掛け算で作る自分のフィールド

掛け算で作る自分のフィールド

PEOPLEこの人に取材しました!

三宅一道さん

ICT企業経営、元日本語教師

日本にいた時の「閉塞感」から、フィリピンに移住して解き放たれた元ロックミュージシャンの三宅さん。「音楽×日本語教育×ラジオ×情報サイト運営」などマルチな活動の背景には、自由奔放な思考法や人生観や価値観が垣間見られた。「音楽」というものに「日本語教育」というものを掛け合わせて、さらに「ラジオ」を掛け合わせると、自分にしかないオリジナルのフィールドができる。たくさんの人に会うことや、たくさんの経験、さまざまな仕事など、マルチで多様なスタイルが三宅さん流。この自由で掛け算的な発想や思考法は、現代日本の閉塞感を感じている人をInspireするであろう。コロナ禍の閉塞感脱却のヒントになりうるかもしれない、三宅さんのお話を伺った。

〈プロフィール〉
元ロックミュージシャン。フィリピンで日本語教育に尽力するほか、情報サイトダバオッチ運営、マンガ翻訳、コンサルティング事業のCEO等を経て、現在は人材事業に携わるほか、輸入・輸出業などの新事業展開に向け活動している。

逃げたくて思わず日本を飛び出した

自由を表現したかった

話は中学生の頃になりますが、僕は体が小さくて生意気だったのでいじめられていたんですよね。周りの人に合わせないと叩かれるとか、皆と同じことをしないといけないとか、社会に対する閉塞感みたいなものをずっと感じていました。
そして大学出て就職して働きましょうってなったとき、自由がないと感じました。自分で自由に進む道を決めていいはずなのに、生きるタイミングまで決められているなと。そんな昔から感じていた窮屈感から抜け出したい。音楽だといろいろ自由にやれるんじゃないかなと思ったんです。そこで、私は作曲が好きだったのでギター弾いて曲の中で自由を表現するロックバンドを始めました。レコードレーベルのオーディションに通り、そこそこ上手くいっていました。

ギターを弾く三宅さん

もう日本にいられない

しかし25歳くらいの時、続けてきたバンドが解散してしまいました。じゃあ今から就職して仕事を探そうという選択にならなかったんですよ。何をして行こうかって時に日本にいてはダメだなと。このまま日本にいたら、中学生の時にいじめられていた記憶の延長線である「閉塞感の中での人生」に戻る世界しか見えないという恐怖があって、これはもう海外に出ようと思いました。
当時フィリピンにいてソーシャルワーカーのボランティアをしていた妹にそのことを言ったんです。そうしたら、妹が1回フィリピンに来てみたらっていうんです。そこで初めて行ったのがフィリピンのダバオ市でした。

ある意味「逃げ」だった決断

当時の心境としては、何かをつかみ獲りに行くぞというような積極的なポジティブなエネルギーがあったわけではないです。自分を分析してみると、もうそれ以外にチョイスがないわけですよ。いじめられていた話をしたけど、学校に行くのが嫌だから家に引きこもるのと一緒で、もう日本にいられないんですよ、嫌でしょうがないというかね。音楽がない状態で、それまでやってきたことを続けるということに耐えきれなくなっていたので、「他に選択肢がなかった」というのが大きいと思います。
ある意味「逃げ」なのかもしれないですけど、自分が変わっていけばこの「閉塞感」を感じずに生きていけるのではないか、と無謀に信じていました。でもそれが良かったと思いますね。
今は当時の自分では考えられない仕事をやっているけど、ものすごく自由な生き方をしていると思っています。自分で会社を作って運営をしているけど、そこに縛られているわけではないので。要らないなと思えば明日にでも手放して良いと思っています。だから閉塞感の中で生きるという人生からは抜けられたかな。

現状に留まらない

人って大きく動く時、価値観を変えるために移動していると思います。どこかに住みたいっていうことは、海外に出たいとか現状を変えたいという気持ちがあるからこそ動くのだと思います。自分の場合も人生を変えようと思ったし、自分自身を変えようと思って海外に行きました。

いろんな事に手を出したっていいじゃない

今日はライブです!で始まる授業

フィリピンで、元々日本語の家庭教師をやっていました。そうしたら、フィリピンの大学で日本語を教えないかという話になりまして、そこから大学の教育に携わるようになりました。最終的には大学の日本語教育センターのセンター長になりました。
以前から、教育にエンターテイメントの要素を入れたいなと思っていたので、ギター1本持って「今日はライブです!」って全員で曲を一緒に歌う授業をしていました。歌詞はプリントで配って、一曲覚えると教科書の必要文型が全部覚えられるよみたいなことをよくやっていましたね。
他にも、ある学生とラジオドラマを作るアクティビティをやっていたのですが、一般の人にも聞かせて日本語教育に興味を持つ人を増やそうよみたいなことを考えたんですね。当時、外務省のODA*の予算が日本語教育につくチャンスがあったので、そこに応募して建設費用をもらって大学にラジオスタジオを建設しました。そこまでするとラジオ局にちゃんと話をしなきゃいけなくなりますよね。毎日1時間の枠をラジオ局から買ってFMラジオの番組を作るっていう流れでしたね。

*政府開発援助。発展途上国の経済発展や福祉の向上のために行う援助や出資のこと

日本語でダバオの情報を発信

2015年にはダバオ市の情報を日本語で読むサイトが無かったので作ろうと思いました。そこで共同創設者と一緒にダバオの日々のニュースとか街の観光とかそういう情報を伝える日本人向けの情報サイトを作りました。
読者は退職後に日本から移住した人が多いんじゃないかな?退職後に暖かい所に住みたいっていってダバオにこられる日本人が多い。そういう方って英語ができないので日本語でダバオの情報を得られるっていうのは重要なんじゃないかと思っています。

