物語の世界に入る~そんな小説を書く~

大阪大学

物語の世界に入る~そんな小説を書く~

PEOPLEこの人に取材しました!

稲田幸久さん

作家

高校二年生の時に初めて小説を書く。そこで小説を書くことの楽しさを覚え、小説家になることが夢となった。三十五歳で公務員を辞め、小説家になるという長年の夢を本格的に目指すことになる。その一年後、小説『駆ける』が見事角川春樹小説賞を受賞、作家デビューを果たす。
写真©三原久明

歴史小説家になったきっかけ

Q:稲田さんはもともと公務員として働いていたのですが、なぜ作家になろうと思いましたか?

僕はずっと本が好きで、特に小説が好きで、多分高校生の時に、一年間で五百冊くらい読んだと思います。それぐらい本が好きだったんですよ。で、高校二年生の夏休みにすごい時間が余って、やることがなくて、で何をしようかなと。この期間を無駄にするのもよくないなあと思って、それまで小説を書こうと思ったことはなかったけど、時間もあるし、ちょっと小説を書いてみようと思って、ルーズリーフに改行もせずに手書きで書いて、それがすごく楽しかったんです。将来、小説家になれたらいいなあというふうにその時思ったんです。

大学に入ったら、時間があったら書いて、新人賞に応募して、ちょっとずつ段階が上がって、一次選考突破、三次選考突破、最終選考に残りました。今回の作品『駆ける』は六年ぶりに書いた作品なんです。僕、ちょっとね、一つの作品を書くと、もう結構満足して、間が空いちゃうんですよ。他にそういう小説の賞に応募している人って、六月はこの賞に応募して、十月はこの賞に応募してって、ずっと書いている方が多いんですけど、僕はそうじゃなくて、一回書いたら二、三年期間が空いてしまうんですよ。そんなに多くは書いてないんですが、こうやってまあ徐々に徐々に残ってきて、小説家になりました。

公務員を辞めたのは、僕が三十五歳になった時に、このまま公務員続けていいのかなあっていうのがあって。高校の時からずっと小説家になりたいという夢があったので、そこにちゃんと向き合って 本気で目指すべきなのかなあというのを思ったんです。例えば、公務員をやめて、小説家として芽が出なくても、工場で働くとかっていうのもいいかなっていうふうに思って。この三十五歳というと、ほんとに人生で、多分何かを勝負できる最後の年かなあと思って、その時に公務員を辞めて、ちょっと夢に向かってチャレンジしてみようかなというふうに思ったら、公務員辞めて一年後にデビュー出来たっていう。ラッキーですね。まあこの六年前に、別の小説の新人賞で最終選考に残ってたので、いつか小説家になれるんだろうっていう自信はあったんですね。まあ、本当に公務員をやめたことで、ちゃんと向き合えただろうと思います。そういう思いもあって、僕はデビューできたかなあって思ってます 

稲田さんの著書『駆ける』と参考資料

Q:では、なぜ歴史時代小説というジャンルを選んだのですか?

それはですね、高校生の時は自分が主人公の青春小説で、どちらかというと純文学系に憧れて、それこそ純文学の小説家になりたかったくらい。でも大学の時に書いたやつを小説賞に応募しても一次選考通らなくて、その時に違うのかなと思ったんです。でその時に時代小説を読んだんですよ。藤沢周平さんっていう作家なんですけれども、それを読んで面白いなあと思って。でも本当、何作かしか読んでないんですけど、ちょっと時代小説で書いてみようって思って、時代小説で書いたら、それが一次選考突破して。それからまたちょっと勉強してから書いたら、今度は3次選考、で最終選考っていう風に進んでいって。時代小説が向いてるのかなあという風に思って。今までは江戸時代だったんですけれども、初めて戦国時代の話を書いてみようと思って、書いたというとこですね。

Q:ではこれからも歴史ものを書き続けるつもりですか?

そうですね。デビュー作がいろんなところの、いろんな方から、やっぱりいろんな声が届くんですけど、その中で、他の出版社さんがうちでも書いてくださいって、声をかけてくれるんです。でその出版社さんが求めてるのは、やっぱりデビュー作が歴史小説だったので 、歴史もので書いてくださいっていう依頼を受けるんです。なので、歴史小説を、依頼がある限り書いていくと思います。が、ひょっとすると現代でも書いてくださいっていう話が出るかもしれないんです。そしたらチャレンジしてみたいなっていう想いはあります。でもいずれは中国史書いてみたいなと思います。すごいかっこいい武将がいっぱいでてくるので、三国志もそうですし、水滸伝でもそうですし、スケールが大きいんですよね。日本はやっぱり山が多いんですけど、中国ってやっぱり土地が広いんじゃないですか。草原が広がっていたりとか。そういった中で 馬が駆けている場面とか、大軍と大軍がぶつかっている場面とか、そういうのを書いたら面白いかなと思ってます。

一日店長を務める稲田さん

物語を創り上げる

Q:歴史ものを書く上で、やはり資料などはとても大事なことだと思います。そこについて詳しく聞いてもいいですか?

