「読める」ことは「わかっている」ことじゃない。武富波路さん

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高校で中国語を教えてきた武富波路さんが、熊本市内の小学校で中国籍児童のサポートを始めて気づいたこと。外国籍をもつ児童が日本で伸び伸びと生活を送れるようになるために必要なことは?

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大学卒業後、高校で中国語を通算11年教えていたが、昨年10月から特別支援助手として小学校に勤めている。主な仕事は中国からやってきた児童のサポートだ。

来日して半年以上になるというのに、なかなか学校になじめない小学3年生の児童。サポートし始めて1ヵ月たった頃、読めるからといってわかっているわけじゃないということに気がついた。

その子は「おはよう」も言えるし、平仮名も読めて、ちゃんと発音ができる。その上授業中に先生に「わかりますか?」と聞かれると反射的に「はい」と答えてしまう。だから周りは、「日本語がわかっているのに自分の考えや思っていることを言わないのはなぜだろう」と思っていたようだ。

でも、言わなかったのではなく、言えなかったのだ。私と中国語でやりとりするなかで、「わからない」と口に出すことができるようになった。平仮名が文字としてわかっても、それが何を意味するのかわかっていなかった。自分の気持ちを言っても周りはどうせ理解してくれないと諦めてもいたのだと思う。

その児童が最近、授業中に発表したいという意欲が強くなってきた。「中国語で答えたら翻訳してあげるよ」と言うと手を挙げるようになった。そして何よりも日本語を使いたいと思うようになってきた。例えば、「日向と日陰ではなぜ温度が違うの?」と先生が質問すると、日本語で答えたいから日本語を教えてほしいと私に聞いてくるのだ。すごくうれしい変化だ。

ことばだけでなく、マスコミから伝わる偏った中国情報も児童間に壁をつくっているのではないかと思う。

道徳の授業のときに、私は日本の児童にこんなことを聞かれた。

「どうして中国が好きなの? みんな敵だと言っているよ」。

私は驚きながらも「クラスの中国の子のことはどう思う?」と聞くと、「敵じゃない。好きだよ」と返ってきた。少しほっとした。

自分が中国に行ったときに撮った写真を今、整理しているところだ。休み時間に子どもたちといっしょに写真を見ながらおしゃべりをしたいと思っている。そうすることで子どもたちの意識が変わって、意識の幅が広がればいいと思う。

「読める」は「わかっている」とイコールではない。小さなことだが、この認識をもつことから外国籍の児童へのサポートは始まるのだと思う。そして、こうした子どもたちが日本でも伸び伸びと生活ができるようにサポートする人が必要なのだ。