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「高校生のフォトメッセージコンテスト」は2006年度の第10回をもって終了しました。
2008年からは、読売新聞主催「第30回よみうり写真大賞」において、高校生部門として「フォト&エッセーの部」が新設され、
同部門が「高校生のフォトメッセージコンテスト」を継承することになりました。
詳細はこちらをご覧ください。 【読売写真大賞】http://www.yomiuri.co.jp/photogp/
第10回コンテスト(2006年)

第9回コンテスト(2005年)

第8回コンテスト(2004年)

第7回コンテスト(2003年)

第6回コンテスト(2002年)

第5回コンテスト(2001年)

第4回コンテスト(2000年)

第3回コンテスト(1999年)

第2回コンテスト(1998年)

第1回コンテスト(1997年)

最優秀賞
「みっつんの夢」/羽後結

優秀賞
「転校生 −ぬくもりの瞬間−」
/辻幸代

「晶子 −17才の自分−」/熊谷史絵

審査員特別賞
「いつも明るく振舞っている」
/尾崎圭一

「ツツミ −ing」/近藤優美子
「暖かい家庭環境のなかで」
/中川賢史

「彼の真夜中」/岡大輔

奨励賞
「毎日を真剣に遊び楽しむ女の子」
/柳沢真祐子

「晴れの毎日」/村田麻実
「多彩な友だちの活動」/加藤貴紀
「個性を持った輝く笑顔の17歳」
/坂本和子

「純真な乙女」/小野寺幸子
「都会のうちなーんちゅライフ」
/池間由貴
「ある土曜日の賢史君」/前地昭寛
「グラフィックアーツのある高校生活」
/米田成美
「純子の“純”は純粋の“純”」
/横関妙子

「パワフル全開 もうついていけない」
/森田瞳


   
第3回コンテスト(1999年)の入賞作品
 優秀賞  
「転校生 −ぬくもりの瞬間−」
  辻 幸代 大阪府立大手前高等学校 定時制課程
     
  仕事では抱っこして車いすから降ろす作業が多い。この写真ではこれからお風呂に入るところ。このセンターでは「アットホーム」をモットーとしていて、従業員も裸になって一緒に入るのだそうです。数分後にはお風呂場からゆかいな歌声が聞こえてきました。
     
  身内じゃない人を介護をするのは全く初めてなので、とまどったそうです。しかしこの写真の真剣さを見るとそのとまどいは消えてなくなっているように見えます。
     
  彼と少年が出会ったのは1999年の8月。初めは何をするにも、ぎこちなくて、少年を困らせたこともあるそうです。しかし、ゆっくり時間をかけて、お互いの性格(内面)を知り合えたことにより、今ではとても仲良しです。
     
  1999年の4月に全日制の高校から今の学校に転入してきた彼は、人見知りの激しい性格のおかげで学校では見事に親友と呼べる人もなく、いつもひとりでいる孤独な人です
     
  昼は働き、夜は定時制の学校に通うという忙しい毎日を送っている彼。そんな彼の落ちつく場所は大切な人と一緒にいる時だそうです。
 
 
撮影者からのメッセージ
学校で親友と呼べる人もなく、いつも寂しそうに行動していた彼。そんな彼の学校以外の様子を撮ってみたいと思った私は、仕事中の彼を撮ることにした。仕事は障害者の介護をしているのだが、優しい眼差しで少年をみつめ、学校のなかでは見れない本当の彼を見てしまった私は鳥肌がたった。彼の仕事ぶりを見て私自身も撮影を中断し、少年と接することに夢中になってしまった。
 知的障害者・身体障害者の人たちは歩くことが困難なので車いすで移動することになる。彼らと町を散歩していろんな事に気づいた。日本では設備の整った町が増えてきているようだが実際には充分ではない所もたくさんあるのではないだろうか。そしてもうひとつ気づいた事。行き交う人たちが彼らを見ます。特別な目で……。とてもいやらしい目つきをしているのに気がつき、悲しくなった。
 どうしてそんな目で見るのだろうか。障害者だから?彼らは言葉を話しづらくても人間特有の「喜怒哀楽」の表情を持っています(あたりまえですが)。いやな時には目をしかめ、嬉しかった時には周りの人間もつられて微笑んでしまいそうになるくらいのまぶしい笑顔を見せてくれる。そんな彼らを知らずにいる人たちがいるというのが残念だと思う。
 だから、日本だけでなく世界中の人たちがいろんな人と出会い、触れ合い、その人のことを理解してあげてほしい。
 
主人公からひとこと
私は今、障害者の介護の仕事をしています。そのきっかけは、私の兄が18歳のときに交通事故で障害者になり、兄の生活を手つだっているうちに、今の仕事を紹介されました。
 兄のおかげで、ほんとうにいろいろな体験をさせてもらいました。アメリカに行くこともできました。そのとき、「日本の福祉はおくれているな」と感じました。アメリカでは、町に段差がほとんどなく、地下鉄に乗ってもエレベーターがついていました。そのエレベーターも、日本のように狭くなくて、障害者の人にも乗りやすく感じました。