まず一つはたくさん小説を読むこと。そうするとやっぱりいろんなことが自分の中に 蓄えられていくわけ。いろんな場面であったり、いろんな表現であったり。で、それがやっぱり自分の中で形になって、文章になるっていう。これはまず一つ、一番大事なとこなんですけども、その上で、歴史の勉強。これもやっぱり大事なんですね。僕も何日もかけて関係する本を読んで。やっぱり歴史として正しいっていうか、実際に起こったことは外しちゃいけないんですよ。この時に誰が死んだとか、この時にどういう戦いがあったとか。でもそのあいだは作家が自由に考えてもいいんですね。この戦いとこの戦いで誰々が死んだ、でどういう風に死んだとか、っていうのは作家が自由に考えていいんですね。そこを 膨らませる。どういう話にするかなというのを考えるために歴史の資料はできるだけ多く読んで、で、この人はこういう性格だったのかなというのを自分の中で作っていくというのがやっぱり大事ですね。

あともう一つは、実際にその場所に行くことも僕は大事だと思って。今回は島根県の話だったんですけども、島根県に行って、山中幸盛(中国地方の有名武将で、今作『駆ける』の主人公の一人)はこういう風景を見てたんだなとか、こういう風を感じてたんだなとか、というのを自分で感じて。で、それをキャラクターに。こういう風を感じながら育てた人はどういう人間になるんだろうかを考えて、それでキャラクターを作っていく。これも僕は大事だと思います。

あと、さっき言ったその場にいたような描写というのは、これはもう僕はすごく大事にしてて。僕は書きながら、その人になりきったような感じで書いてるので、実際に僕はその景色を見てるし、このにおいを嗅いでるし、その風も感じてるし、っていうのを書きながら、僕もその人になりきって、一緒に、本当に物語の中を旅しているんじゃないんですけど、本当に、前に進んでるみたいな形ですね。

Q:稲田さんにとって、歴史ものを書く上で、どこか難しいところがありますか?

時代小説で難しいのは、言葉、ですね。例えば、今だったら「世界」という言葉は地球の世界と自分たちの周りのコミュニティーも世界っていうんじゃないですか。あと自分の世界に没頭するとか、そういうのも言えるんじゃないですか。でもあの時代って、「世界」っていう言葉あったのかなって。だって日本が、例えば明はわかるんですよ、中国はね。でも南蛮ってすごい遠くて、で、そこまで想像できるのかな、「世界」っていう言葉あったのかなって考えたら、使える言葉は限られてくるんですよ。だから「世界」っていう言葉、僕は使わないようにしてて。例えば、「今の世」とか、「世の中」とか。こういう形で変えないといけないんですよ。言葉を変えたらやっぱり意味も変わってくるので、それが難しいですね。例えば「気まずい空気」とか。「気まずい空気」っていうのは、雰囲気ってことなんだけども、その「空気」っていう表現はこの時代使ってないんです。その時代は「空気」っていうのは本当に空気だけ、この呼吸してる空気だけなんです。だったらこの表現は「気まずい空気が漂った」とか、そういうのはどういう風に変えようかなとか、こういったところでちょっと悩むことはありますね。

Q:キャラクターが勝手に動き出す、というようなことはよく聞きますが、稲田さんもそういった経験はありますか?

そうですね、実際にそれはおこるんですよね。それはやっぱり、それだけキャラクターと自分が重なって、キャラクターの中に自分が入り込んで書いてるからそういうのが起こるんだと思うんです。それで話はどんどん逸れていくんですけれども、でも歴史はここにあるから、ここにこう戻すと。でまたキャラクターが勝手に動き出して行くけど、こう戻すと。こういった形で、僕今書いてますね。

広島本大賞受賞の稲田さんが広島の本屋さんをまわっておれい旅

Q:歴史ものだとプロットを変えるわけにもいかないんですよね。そういうのはやっぱり難しかったですか?

そうですね。でもそれが醍醐味だと思いますよ。さっきも言ったように、事実は事実として、その間をどれだけ想像できるかというのは歴史小説を書く一番楽しいところだと思います。

Q:もし想像と先に書いたプロットの内容が離れすぎて戻れなくなったらどうするんですか?

それは大変ですね。離れすぎたっていうのは、たぶん自分の想像を超えたんだと思うんですよ。それってすごい大事なことだと思うんです。自分の中に埋もれてたものが出てきたということなので、それを活かしながら、こういうことになったから、じゃあこの戦いにどうやって持っていくかというのをまたそっから作り直したら、またどんどん別のストーリーが出来上がってきて、面白くなるんです。

さっき言われたプロットなんですけど、山中幸盛がこれをしたとか、小六(『駆ける』のもう一人の主人公)が何をしたとか、それを作るけど、結局その通りにはならないんですよね。書いてたら、編集者から、もらってたのと違いますねとか、想像してたのと違いますねって言われるんですけれども、まあそれはそれで作品として、それが面白くなったらいいかなと思います。

Q:プロットは事件の時系列じゃなくて、人物別に書いてるんですか?

