義足のプロダンサーとして生きる。大前光市さん

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プロのダンサーをめざし厳しい練習に耐えきた人がオーディション前夜に片足をなくしてしまったら、どんなに絶望するだろうか。しかし、大前光市さんは片足をなくしたことには絶望しなかったという。プロダンサーになるのだという強い思いは現実のものとなり、リオパラリンピック閉会式セレモニーで4連続バク転をした大前さんの「んじゃめな!」

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義足のプロダンサーとして生きる
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事故に遭った翌朝、足を見たら2倍に腫れあがっていました。そして激痛。でも、金森穣さん率いるダンスカンパニー「Noism」のオーディションのことしか頭になくて、車椅子で病院を出ようとしました。もちろん止められましたが、こんなことでは諦められない。それほどの努力をぼくはやってきたんです。

4ヵ月後、できたばかりの義足をはいてスタジオに行きました。スノー靴を履いているような感覚だったものの、すんなり歩けたので、その調子で踊れるだろうと思っていました。しかし、事故前には目をつぶっていてもできていた動きがまったくできない。ジャンプをしたら思いっきり転ぶ。何回やっても転ぶ。気がついたら、四つん這いになったまま声を上げて泣いていました。このとき事故に遭ってから初めて挫折を感じたのです。

それでもNoismに入るという「山頂をめざすこと」しか考えられませんでした。どんなルートでもいい、どうすれば登れるのだろう。義足がよくなればまた踊れるはずだ、そう思いました。自分でも研究しながら、義足技師に頼み、いくつもいくつも義足を作ってもらいました。並行して、Noismのオーディションを毎年受けました。でも、5年目だったか、穣さんに「きみはNoismのダンサーにはなれない」ときっぱり言われたのです。それはすさまじい絶望でした。今までぼくがやってきたことは何だったのだろう。「足があるダンサー」と同じように踊りたいと思って努力してきた。でもぼくには足がない。自分がずっとめざしていたあの世界には決して戻ることはできないということがようやくわかったのです。現実を受け入れるのに1年かかりました。

◎新たな目標
自分ができる動きでプロのダンサーになる。これがめざすべき新しい山頂になりました。足に負担をかけず身体を動かすために、ストリートダンス、ジャズダンス、モダンダンス、日本舞踊、さまざまなダンスを習いました。
そんなときに出会った舞踊家の佐藤典子さんがぼくにこう言いました。「義足をはずして踊ったらどう?」
そういう作品をつくるからと言って、できた作品は「足のないカナリヤ」。
実際に義足をはずして踊ってみると、動きやすいし、痛みから解放されました。そして何よりも自分にしかできない踊りができるかもしれないと、自分の可能性が広がったように感じました。

現在は「Alphact」という団体に属しています。ここには独立して活動しているアーティストがいて、いっしょに作品をつくろうという団体です。自分にしかできないダンスをぼくは追求したい。障がいも魅力にして、もっともっと自由に、もっともっと感動してもらえるダンスを踊りたいんです。


大前光一さん出演の公演
Company Little Wisdom "Triple Bill"(作・演出:原田みのる、2017/12/9~10、岸和田市立浪切ホール)
http://dancesite.press/triplebill/

くりっくにっぽん「もっと自由に踊りたい」(記事)
https://www.tjf.or.jp/clicknippon/ja/mywayyourway/10/post-26.php

くりっくにっぽんmeets 義足のプロダンサー大前光市(動画)
https://youtu.be/0rquSDlqtxo