諦めずに進んだ先に見つけたもの

秋田大学

諦めずに進んだ先に見つけたもの

PEOPLEこの人に取材しました!

Yummiさん

アーティスト

秋田テレビ開局50周年イメージソング『未来へ』で「百年先で君をずっと笑顔にしたい」と歌うYummiさんは、みんなの幸せのために自分の気持ちを歌にのせる。
東京でメジャーデビューし、現在は秋田で「CHARMGIRLS」をバックダンサーに携え、ソロアーティストとして活躍している。歌手としての活動に加え、「EXPG STUDIO SENDAI」のヴォーカル講師、FMのDJ、Youtuberでもある。
アーティストになるためにどんな道を通って今にたどり着いたのか。難しかったことは何か。アーティストになりたい若者たちは何から始めればいいか。多彩な才能を持つYummiさんにインタビューを行った。

人生の半分以上はずっと歌って、踊っている。

Yummiです。出身は埼玉県。今は秋田でアーティストとして生活しています。2004年にメジャーデビューしました。どういう芸名にするかという話が出た時に、自分の運をアップさせる画数にするために、二つの「M」をアーティスト名に入れました。

子供の時に唯一興味があったことは歌を歌うことだった。お父さんはすごい歌がうまくて、よくカラオケをしていた。お父さんの歌を聞いていたのが歌を好きになるきっかけだった。
歌手になりたいと両親に言ったとき、めっちゃ反対されて2年くらい説得した。両親が反対していたときは、誰も応援してくれていなかった。自分一人で続けた。私が行っていた学校は女子校で、みんな医者を目指したりして賢かったの。私の夢は誰にも理解してもらえないと思って、友達には恥ずかしくて、話せなかった。
1996年までずっと両親にお願いして、やっとOKもらって、スクールに通いだした。14歳、中学2年生のとき。私は専門学校とか、サークルとかには入らずに、プロの歌手を目指す養成所に通った。養成所で歌とダンスのレッスンを始めて、ステージに立ち始めた。養成所は千葉県にあったので、埼玉県から片道2時間くらい毎日通っていた。

1999年に「C-DRiVE」というアイドルグループでデビューして、アニメのエンディングテーマを歌っていた。初めてのCDは「GEAR戦士電童」という当時テレビで放映されていたアニメの主題歌だった。『機動戦士ガンダム』を制作した人たちが作ってくれた。
18歳のころから、原宿にあるレコード会社「avex」の学校にも通って、作詞を始めたの。2003年にオリジナルポップスジャンルの「FORTUNA」というバンドの活動が始まった。2007年にプロダクションが変わって、「RAGDOLL」という名前で再デビューした。RAGDOLLとFORTUNAはメンバーは同じだったけれど、歌のジャンルがダンスミュージックに変わった。RAGDOLLの時はやりたいことをやらせてもらえる事務所だったから、本当に好きな歌を歌って踊ることができるようになったの。自分では、いろいろやりたい音楽がいっぱいあるんだけど、自分に一番似合っているのはJポップスだと思う。

2012年から今までソロアーティストとして活動している。縁あって秋田に来たとき、友達が一人もいなかったけれど、CHARMGIRLSというバックダンサーのみんなに助けられている。CHARMGIRLSは私のダンス教室の生徒なの。全員がバックダンサーのオーディションを受けてくれた。8年前から始めた子がいれば、最近入った子もいて、全部で10人くらいいる。その中から3人がプロのダンサーを目指して、東京に行ったので、東京でライブをする時はその子たちが出演するの。
最近は自分の歌がみんなにもっとよく届くように作っている。「未来へ」とか「桜降る街」とか自分で作詞した歌もある。コロナの自粛期間中に自分で作詞、作曲した「明日へつないで」という秋田のCMソングもある。

「Akita」vs「Tokyo」

東京と秋田ではアーティスト活動にめっちゃ違いがある。例えば東京ではテレビやラジオなどメジャーに出るほうが多かったので、あんまりファンの人と直接お会いしたりしなかった。秋田では、地元のすぐそばでダンスのレッスンやライブをしたりしているから、生徒たちもお客さんも地元の皆さん。なので、ファンの心を近くに感じる。
それから東京ではスタッフと活動していたけれど、秋田ではたくさんのことを自分でやるようになった。でも、秋田でもお世話になっている人たちがいる。例えば、プロモーションビデオのアイデアは自分で考えるけれど、ビデオ自体は人に作ってもらっている。「未来へ」と「桜降る街」の作詞をしたり、歌を歌うのは自分だけど、作曲は東京にいる人に依頼して作ってもらった。CDの売り込みと宣伝は自分でやって、マスターリングなどは由利本荘市でのスタジオの人にやっていただいた。「ゆみちゃむ」というユーチューブチャンネルのビデオも同じ。撮影は自分だったり、レコーディングしているスタジオの人にやってもらったりするけれど、編集してくれる人がいるの。

