60歳でも人生を変えられる

60歳でも人生を変えられる

PEOPLEこの人に取材しました!

竹村潤二さん

日本語教師

竹村先生はかつて日本とアメリカでてんぷら店を経営していた。34年間てんぷら職人として仕事をしていたが、60歳のとき体調を崩して転職を決意。現在、日本語学校で日本語教師として働いている。

天ぷら職人のスタート

Q:以前天ぷらの職人という仕事をしていたそうですが、何年ぐらいやりましたか。

えっと、26歳から60歳までだから、34年ですね。22歳まで学生で、学校を卒業してスナックをやっていた。その後26歳からアメリカへ行ったの。

Q:どういうきっかけで料理を始めましたか。

家が料理屋さんだったから、学校から帰ってきたらいつも調理場に行って板前さん達といろいろ話したり、料理するのを見たりしていました。あなたはこの仕事を継ぎなさいよと言われて育てられたから、もともとやるつもりだったんです。でも、学校を卒業してすぐに店をやりますというのはほかの従業員に悪いから、修業のためにスナックという小さな店をやっていたんです。

天ぷら職人として、アメリカへ

Q:どういうきっかけで、アメリカに行きましたか。

アメリカに行きたかったっていうのはありますね。私たちの年代の人っていうのは、皆ね、アメリカに憧れてたっていうのはありますね。

Q:大変なことがいっぱいありましたよね。

それはありましたよ。アメリカに行ったらね。自分の経験しないこといっぱいありましたよ。例えば、永住権を取ったりね。それから、ストーカーに狙われたこともある。お店の前で女の人が立ってるんですよ、ずっと見てる。その人に「何ですか?」と聞くと、「何でもない」と。お店に入ってきて、お店でじっと店の人を見てる。それは怖いですよ。しばらくしたら出ていく。「気持ち悪いですからやめてください」って言ったけど、ずっといた。私が店に来るのをじっと見てて、外の道路で見てて。今度は店に入ってきて、じっと見て、ただ目を見てるだけ…。警察に来てもらって、彼女を連れてってもらった。そういうこともあった。

Q:先生は、アメリカで英語を勉強しましたか。大変だったことを具体的に教えてください。

お店をやってるからお客さんが帰るときに「Thank you very much」っていうのを、一番よく使うでしょう。日本人は、「thank you」の「th」の発音がなかなかできない。それから「very」ね、それもできない。それを一生懸命、家から店に車で行く15分間、自分一人だから声出して、「thank you very much」、「thank you very much」。

Q:全部独学ですか。学校とかは行かなかったですか。

うん、そう、行かない。英語は苦手だった。でもアメリカに行ったから、自分で練習しましたね。発音を一生懸命勉強したの。毎日、朝起きたら、テレビつけて、一日中もうテレビずっと聞いてるの。何言ってるのか、意味わかんない。ドラマもやってるし、ニュース番組もやってるし、いろんな映画をやってるチャンネルもある。意味はわからないけど、ずっとテレビを見て。で、耳を慣らす。

Q:お店の経営は難しかったですか。

お店の経営は難しいよね。いろんな許可をもらわなければならないから。お店をやってる人を訪ねて行って、どうしたらいいですかって色々聞いてね、インフォメーションいろいろもらって。そういう人たちに教えてもらった。

Q:天ぷら職人についてちょっと調べましたが、天ぷら職人の世界はすごいと思いました。

私はもうずっとやっていたからね、そんなに難しいことではないと思うんですけど、素材、例えば、海老とか、野菜とか、素材にころもをつけて、鍋に入れて、お客様に出すというだけのことなんですけど、鍋の油の温度だったり、ころもの溶き方だったり、そういうのが難しいのね。だから私はいい素材をもちろん使います、築地から仕入れて、いい素材を使って、ころもをつける。

