りんご記念日応援団黒鉄ヒロシさん

  • 記事更新日:

多感な高校時代、ビートルズをはじめとする文化のニューウェーブにふれた漫画家の黒鉄ヒロシさん。当時の空気はどんなものだったのでしょうか?

pic-kh20150803.jpg

▼60年代は、和洋文化の転換期
1962年8月3日。
当時の身分は学生で、進学を美術大学に定めた直後の高校1年生だった。
夏休み期間中もデッサン教室に通っていたが、始めたばかりの僕のデッサン力の程は、自身の査定でも落胆に近く、焦っていた。絵がウマイとおだてられてその気になっていたガキも、既にデッサンを始めていた同輩に比べるとその差は歴然であった。

1962年といえば、あのビートルズがレコード・デビューした年である。レコード店の前を通り過ぎる僕の耳から「プリーズ・プリーズ・ミー」が体内に飛び込んだ気がした。そのショックは、持っていたカバンを取り落とした程だった。

ビートルズの出現を代表とする1960年代は、日本にとっての二度めの文明開化といえる年ではあるまいか。
主だった出来事を並べてもすぐ様に紙幅が尽きようから、更に硬軟で絞りに絞っても「ベルリンの壁の出現」「キューバ危機」「ケネディ暗殺」、映像なら、和では黒澤の『椿三十郎』、洋は『ウエストサイド物語』、TVなら和が『シャボン玉ホリデー』、洋は『ヒッチコック劇場』、――かく、世界情勢も芸能もめまぐるしい程の変化で、とてものこと明治から続いていた健全な立身出世など、今さらなぞる気分ではなかった。

年若の世代は、ちょいと60年代の年譜の上に眼を走らせてみて下さいな。
とにもかくにも、ビートルズを象徴とする焦る気分は学問以外で身を立てねばの方向へと押し流される当時の状況がお判りいただけるのではないか。
冒頭の1962年8月3日の日付であるが、2日後にマリリン・モンロー死亡、翌年には力道山も死亡。
60年代の記念日として3日を特定したのは、僕の誕生日という窮めて私的な理由による。