お客さんも三代目:100年「長生き」のタローパン

大阪大学

お客さんも三代目:100年「長生き」のタローパン

PEOPLEこの人に取材しました!

堤 洋一さん

タローパン店長

大阪大学の前にある石橋商店街には、3代続いて100年営業しているパン屋の「タローパン」があります。ここはパン屋として営業する以外にも色んなイベントをしたり、お客さんの集まる場所になっています。もちろんパンも美味しいです!タローパンの店長、堤洋一さんにタローパンと石橋商店街の歴史について伺いました。

Q:自己紹介をお願いします。

堤洋一です。1962生まれの57歳です。お爺ちゃんが初代の店長をやってて、今俺が三代目。タローパンの名前はお爺ちゃんの名前がタロウだったから。

Q:タローパンの歴史を教えてください。それからここなら他のパン屋さんに負けないというところはなんですか?

1929年に営業を始めたけど、パン屋っていうよりもパンを作ったり、年末にはお餅を作ったり、色んなものを売ってた。それでなんとなくパン屋になったという話を聞いたかな。当時はまだそんなにみんなパンを食べている時代じゃなくて、まだパン食が浸透してなかったので、いろんなことをやってたのね。
それから戦争が始まったけど、この辺はあんまり激しくなかったと思うので、続けられたと思う。そのあとは商店街の全盛期というか、ものすごいよかった時期もあったので、チェーン店みたいにタローパンという看板を出してくれてたお店が何件かあって、そこに配達をしてたんだけど、45、6年前にパンを袋に入れるのでなくてそのまま売る形式に変えて、それからずっとこのやり方になった。

Q:ほぼ100年の間、お店を長く続けられてきた理由はなんだと思いますか?

流行りの店ってあるけど、急にめちゃくちゃ流行るお店はあんまり長続きしないと思う。逆にうちはめちゃくちゃ流行ったことはないけど、ずっと、めちゃくちゃ暇でもなく、めちゃくちゃ忙しくもなかった。そうやって地道にやってきたのが長続きできた理由だと思う。

Hello Jey! の袋

Q:壁にあるHello Jeyの写真はなんですか?

Hello Jey という名前に一回変えたことがあった。その時はオシャレな名前が流行ってたので、ちょっとタローパンという名前はあんまりオシャレじゃないと感じて一回変えたんだけど、お客さんから電話がかかってくるときに ”もしもしHello Jeyです” って言っても ”あれ?タローパンじゃないんですか?” という返事がずっと返ってきて、三年ぐらい続けてもお客さんがHello Jeyって言ってくれなかったので元に戻した。
ちなみにここに飾ってある写真は、前に阪大の子がここで写真の展示をやったことがあって、その展示を参考にさせてもらった。

お店の昔の写真1

お店の昔の写真2

綺麗な店内

Q:昔の写真と比べると、今結構おしゃれな感じですね。なにかこだわってることはありますか。

ここのリニューアルは阪大の建築学部の学生と一緒にやったので、俺の意見というよりもその子達がやりたいのがこんな店だったから、こんな感じの店になった。

店長さんが作った机

Q:この机とかは昔から使ってきたものですね?

これね、床以外は全部自分たちで作ったよ。鉄板とか直接溶接して、この店を改装してから5年か6年使ってる。最初に木が来た時にもっと白系のきれいなものが来ると思ったので、これが来た時に返品しようと思った。本当に工事現場の台だと思って、絶対間違えたと思った。だからお店を改造して開けた時、最初に皆がどう言うか心配で、大丈夫かなと思った。一番最初に来た人はよく来てくれる年寄りのおじいちゃんで、そのおじいちゃんに“これ汚えなあ”と言われて、ものすごく心配したけど、汚いという人はその一人だけで、みんなおしゃれだと言ってくれて良かった。

Q:面白いお客さんですね。店長さんの一番印象に残ったのはどういうお客さんなんですか?

大分前の話だけど、印象に残ってるお客さんと言えばパンをそのままポケットに入れる人があったね。袋とかじゃなくて、揚げパンとかをそのまま入れる人。
お客さんの中には、昔阪大の前身だった学校に通ってた人もいて、そういう人たちが同窓会的な集まりを開くときにうちを待ち合わせ場所にしてくれるのが嬉しいかな。俺よりも昔のことをよく知ってるので、俺が逆に教えてもらうこともある。俺が3代目なので買いに来てくれる人も3代目、おじいちゃん、お父さん、子供さん、みんなが来てくれる場合もある。

生地ボックスと台

Q:インテリア以外に昔と比べてなにか変わったことはありますか?

パンって作る過程で膨らむ。生地をこねて膨らんだら発酵させなあかんので生地ボックスって箱の中にいれるのよ。今はイーストって膨らむ力がすごい良いのがあるから時間あまりかからないけど、昔はイーストの力は弱かったので、ものすごい時間がかかる。だから、生地ボックスの上にフタをおいて寝ていた。その上で、昔は6時間とか7時間かかるから、しばらく寝られる。寝ている間に生地が膨れたら板が持ち上がって、板の上から落ちるわけ。落ちたら次の仕事。今はちゃんとベッドで寝るけどね。

(インタビュー:2019年12月)

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