そう。二つあるんですよ、プロットって。人物に当てたプロットと時系列のプロット二つあるんけど、僕はまず人物のプロットをすごく重視してるんです。人物のプロットでも小説に出ないところまで書くんですよ、僕は。その人に関して、その人物が過去にどういうことしたかなあとか、将来どういう風になるかなとか。そうすることによって、そうした行動に一貫性というか、その人がとる行動が頭で考えるものじゃなくて本当にその人がとる行動になるんですよ。

小説の意味

Q:稲田さんにとっての小説の意味はなんですか?

どうなんだろうね。でも、その小説の世界に本当いけるからね。僕自身も小説がすごく好きで、実際読むんですけれども、その世界に入って、いろいろ体験できるというのはすごい魅力だなという風に思います。やっぱりいろんなところに行っていろんな経験をするのも一つの手段なんですけども、小説で、主人公を通して体験するのも、僕はすごい新鮮だし、いろんな発見があるし、それができるって幸せなことだなという風に思うので、それが僕は好きですね。だからこそやっぱり小説読んで、嬉しくなる時もあるし、悲しくなる時もあるし。登場人物の気持ちをこっちも体験できるっていうのは、誰かの、そうですね、それは最高の娯楽だと思うんですよ。それができるっていうのは、小説のすごい魅力かなと思います。

応援してくれた広島のみんなにお礼を

今後の目標

Q:最後に、稲田さんの今後の目標について聞いてもいいですか?

直木賞です。というのは、僕、広島に住んでるんですけど、広島の多くの人が本当に僕のことを応援してくれてるんですよ。広島の書店員さんもそうですし。だから、僕がとったら、その人たちはすごい元気になってくれるかなと思ってるので、なので、まあいい作品を出すっていうのが一番なんですけど、元気になってもらえたいなっていうことで、そういった賞とかもちゃんと狙っていかないと。それをとれば、みんなが盛り上がってくれるかなという風に思ってるので、直木賞とりたいですね。

 

〈ここからはネタバレになる可能性があります〉

Q:先ほど話してくれた人物プロットについてですが、その人物の現在だけでなく、過去も未来も全部考えるということは、幸盛の子ども時代の話も最初から書くって決めてたんですか?

そうですね。決めてたというか、歴史の資料で新宮党、新宮谷が全滅させられるっていうのがあって、それが山伏姿をした人が書状を持ってたという資料で。これを 幸盛が見つけたらどうなるかなっていうのが、僕の想像、オリジナリティーなんですけど。それで、幸盛は主人公なんで、幼少期も書きたかったし、現在も書きたかったしっていうのがあって。これはもう最初から決めてたんですよ。あとはやっぱりキャラクターをどれだけ好きになれるかが大きいかなと思ってて。好きになりすぎたらこれはこれで、物語が壊れちゃうのでいけないのですけれども。僕、幸盛すごい好きになって、自分で書いてるのに。で、復讐だけで終わらせたくないなと、復讐の先に何かを見つけてほしいなという風に思って、それが自分の故郷に対する思いにつながっていったという形にしたんです。そういうのもやっぱ、キャラクターを作家が好きになるというのも大事かなと思ってます。

Q:本を読み進めていくうちに、吉川軍も尼子軍もそれぞれ自分の正義があって、そのために戦っていることがわかってくるんですけど、その分、どっちも悪くないのに、戦争だから勝敗があって、どっちかが負ける運命にあることをわかっているからこそ、少しやるせない気持ちになります。

戦いって、どっちも正義なんですよ。どっちも正義で。例えば毛利吉川軍対尼子軍 って大きいところだけ見たら、そこだけで終わってしまうんですけど。でもその中にはやっぱり、一人一人武将がいて、兵がいて。その一人一人には家族もいるし、その一人一人に歴史があるし、その一人一人の家族にもまた、歴史があって、かかわってる人がいて、という風にどんどんどんどん小さく小さくしていくことはできるんですけど、この集まりで、戦いになってるということなんですね。だから、それぞれが、それぞれの戦う意味とか、それぞれの正義であったり、それぞれの思いであったり、そういったのを大事にしたいなあという風に思って。やっぱ戦いって本当に切ないと思うんですよ。それは人間と人間の戦いだから、だから、その切なさを描けたら、その戦のむなしさとか、やるせなさとか、そういうのが伝わるかなあという風に思って、こういう形にしたということなんです、僕は。勝って、やったぁ!とはならないんですよ。戦争って、勝ってもやっぱりつらい思いは残ると思うし、だから、ちゃんと一人一人を見ないといけないと僕は思ってますね。まあ難しいよね、これはね。

(インタビュー:2022年12月)