病気に負けず、生涯現役

Q:今、外国は定年について日本の状況とちょっと違いますから、私たち、留学生としてはほんとに興味を持っています。

あ、そうなの? 日本でも、一応60歳で定年ですよね。定年になったら退職金もらって、好きなことをやるというのは、日本の社会ですね。まあ、みんなはそうですけど、私の場合、定年っていうのは、自分の店をやってたからないですね。だから、ずっとやっていた。病気をしたので、やめたんです。
60歳で脳に腫瘍が見つかってもう死ぬなと思いましたよ。でも私の場合は良性の腫瘍だった。手術はしてないです。このちょうど真ん中に1センチぐらい今でも腫瘍があるんです。悪性じゃないけど、大きくなる可能性があるんです、大きくなってくると、視野が狭まってくる。視野が狭まってくると、腫瘍が大きくなって来たなーということはわかるんですけど、いまは影響はないです。60歳のころは、年に三回、MRIという検査をやりました。今は、年に一回だけです。

Q:そのときほかの道を考えましたか。

お店をやめたとき60歳でしょう、だから自分の思っていることできないですよね。例えば私が警察官になりたいと思ってもダメですよね。選択肢が少なくなってる。その選択肢の中で選んだのが日本語教師です。皆が日本語を勉強するのに苦労しているじゃないですか、それで少し手伝い出来ればいいなーという気持ちから、日本語教師をやろうと思った。店をやめて一年ぐらいかな、日本語の養成学校に行って、代々木にあったスクールに通って勉強した。

Q:日本語の先生はどうですか?

まあ、楽ではないですけど、楽しいは楽しいですね。ストレスはないという感じですね〜、学生の皆さんと過ごしています。とくに、日本のことをよく知らない生徒さん達に日本のことを教えるのはとても楽しく感じています。

Q:どういう時に、日本語の教師としていいなと思いますか。

生徒に分かってもらった時ね。例えば、前に「あいうえお」もなにもできなかったインド人の生徒がいて、全部平仮名から教えて、片仮名も全部教えて、1年ぐらいして、N4の試験を受けて合格した。それはうれしかったね。だから、もちろん、教えたのもそうだけど、その彼がすごく努力したことが凄く嬉しかった。教えたことをわかってくれて、理解してくれて、今度は試験に受かって、というのが、やっぱり、嬉しいよね。

Q:生徒たちの頑張ってる様子を見てると、感動しますね。

そうそうそう、それは嬉しいよね。

学校の遠足 竹村先生と学生たち

充実した生活をめざして

Q:先生は今も料理をやっていますか。

やっていますよ、たまに、家で。私の娘は私の天ぷらが大好きで。家でも天ぷらパーティーやりますよ。この間も孫の誕生日だったかな、パーティーやりたいから、てんぷらやってくれって呼ばれて。

Q:趣味はボートだそうですが、どこかに行きますか。

家族とか友達とか、みんな一緒に、八景島アミューズメントパークっていうところへ船で行って、そこでご飯食べて帰ってくるっていうことあるね。ロータリークラブ知ってる?

Q:知らないです。何をするクラブですか。

慈善、親睦と慈善団体のロータリークラブっていうのに入ってるんだけど、世界的な集まりで。例えば、留学生を支援したりとか、それから、ミャンマーに井戸を掘ったりとか、そういうようなこともやってる。
会員を集める仕事だとか、いろんな仕事をするけれども、いま私の入ってるロータリークラブは、例えば、障害者、目の見えない人、耳が聞こえない人、ちゃんと話しができない人、そういう人たちを集めて、先生たちがその子たちにいろいろ教えてるんだけども、その子たちが集まって一緒に発表会、例えば、音楽の発表、太鼓をたたく、歌をうたう、そういうステージがあって、発表してもらう。身障者と一緒にやるのは楽しいよ。差別しちゃダメ、と思うよね。ちゃんと手伝いしてあげよう、助けてあげる。耳が聞こえない人とか、色々な人がいるでしょう。そういう人たちを助けてあげるっていうのは大事なことだと思うよ。

ロータリークラブ

(インタビュー:2017年5月)

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  • 私はいま心身の疲れな抜けない状態なんですが、この記事から前を向く勇気をもらいました。ありがとうございます。

    2018-4-18

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