りんご記念日応援団 内館牧子さん

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一流企業として知られる職場に辞表を出し、脚本家になる思いを貫こうとした内館牧子さん。若さゆえの決断を温かく見守ってくれた上司の姿が、今も脳裏に蘇るそうです。

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▼キャリアを捨て、脚本家に。日本語を貫きます!
昭和58年7月31日、私は13年半にわたる会社員生活にピリオドを打った。
暑い夏の日だった。
この写真は、私が退職する日の朝、最後の出勤日に自宅近くで撮ったものだ。
脚本家の仕事など、先々に何ひとつないのに、世界に名を馳せている一流企業をやめてしまったのである。若さとしか言いようがない。
退職したいと課長に伝えた時、びっくりして呆然と私の顔を見つめた。
「脚本家になる......って、そんなものに急になれるのか」
「なれません」
「仕事はあるのか」
「全然ありません」
「なら、ここにいろ。危ないことするな」
「でも決心しました。会社は居ごこちがいいので、今やめないとずっと居ますから」
「その方が親も安心だろ」
「でも、決心しました。大丈夫です」
課長は黙り、私も黙った。
「決心が固いか......。いつやめる気だ」
「6月10日」
「変な日だな。7月の給料とボーナスをもらってからやめろ。これから生活大変だぞ」
「私、ボーナスもらってやめる女子社員ばかり見てきて、下品だなってずっと思ってました。ボーナス前にやめます」
課長は大声で笑った。
「7月31日付だ。いいな」
正直なところ、有難かった。
「まだ部長には話さないでおく。気が変わったら、いつでも俺に言え」
「ありがとうございます。でも、やってみます」
「そうか......。もし、食えなくてもヘンなバイトするな。俺に相談しろ。いいな」
私はこんないい上司と別れようとしている。胸に迫った。
そして7月31日、私は仕事もないのに全課員を前に、
「私はきっと向田邦子になります」
と挨拶していた。
ふと見ると、課長がメガネを外して、涙を拭いていた。