辛い気持ちを抱えながらも絵を描く喜び

成城大学

辛い気持ちを抱えながらも絵を描く喜び

PEOPLEこの人に取材しました!

金原寿浩(かねはらとしひろ)さん

美術家

1962年東京生まれ。1995年に群馬県の桐生市に移り住み、そこで制作活動を行っている。福島第一原子力発電所事故や沖縄の基地などの社会問題に対して、美術で自分の意見を表現。また、ジャスミンという分身として自らジェンダー問題にも切り込む。現在、作品制作活動のかたわらアート系専門学校で講師として美術を教えている。

頭の中はいつも作品のこと

Q:美術の道に進むことになったきっかけは何ですか?

小さい時に絵を描くのが大好きだったんですね。スポーツとか音楽とか、興味があってやったりもしたんですけども、なかなかいい結果が出なくて、やっぱり絵を描くことが一番得意で。

8歳の時に大阪で万国博覧会というのがあったんですね。いろいろな国のパビリオンがあってそれがとてもユニークで、子供心に強い興奮と関心を持ったんです。ですから、美術といっても絵だけではなくて、立体のものとかデザインとかにも結構興味がありましたね。中学生ぐらいの時から大人になったら何か絵を描いたりということをしたいなと考え始めて、高校生の時に専門的に勉強しようと始めました。最も影響を受けた人はゴッホです。

Q:普段の休日は、どうやって過ごしていますか?

休日はあんまりないですね。学校の授業がない時は、自分の生活をしてます。自宅にいるとかショッピングに行ったりとかしている時でも、どこか頭の中では、作品のこととかを考えていたりするので、完全にお休みですっていう感じは、気持ち的にはあんまりないですね。

Q:アトリエはどんな感じですか?

アトリエに入って、まずはすごく落ち着きます。気持ちよくなる。それで、気持ちもすごく集中しますよね。それは、自分の生活、自宅とは違う。自宅はやっぱりリラックスするための場所だと思うんですが、アトリエの場合は、リラックスしながらも作品を作っていく場所なので、リラックスしながらいろいろなことを考えて気持ちを昂らせ(たかぶらせ)ていく、そういう場所なんですね。

 Q:どんな作品を作るのが一番好きですか?過去に作った作品で一番誇りを持っている作品は何ですか?

いろいろと変わってきましたけれども、現在はすごく大きな、ビッグサイズの作品を描いていますね。桜の木がずっと描いてある、あの絵はやっぱりいい作品だと思います。制作には1ヶ月から2ヶ月くらいかかりました。

Q:他の現代の日本のアーティストと比べたら、金原さんは何が一番違うと思いますか?

1つ目は作品が大きい。絵がモノトーン。White & Black。あとは、「フクシマ」の暗い絵を描いてますけれども、その中に優しさとか愛情とかが少し込められていると思います。

夜ノ森哀歌

フクシマを描く理由

 Q:自分で作った作品から、インスピレーションを得ますか?

ここ10年、11年くらいはずっと同じようなテーマで作品を作ってるんですけども、このテーマというのは主に「フクシマ」です。11年前に福島や東北地方で大きな地震と津波があって、大きな災害が起きましたね。そのことをテーマにずっと描いています。最初の頃のとてもひどい状況が時間が経つにつれて現地の状況は少しずつ改善されていますね。この状況も描いているのですが、初めの頃のひどかった状況とかももう1回取り出して作品にしたりしたこともあります。

Q:金原さんの「海の声」(2021年個展)というギャラリーについての記事を読みました。福島の事故に個人的なつながりがありますか?

個人的にはないですけども、私が住んでいるところが群馬県というところで、福島県から少し離れていますけども、福島の核発電所が爆発した時には、群馬にもたくさん飛んできたんですね。そういったことでは、離れてるけどけっこう被害を受けてるんですね。

Q:「海の声」のギャラリーの準備はどのくらい時間がかかりましたか?

やっぱり作品にするには、福島や東北に取材に行って向こうをたくさん歩いて、いろんな対象を探すんですけど、そういう準備もあるんです。あとは、アトリエに帰ってきてから現地で見た様々な状況を、どんな作品にしようかどんな絵にしようかというのを考えています。そういった準備というのも大切だし、時間はたくさんかかりますね。

Q:福島は今でも日本では一番大きな問題だと思いますか?

そうですね、今でも11年前と変わらない大きな危険な問題ですね。これを何とかしないと福島だけではなくて、間違えれば日本だけではなくて世界中に大きな被害をもたらす可能性が十分ありますね。

Q:金原さんの作品の表現はとても特別でインパクトがあります。どうしてこのようなテーマを選びますか?

