「hanare」の始まり
谷中という街で暮らしていて、HAGISO*を作った時は自分で借金して始めているんで、当時は自分の家を借りるお金も残っていなかったんですね。なので、とりあえずHAGISOの一部屋に住んでいたんですけど、風呂もないから銭湯に行ったりとか、キッチンがないから街の飲食店に食べに行ったりとか、そういう風に暮らすしかないわけじゃないですか。でも、そういう風にしてみると意外とワンルームアパートを借りてそこに全て凝縮されているっていう生活よりも、街の中に点在し、自分の暮らす空気が広がっている方が豊かなんじゃないかなと思ったんですよね。
外から来た人にそういう体験をしてもらうには、町全体を一つの宿に見立ててみた宿泊施設っていうのがあるんじゃないか、というのが一つ。
さらに、ちょうどイタリアに行った時に、たまたま泊まった宿がいわゆるアルベルゴ・ディフーゾ**のような形態の安いホテルで、レセプションがあるアパートの一室、泊まるのはまた別のアパートの一室、というのをやっているところがあったんですよ。「そういうのもありなんだな」っていうのもあり、街に点在するすでにある要素を編集して宿にする、「hanare」のアイデアが生まれました。
** Albergo Diffuso:イタリアで行われている分散型ホテルのこと。

hanare宿泊棟
「hanare」を通して感じてほしいこと
等身大の街を感じてほしいっていうか、別に飾るような街でもないし。外向けの街ってあるじゃないですか、観光客向けの街っていうか。プライベートは全部箱の中に入っていて、外はちゃんとしないといけない、フォーマルな空間ですよね、基本的には。そうすると全然どういう風な生活をしているのかわからなくなっちゃうし、文化がわかんないと思うんですよね。けれど谷中みたいな、特に背の低い街は染み出しちゃってるんですよ。植木鉢が家の外に置いてあったりするでしょ。でも誰も文句言わないみたいな状況。その代わりちゃんと綺麗に手入れしていたりする。

谷中風景
そういう状況が僕は好きだし、単純に街を楽しむ人にとってもわかりやすいですよね、どういう生活してんのかなって。そういうことがわかってもらえるといいんじゃないかなと。それがやっぱり、例えば、晩御飯の匂いで、こういう食事の宿美味しそうだね、美味しそうな匂い、とかって思うだけで繋がりが生まれるでしょ。違いもわかるけど、自分たちと同じところにある種の感情というのが生まれるので、そういうところで自分たちとの接点も繋がるし、違いも楽しめるっていうような関係性もあるんじゃないかなと思っています。僕らが大事にしているのは観光よりも日常の方っていうか、なんでもない風景とかコミュニケーションとかの方。僕が海外に行く時も、たまたま入ったお店で地元の人達が楽しんでいるところにちょっとお邪魔して、一緒に同じ空間を味わって。でちょっと声かけられて、みたいなね。そういう旅行を海外に行くと自分が好んでするので、こういうのを求めている人たちが結構いるんじゃないかなって思ったんです。

谷中風景・HAGI CAFE
いわゆる観光地に来たっていう感覚よりも、自分たちとは全く違う生活習慣とか文化を持っている人たちの街じゃないですか。そうすると、基本的に住んでいる人たちにとってはつまらないことも、面白いわけですよ。なんでこうなってんのとか、細い路地があってそこですれ違ったら、やっぱり谷中だったら多少は挨拶するとか、そういうのってどういう関係なのかなとか、そういうのを楽しんでほしい。その時に谷中っていう街は物理的にも繊細だし、震災を免れているし、東京の中では、そういう意味ではユニークです。そのおかげもあって細い路地が残っていたり、お寺さんが多いというのもあって、文化も残ってるところです。だから「hanare」を始めるのにはちょうどいい環境かなって思ったのもありますね。
価値を生むリノベーション

