彼女は次女で、この神社を継ぐということを決めたようです。一人ではなかなか難しいので、私がこの神社に来て、一緒にこの神社を守ることになりました。

神道に向ける探究心

装束・神職の格好

神職の装束を説明するウィルチコさん

装束は、長い歴史のあるものです。装束を着ることによって、自分がその流れの一部になったと感じるのです。

装束を専門に売っているところは、全国にありますが、皆さんの大学がある京都にはたくさんあります。儀式で使うものは全部取り扱っています。

神社の儀式で着る装束は、お祭りによって種類が変わるのです。神社には大祭・中祭・小祭というものがあります。多くの神社では大祭は一年に3回あります。中祭は年に何回かあり、小祭というのは、それ以外の祭りのことを言います。大祭の場合は、正服というトップフォーマルの装束を着ます。洋服で例えるなら、モーニングや燕尾服のようなものですね。

祭典の御奉仕

また、装束は位によって色が変わります。これは大昔、中国の朝廷から朝鮮半島経由で日本に伝わったものです。例えば、上の人は赤い服を着て紫の袴を履いて、下の人は青い服を着て浅葱(あさぎ)色の袴を履きます。それがトップフォーマルの形です。日本の場合は今こういう形でまだ生きています。

中祭の時に着る、全部真っ白な齋服(さいふく)というものがあって、位と関係なく全員白です。小祭では狩衣(かりぎぬ)烏帽子を着ます。そのような格好は普段の儀式の時に着ることがあります。烏帽子と上に着る狩衣を脱いだら、今のこの格好(写真参照)になります。だから皆さんがイメージしている神主さんの格好は、これで完成形ではなくて、待機の形なのです。 いつでも装束が着られるというものです。サラリーマンに例えたら、スーツの上着は着てないような格好なのです。

お祭り以外は作務衣(さむえ)を着ます。仕事内容によっては、一日で何回も着替えることがあります。神主というのは、仕事内容の幅が広いです。例えば、装束を身に纏い、神事を行うこともあり、チェーンソーを使って外で木を切ったりとか、パソコンの仕事をしたりします。だから神主というのは結構幅の広い面白い仕事だと私は思います。

装束の値段は、ものによっていろいろですね。その形や材料によります。元来、多くのものが正絹(しょうけん)で出来ています。蚕(かいこ)の糸で作られた本当のシルクですね。何十万円もするものもあります。でも、やはり普段毎日そういうものを履いて仕事しないといけないとなると、高いものはすぐダメになってしまうし、いつでも買い換えられないので、とても難しいです。それで、最近は古い形を保ったまま、「化繊(化学繊維)」という新しい技術の普段使いができる生地を使うようになりました。

もちろん、髪を染めたり、パーマをかけたりしている人もいます。ただ、この仕事は、私が思うには、誰か神様にお願い事があって、私たちがその方と神様の間で動いているメッセンジャーみたいな存在になるということですよね。メッセージを書く紙でたとえると、すでにいっぱい書いてある紙は、メッセージを書き込んで渡すというのは難しいです。真っ白の紙の方がいいでしょう。そういう意味で、私たちがみなさんの願い事をよく伝えられるように、できるだけ真っ白にならなければいけない、指輪、ネイルなどのような余計なものはつけない。一番簡単、質素で、きれいな状態でメッセンジャーを務めるべきだという考え方が昔からあります。だから、髪を染めてはいけないかって言われたら、ルールはないし、自分で決めればいいことなのですが、自分は絶対に染めません。神主という仕事をするには、自然のままの方が良いという風に思います。

平均引退年齢・希望引退年齢

神社によって様々ですね。神社というのは全国にあるコンビニの数より多いですよ。8万もの神社があると言われているけど、神主は約2万人しかいないです。神主がたくさんいる神社もある、一年に一回や月に一日だけ神主が行く神社も、無人の神社もたくさんあります。神社の大きさ、規模にはさまざまです。

大きい神社の場合は会社のようなものなので、定年の年齢が60歳か65歳などと決まっていて、退職金もあるところもありますが、全くそうじゃないところもあります。この神社の場合は家族でやっているので、引退年齢など特に決まっていません。勤務時間はだいたい決まっていますが、時期によって神社にいる時間の長さが違うので、普通の会社のようにしている神社もありますし、 そうじゃない神社もあります。

引退する時期について、私の場合は、興味があって、この仕事をやりたいと思って、趣味が仕事にできたことはすごくありがたいことだと思っているので、できれば、一日でも長く神様にお仕えしたいと思っています。

世襲・家業

昔はどの仕事も世襲が多かったですね。なぜ世襲があるかというと、専門知識を一番簡単に伝えられるからです。多分、それが世襲の目的だったと思います。同じ家の中でそれが守られれば、一番強いと思います。レベルもだんだん高められます、場合によって、よその人を、跡継ぎとして決めて、その人を席に座らせるというのもありますよね。そういうのは昔から、職人の場合、専門知識、専門家を育てるのに、一番合理的な形だったからなのではないかと思います。