どうして?そうですね、難しいですね。世の中で起きるいろんな出来事、事件とか事故とかたくさんありますよね。一見、自分とは関係のないような遠い場所で起きたり、全く知らない人が何か事件を起こしたり巻き込まれたりしているのを、形を変えて常に、何かが自分の身の周りに繋がってきている気がするんですよね。どこかで何かが起きると、誰かの生活に影響したり健康に影響したり考え方に影響したり、さまざまな形で影響があるんで。そういったことを自分の身の周りにあることというふうに理解して作品に描いたりしていますね。

政治的なことも含めて特に今日本はずっと良くない時代が続いていて、国の力も落ちてきて、国民の所得も落ちてきて、世の中のモラルも落ちてきて、どんどん悪い方向に向かってますね。日本で暮らしてる人たちの生活というのはとても苦しくなっています。そういったことは自分が作品を作る上では切り離して考えることができないので、毎日身の周りで起きていることや自分が影響を受けることについて、発言をして、アートとして発表するということは、私にとってはすごく重要な動機になっていますね。

Q:作品を作成している途中には、辛いことや楽しいことはありますか?一番辛いこととか楽しいことは何でしょうか?

そうですね。私が最近作ってる作品ていうのは、あんまり楽しい作品ではないんですね。いろいろなところで起きている辛いことを作品にしているので、気持ちもどこか少しは辛い気持ちを持ちながら作品を作っています。でもアーティストがする仕事はジャーナリズムとは違うので、辛い部分をただ辛いと言ってるだけではダメなので、そのあたりも何か希望を見せたり、作品として美しくなければつまらないと思っていますので、辛い気持ちを抱えながら絵を描いてみるという喜びというのが結構あるんですね。その辺はなかなか他の人にうまく説明できないですし、すぐには理解してもらえないかもしれませんが、そういった楽しい気持ちと辛い気持ちを両方持ってやっているので。楽しいこと、やっぱり、作品ができ上がっていく、自分の頭の中で考えたこと、現地に行って見てきたことは、自分を通して1つの絵になる、作品になるという喜びはすごく大きいですから、そういったところに楽しみを感じているかもしれないですね。

明日なき世界

コミュニケーションもアートの役割

Q:現代、金原さんはすごく面白いと思うアーティストはいますか?

福島の作品をグループで、「もやい展」という名前でやってるんですけども、そこに参加している方はやはり素晴らしい方がたくさんいる。

Q:初めての展示会をやった時の感想について聞きたいです。

えーと、学生の時、私一人だけではないですけども、仲間大勢で30人くらいかな、大きな場所を借りて展示をしたのが初めてかもしれないです。その時はどんな気持ちだったのかな?学生時代だったから、作品の質があまり良くなかったのですが、これを、たくさんの人が見る場所に展示をして見てもらうのが、すごく不安でしたね。恥ずかしくもあったし、不安だったし、評価してもらえなかったらどうしようという気持ちは結構大きかったですね。

 Q:一番印象に残っている作品展は、どれでしょうか?

去年、丸木美術館というところで私のすごく大きな個展「海の声」をしたんですけれども、これはここ10年、11年間にできてきた作品をたくさん並べる展覧会でしたので、それは印象に残っています。あともう一つ、「フクシマ」をキーワードにしたグループ展「もやい展」では、たくさんのアーティストが福島に寄り添って、福島が今抱えている問題をテーマに作っているので、そこでは、他の人が素晴らしい作品を作っているので、そこで刺激を受けたりもしますし、見にきてくれたお客さんとの会話や交流がたくさんあって、それは私にとってはすごく大事なので、印象に残っている展覧会ですね。

Q:見に来る人とは普通に会話しますか?

しますね。中にはときどき何も喋らないで黙って見て黙って帰る人も大勢いますけれども、絵を見て、いろいろとその人の感想とかを言ってきたり、質問をしてくれたり、それで普通の話がやり取りができる。

私の考えと相手の考えが違うこともよくあります。私はこう考える、相手はこう考える、それは全然違っているところがたくさんあるので。逆にアートの大切なところは、作品を見てもらうだけじゃなくて、いろんな考えを持っている人が集って話し合う。それぞれの考えを理解したり、相手を理解する。考え方が違うこともちゃんと理解する。そういうふうになった方が話も、もっとたくさんいい話ができると思います。アートの役割というのは、そういうコミュニケーションも中に入ってる。あとは見ていただいたお客さんのイメージや意見、考え方の違う人と出会ったり、話し合うっていうこともすごく大きな収穫だと思います。

Q:見た人のレビューは金原さんにとって大切ですね?