HAGISO外観
「HAGISO」も元は文化財的な価値がない、いわゆる本当にただのゴミとしか思われていない、今にも取り壊されそうな建物だったんです。大体戦後すぐだから、そんな注文住宅とかじゃなく、規格が完全に決まっている規格化されたプロダクトなんですよ。不動産的な価値もないし、オーナーさんからしても「解体費用どうしよう」みたいな対象でしかないので、価値があるとは露も思ってないわけですよ。
だけど、ちょっと手を加えてあげるだけで、そこを快適だと思ってくれる人たちがいる。
場所を作っていくと、お宝に見てくれる人が増えていくわけです。例えば、「TAYORI」***っていうお店もあって、「TAYORI」のオーナーさんはここら辺の地主さんなんですけど、僕らが「hanare」をやってるのを見ててくれて、「うちにもそんなんだったら、ボロい物件あるけど。もしかしてこれどうにかできるの?」みたいな感じで相談にきてくれたんです。そういう古い物件は僕らから見ると超お宝なわけですよ。
普通に見たら、ボロくてなんの価値もない家なんだけど、僕らから見ると「うわぁ、なんすか、この縁側!」とか「この柱すごいっすね!」とかお宝にしか見えないわけ。カビ臭い裏庭とかも、「しっとりとした裏庭」みたいな風に勝手に読み替えちゃう。見る人によってはなんの価値もないけど、なんとなく僕らには物件がどうリノベーションできるかイメージできる。ゴミと見るか、お宝と見るかなんです。
*** HAGI STUDIOの手がけるお惣菜とお弁当と珈琲のお店。

HAGISO内観
日常から文化まで

谷中
実は今ここにある生活っていうのも繰り返していくことで文化になるし、知らないうちになんらかの文化に必ず属している。だから、当たり前すぎて気づかないけれど、外の人から見れば豊かなことってたくさんあるわけですよ。それは相対化できてないから平凡ていうか、なんも面白くないよねって思うかもしれないけど、他人にとっての日常に出かけて行った時は新鮮でしょ?
逆にそれをちゃんと自分たちで認識して、別に「日本、超クール」とか言わなくていいんですけど、取るにたらないと思われている生活でさえ実は愛すべきものなんじゃないか、っていう。そうしていかないと多分、大事にしていけないですよね、自分たちの生活を。
だからどんどん、ちょっと古くなった建物をぶっ壊すし、なんの価値も見出してないわけじゃないですか。だけど、例えば僕らの萩荘だって築63年ですけど、あと37年たったら100年になるわけで。一回壊すとそれが全部キャンセルされて、あと100年かかるわけだ、築100年のものを作るには。ということを考えると、そこにずっと繰り返してきた、積み重ねてきた時間っていうもの自体がすでに価値なんです。
だから「京都みたいなもの以外は結局価値がない」っていう風になっちゃってもつまらないから、あまりに平凡で普通だと思っている生活の中に、ユニークなものとか、いいものを見い出す、みたいなことですよね。
東京の人で「hanare」に泊まる人って自分の住んでるところにも銭湯があるのに、行かないわけです、全然。けど、それって、非日常を通して日常を見出すみたいなもので、そういうモードになるためには 自分で自分にフィルターを掛けなきゃいけない。その時にわざわざ、「チェックインする」という儀式が必要だったりするんですよね。銭湯チケットをもらうことで、銭湯に行くことが楽しくなる。

hanareのアメニティ
HAGI STUDIOのこれから
僕らの会社の会社理念があって、「世界に誇れる日常を生み出す」っていう言葉を使っているんです。知らず知らずに考えもせずに毎日やっていることってあるじゃないですか。それが習慣になって、その習慣が100年超えとかしてくると、文化レベルに達するというか本当に深層まで行き渡る。文化っていわゆる伝統芸能とかそういうのだけじゃなくて、潜在意識の芯まで染み付いちゃってる。
つまり、日常とか習慣をデザインすると回り回って100年後くらいの文化をデザインできていることになるじゃないですか。自分たちじゃなきゃできないことをやり続けたいなとは思っていて、逆に誰にでも出来る仕事はやらないようにしようっていう感じですかね。うちじゃなくても別にいい仕事は他の人にやってもらう。で、僕らじゃなきゃいけないことをやるっていうことにこだわる感じでやっていきたいです。
(インタビュー:2019年6月)