学生たちが輝ける場所を

日本語センター所長時代

大学で日本語教育をやって10年たって、学生に仕事を作ろうと思っていたんですよ。僕が日本語教育センターのセンター長をやっていたころ、学生の就職活動のお手伝いというのをしていました。自分が就職したことないのに(笑) 。はじめは日本の大手企業さんのマニラやセブの支社に、うちの人材採ってくださいってお願いに行っていました。日本語人材はいっぱいいるからアピールしていたんです。その頃、日本語を勉強した学生たちは、セブとかマニラ、日本に行っちゃうっていうのが続いてたので。他にも就職先は沢山あるのにね。
だけどどうしても地元を離れたくない学生さんっているじゃないですか。それなら就職活動を支援すると同時にダバオに会社を作ればいいと思いました。ちょうどそのとき日本語と英語が出来る人材が必要だという話が出てきました。卒業生で仕事がない人とか学生アルバイトの子たちを集めれば一気に雇用が作れると思ったので、じゃあ私が会社を作ってそこに仕事を振ってくれれば、人はこちらで雇用しますっていうことにしたんですよね。そういう流れで会社を作りました。

一つの場所に拘らない

自分の建てた人材派遣会社は先生と学生っていう関係があったので、いつまでも自分が代表をやっている状態だと面白くないなって思っていました。だから、チームを作った時に、「数年で自分はこの会社の代表を辞めるので、君たちの中から社長が出ることを願っています。」って教え子(社員)にいったんです。
そこから6年ほどかかったんだけど、当時大学4年生だった自分の教え子が今は代表をやっています。そこからは、自分たちで作っていく会社はどんどん人を育てて、どんどん渡して行こうという発想でやっていますね。

会社のパーティーで

基本的に僕は会社を作って代表をやるっていうことに拘っていません。だからCEOという立場も次に引き継ぐ人が出たら降りますね。5社くらいやってるけど現在は自分がCEOをやってる会社は1社もないですね。仕事って決して人生そのものではないので、人生の一部なので。今からまた僕は音楽に情熱をかけてもいいわけだし。

仕事はマルチに

1個のことを突き詰めるのはもちろんすごく大事だと思いますが、僕の場合は「日本語教育×音楽」といったように自分の持ち味を掛け算しています。ギターを弾ける人は何百万人もいる訳ですけど、フィリピンのダバオ市に来てギターを弾いている日本人はレアになると思います。自分の専門性を突き詰めるっていうのは大事なんですけど、要素が組み合わされば仕事の可能性も広がると思うんです。そもそも選べる職業の選択肢が2つ3つあって、自分がどれをとっても良いって場合は恵まれていることだと思うんですよ。だからどっちにしようかなって迷っているときはどっちでもいいと私は思っています。迷っている間っていうのは何も歩みを進めていない時間なので、とりあえずでもいいからやってみて、違うなと思ったら変えてもいいと思っています。僕みたいに全部やってみるのもいいんじゃないかな?

自分のレールは自分で作る

就職だけがすべてではない

就職ってことにとらわれないことが大事なんじゃないかと思いますよ。現代だと会社に入らなくてもいくらでも収入を得る方法ってあるじゃないですか。例えばフリーランスって形もあるだろうし。なので就職するのもいいと思うんですけど、いろんな収入のソースを作っておくのも僕はいいんじゃないかと思っています。
例えばエコシステムで会社からお金をもらってそのお金を活用するんじゃなくて、自家菜園で飯が食えたり、地域の人とのつながりの物々交換で飯が食えたり、物を作るのが好きだったらネットで売ったりだとか複合的にあるっていうのがいいんじゃないかと僕は思っています。いろんな収入のソースを持っている人が増えていると思うので就職が出来ないと悩んでいるよりは別のことに目を向ける方がいいんじゃないかなって僕は思いますね。親の世代とか先生もそうだと思うんだけど就職できないとやばいみたいな。僕は全然そんなことではないと思うので。もちろん就職するのは素晴らしいことだし良いと思うんだけど。

自分をつくる「価値観」を大切に

学生さんたちには特に「変な我慢」をしてほしくないんだよね。ほんとはやりたくないんだけどやっちゃってることってすごくいっぱいあると思っていて。だから自分が嫌だなと思うようなことには必ずちゃんと向き合ってセンサーを向けておく。断れない、NOって言えないのであれば、本当は自分は嫌なんだっていうことをちゃんと知っておいた方がいいと思います。「変な我慢」を続けていくと、自分の本質的な部分、自分の価値観みたいなものが、どんどん見えなくなっていって、自分が本当にやりたいことを見つけにくくなってしまうと思うので。そういう事は若いうちから出来ていればなと思うことがあります。
また、多種多様な価値観の人と付き合っていくという経験も後に役に立ってきたと感じています。全然違う価値観の人と密接に付き合うという意味では恋愛も良いと思いますよ。別れたとしても、ものすごい経験値を積むんだろうなと思います。だからいろんな人に会っていろんな人の話を聞いて共に行動することに意味があると思いますね。

どんな環境でも道は開ける

コロナウイルスの影響で大学のキャンパスに行けない人間関係、人間を学ぶってことができないのは大きなロストですよね。でもオンラインでできることいっぱいあると思いますよ。例えば、こういう機会に気の合う人を探して、皆でルームシェアしてみるとか、逆にこの状況を活かしてみるといいと思います。コロナを中心に考えるのではなく、自分たちがやりたいこととか、普通の大学生活を送っていたらやっていたであろうことを中心に組み立てないと意味がないと思います。

(インタビュー:2020年7月)

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