そうですね。とても大切だと思います。学校を卒業してからは、大きく誰かに習うということはなかったので、自分で作品作りながら考えて。でも、絵を見てくれた人がたくさんのことを教えてくれるので、いろんな人から、大勢のお客さんからいろんなことを教えてもらったのは確かです。私の考えを出しているんだけれども、受け取る人は、たくさんのいろいろな受け取り方をしてくれるので、してくれるというか受け取り方をするので、それも、いい反応も悪い反応も大事にしたいし、とても大切だと思います。

 Q:その中で見てくれる人と話した中で一番印象に残った話は何でしょうか?

えーと、福島は発電所が爆発したので放射能による被害が多く出てて、みんな故郷がなくなって、そこに住めなくなって、他の場所で暮らしているわけですね。だから福島の人たちは直接被害を受けています。沖縄は沖縄で、やはり戦争の問題から始まって今でもアメリカ軍の基地がたくさんあって、日々現実の中で暮らしをしていますよね。福島とか沖縄とかと違う会場で展覧会をすると、皆さんそういった状況は知ってるんだけども、自分の暮らしと関係がないとみんな思っていて「福島や沖縄の人たちは大変だね、かわいそうだね」と言うだけなんですよ。「あちらの人たちは大変ですね」と言うだけなんですね。被害を受けていない自分たちは、普通に暮らせているので安心してるんですけれども、そこはすごく私にとっては大きな疑問である悲しい反応なんですね。当然私としては、自分のこととして考えてくださいねという気持ちで作品を描いているんだけれども、それについてくる人もいれば、自分には関係ないわという人もたくさんいるんですね。そういうお客さんは、私としては少し悲しい、意外な反応でしたけれども、逆にすごく印象に残りましたね。

ガジュマルの唄

「ジャスミン」という分身

Q金原さんは、ジャスミンとして女装をしているんですよね。ジャスミンのことをちょっと話したいです。ジャスミンは誰ですか?

ジャスミンはもう一人の私です。私の部分でもあるけれども、独立した一人の人間としても存在しているかもしれない。

Q:女装をしている時に、周りの人はどんなふうに見るんですか?

周りの人ね。女性はすごくwelcomeで喜んでくれます。男の人もそういう人いるんですけど、「ちょっと、どうしたの? どうしちゃったの?」という人もいますね。だから女の人の友達がたくさん増えます。

ジャスミン

Q:金原さんがジャスミンになるとき、それは何のためですか?

うーんと、金原寿浩、私は男ですね。ジャスミンになるまではずっと金原として男だったんですね。アーティストなので、なるべく世の中の出来事をよく見たいと思っていたし、女性が差別されている問題とかも知識としては理解していましたけど、一度ジャスミンになってみたら違っていた。私としては公平にその頃考えていたつもりだったんですが、女性になってみたら男の目線でしか世の中を理解していなかったということに気づいたんですね。ですから、そういった意味では、私はジャスミンになることも凄く重要なミッションとしてやってきましたので、特に作品の展覧会を開いてたくさんの人に見てもらうとか、ジャスミンにチェンジしてそれで作品と一緒に、私自身も見てください、私がそれについて体験した出来事を話しして、男の人と女の人が持っているギャップを少しでも小さくしたいというメッセージも発信しています。 ジャスミンは一番最初は私が作ったんですけども、いろいろな人とたくさんコミュニケーションをしていくうちに、みんなにたくさんの友達にジャスミンを育ててもらっている、そんな感じがします。

アイ ヲ アゲル ヨ

人生を楽しむことが目標

Q:これからの目標は何でしょうか?

目標ですか?まず私自身は死ぬまで幸せでいること。人生を楽しむことが最大の目標です。それと同時に一人でも多くの人たちに同じように幸せになってもらいたい。世界中の人たちも。それが大きな目標です。

Q:同じ夢を目指してる人、美術家になりたい人に一言お願いしてもいいですか?

まずこれからアーティストになろうとしている人たちは、自分がやってることを楽しむ。そしてその楽しみをいろいろな人たちにたくさん分けてあげてください。アーティストを目指しているあなたたちもすごい辛い思いを、大変な思いを抱えて暮らしてると思いますが、あなただけではなくて他にもたくさん辛い状況の人たちがいますので、そういう人たちのことも考えて、そういう人たちももっと良くなるように、元気になるような、そんな作品を目指して作っていってください。

(インタビュー:2022年11月)

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