違いにとらわれず本質を見る。イオ・パヴェルさん

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尺八との出合いは、10代のときに観た1本の映画でした。それは「Baraka」(1992年制作、ロン・フリック監督)という、世界各国の大自然や人間の営みを映し出したドキュメンタリー作品でした。この映画のオープニング音楽に使われている楽器の音色と音が醸し出す雰囲気に惹かれたのです。何の楽器だろうと調べるところから始めました。

尺八と突き止めるや、友人、知人を頼って取り寄せました。手にしたのは、運指表とセットになった尺八で、音自体はすぐに出せました。声楽家で合唱の教師だった母の影響もあり、幼い頃から音楽を習っていましたし、特に笛は好きで、よく触れていたからだと思います。息をしないと生きられない人間が、その息を使って音を出す。笛はとても人間らしい楽器だと思うのです。

大学の専門は音楽ではありませんでしたが、モスクワで尺八の手ほどきを受けられる機会を探しては足を運び、邦楽の演奏家を多く招聘するモスクワ音楽院の世界民族音楽教室に足繁く通い......と動き回っているうちに、気がついたらモスクワにおける尺八の第一人者と呼ばれるようになっていました。良縁に恵まれ、演奏活動の拠点を日本に移したのは、2013年のことです。

◎違いを見ることにメリットはない
来日してからこれまで、何度も、「なぜロシア人が尺八を?」と質問されます。でも私にとっては、何も特別なことではありません。たまたま尺八という楽器に出合って、道をここに絞ったわけですが、どんな楽器でも行き着くところは同じだと思っています。

もちろん、最初に尺八演奏の基礎を学ぶ必要はありますが、その後追求するのは楽器ではなく音楽です。そして音楽は、邦楽であろうと、西洋音楽であろうと、ルーツは一つだと思っています。例えば、「六段の調べ」という箏の楽曲がありますが、現存する最古のクラシックといわれるグレゴリオ聖歌に影響を受けたのではないかという説があります。その真偽はともかく、どこの国の音楽にも、いつの時代の音楽にも共通するものはあります。ジャンルとして分かれていますが、その違いを強調することにメリットはありません。むしろ、音楽そのものの素晴らしさを感じる妨げになってしまうと思います。

◎より多くの人と、音楽を共有するために
日本での活動が4年目を迎えたこの春、東京芸術大学に入学し、改めて尺八の古典を学び始めました。古典音楽がなぜ名曲として引き継がれ、長い歴史を経ても光り輝いているのか、その理由を探り、演奏に反映させていこうと思います。

私たち演奏家は、作曲者と聴衆をつなぐ存在です。作曲者が楽曲に込めたメッセージをどう解釈し、どう伝えるか、それこそが演奏家の役割です。そして、音楽だからこそ、国、人種、年齢、時代すらも超えて伝えることができるのです。より多くの人に、音楽との交流を楽しんでもらいたいと思います。

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