写真提供:Yummi

体験から得たもの

アーティストになるために必要なことはいくつもある。小さい目標でもいいから、叶えられそうなものをちょっとずつ叶えていくこと。例えば、この学校に入る、次は学校で一番になるとか、そうやってちょっとずつ最終目標のメジャーデビューに向けて頑張っていくこと。
だいたいみんな歌手になることを諦める。何が大変かというと、やっぱり歌手ってメジャーデビューできるのは本当に一握りっていうこと。私がメジャーデビューしたときは5000人のオーディションで、その中から選んでもらったの。だけど、デビューするまでの6年間、100個以上オーディションを受けて、落ちて、デビューできなくてっていうのをやり続けた。2004年3月22日、20歳になる前日には、歌手になることを諦めようとしてたの。デビューが決まってなくて、「あ、もうダメだ。オーディションも受けてないし、諦めるしかない」って思ってたの。でも、次の日、3月23日誕生日のお昼ぐらいに電話がかかってきて、デビューが決まったの。すごいでしょう。やめずに進んで、20歳で本当に夢がかなったの。6年間何百個もオーディションに落ちれば諦めてしまうと思う。でも、歌手になるために一番大事なのは、絶対に諦めないこと。

アーティストとしてデビューしたら、チャンスがありそうなところへ行くのも大事。例えば、私は浜崎あゆみという歌手の歌に関する仕事をしていたときに、その歌の作曲家さんのつながりで、「AVEX−CHAINA」の作曲家さんと交流することになったの。そして、歌手の「ALAN」という女の子に作詞することになった。若いうちはとにかく自分の夢に近づくために、いろんなところに行くというのが大事。
周りの人と協力することも必要。歌手の周りにたくさんスタッフさんがいる。コンサートするときにはプロデューサーと、プロダクションのマネージャー。楽曲を作るときには音楽ディレクター、レコーディングしてくれる人、エンジニアさん、演奏してくれる人、ダンサーの人たち、衣装のスタイリストさん、ヘアメイクさんもいる。CDを売ってくれるプロモーターという人たちもいる。テレビ番組に売り込んでくれるプロモーターもいる。
もう一つは、どんな場でも自分をアピールすることが大事。私はいろいろな雑誌のモデルをしていたの。モデルをやって学んだことは、どうしたら服がよりよくみせられるかとか、どうしたら足が長く見せられるかとか、そういうこと。すごい勉強になった。今、CDのジャケット写真を印刷するときとかに役に立っている。モデルをやっているときに、栄養とかも学んだ。
最後は、アーティストになってからも、人との縁を大切にした方がいいということ。自分一人で活動できているのかというとそうではない。自分は何に生かされているのか。そういうことを考えると、家族も仕事も学校も人との縁がやっぱり一番大切なの。

写真提供:Yummi

日進月歩

これからしてみたいことがすっごくいっぱいある。日本の色々なところでライブをしているから、次はアジアに進出したいなぁと思っている。コロナが落ち着いたら、本当に色々なところでたくさんライブしたいし、いっぱい曲を作りたい。私は安室奈美恵さんみたいに42、3歳くらいまでは絶対にずっと歌って踊り続けるつもり。
できることは無限ではないと思う。例えば、80歳になっても現役できるかというと、それは厳しいじゃん。もしかしたら、踊れなくて歌うだけかも。でも、歌って踊るスタイルが大好きだから、日本全国、アジア圏内にもっと伝えて、届けていきたい。アイドルさんがいっぱいいるんだけど、ソロアーティストで歌って踊る人はあんまりいないからデビューしたい子たちに指導もいっぱいしてあげたい。
年を取るごとに劣化していくのではなく、輝いていきたい。外見一つにしても、昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分がさらによくなるようにと思って、私は生きている。

写真提供:Yummi

やっぱり経験をしなきゃわからないこともあるので、みんなには一つ一つの経験を明日へつなげる努力をしてほしい。毎日毎日のことで無駄なことは絶対ないから。そのすべては進化していくものだから。

Yummiさんのインスタグラム:@Yummidoll
YouTubeゆみちゃむチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UChLhuMGFRJxZghD58nxFVJQ

(インタビュー:2020年7月)