息子の興味あることをサポートしたい

本人がやりたいことをやってほしいと私は思います。なぜかというと、自分も親にやりたい事をさせてもらったからです。でもそれは大事だと思う反面、神様のおかげで息子が生まれたということも忘れてはならないと思います。自然に考えると、この家に生まれたら、神様のこともこれからお守りして、今まで続いてきたことを自分もその一部になって、続けていくべきなのではないかとも思います。なぜかというと、この「続ける」ということはなかなかやってみないと分からないですけど、すごく難しいことですよね。今までずっと続いてきたことを一回ストップするともう一回始めるというのはとても難しいです。何十倍も力がいるのです。でも、世襲のような制度で伝わっていったら、代々伝わってきたことが子孫まで伝わっていきます。一回途絶えたら、「どうだったの」と、「どういう意味なのか」と疑問に思っても、聞ける人がいないのです。そういう意味で、専門的なことを代々続けるというのは、とても大事なことだなと思います。それは文化であって、結局、歴史の一部にもなりますから。

息子が興味あることをできるだけサポートしてあげたいと思っています。ちょっと余談ですが、息子は今6歳、去年は5歳の七五三でした。七五三の場合は、普通は黒い羽織袴を着ますが、私はこの神社で一緒にお参りできたら、七五三の意味も果たしていると思って、装束を作ってもらいました。たまに朝のお祭りを一緒にご奉仕していますが、本人もやりたいと言っているので、一緒に体験してもらうのが一番いいと思います。 そんなふうに息子が実際にこの格好をして、神様の前で同じようなことをすることによって始まると私思います。見るだけではちょっと足りないので自分がやらないとわからないですね。

久居八幡宮 正門にて

未来へ継ぐ神道の知恵

一番幸せな時

神様がお喜びになると思える時は嬉しいですね。神様のフィードバックというのはあまりないです。神様が「これいいね」とか「これだめだ」とはっきりおっしゃらないからです。 また、その長い歴史が続いていて、自分達もその中の一部になるわけです。神社には、「中今(なかいま)」という言葉があります。それは「now」ということがずっと続いている、という意味です。昨日の「now」、百年前の「now」、千年前の「now」。つまり、私たちもその長い歴史の中に、ずっと続いているラインの中にいるのです。

だから、私たちにはその続いている歴史の中でバトンタッチしないといけないないという役割があるのです。どの仕事も、楽しい時もつらい時もありますが前向きに生きて行くことは「道」というものが教えてくれるものです。昔の人が私たちにバトンタッチしてくれた知恵というのはすごくありがたいなと思います。生活することにあたって、仕事することにあたって、楽しく面白いことですね。

不便な所を探す

今の時代は「便利」ということがどんどん進化しています。百年前と今はものすごく変わっていますし、多分百年先もまた違うペースで進化していくでしょう。その中でやはり忘れてはいけないことがたくさんあると思います。進化しても、元に戻らなくてはいけない時もあるかも知れないし、そうなった時に振り返っても元がわからなかったら大変だと思います。だから常に、前はどうだったのか、うしろを振り向いたら何があるのかを頭に入れておくことです。今の便利なものにあふれている時代に、不便なものを探し、昔の人が何を考えて生きてきたのかを知るということ、それが今を生きる私たちがしなければいけないことの一つかなと思います。

少しずつ変わっていく

神社も常に変わって行きます。人間が変わっているので社会が変われば神社も変わるのです。ただ普通の会社などと比べるとその変化はちょっと遅くて、時間がゆっくりなんですよ。歴史の長い会社といったら何十年とか、百年の会社もありますけど少ないですね。でも神社はもうすでにどこもとても長いです。この神社の場合は350年ですが、千年やそれ以上に長い歴史の神社もあります。そうなってくると今日明日のことを考えるのとは「速さ」というものがちょっと違いますね。価値観も違います。例えばコロナは社会にも神社にも大きなダメージを与えて、経済も観光も、飲食店も大変な時期を過ごしていたわけです。出かける人が減って、お参りする人が少なくなって、収入も減って、大変な時期もありました。でもこの千何百年の日本の長い歴史を見ると疫病はよく出てきます。江戸時代でも、天然痘のような病気が流行し、それを乗り越えた歴史があります。そうした過去が参考になって、今回も乗り越えられると心強く思えました。地震とか火山の噴火のような災害も、日本は幾度も経験をしています。今は大変かもしれないですが昔の人もそれを乗り越えられたから、私たちも頑張ればきっと出来るだろうと思っています。

問い続けること・今を生きる人たちへ

問い続けるということは追求していくことだと思います。なぜこうなのか、どういう意味なのか、元々はどうだったのかなどということを調べるのは大事なことだと思います。また、自分がいるところ、自分の人生について、自分はどこから来ているのか、お父さんお母さんはどういう人なのか、おじいちゃん、おばあちゃんはどういう人なのか、ご先祖様は何をしていたのか、知るか知らないかで、自分のアイデンティティや自信は変わってきます。そうした自分のルーツを知ることによって、自分は何なのかの自覚をもっていたらいろんなことが見えてくるわけです。ここは護らないといけないところで、ここは省略してもいいなどの判断は背景知識があるおかげで自信がつき、うまく判断ができるようになります。誤った判断をすると、それを後から直すのは大変です。正しい判断をするのにその自信とその誇りを持つことがとても大事だと思います。

取材した4人とウィルチコさん

(インタビュー:2023年6月)

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