マイ・ストーリー
柳有真(ユゥユゥジン)
ユゥ ユゥジン


わたしはこんな(ひと)
 

 好奇心(こうきしん)がおうせいです。()にいったり、興味(きょうみ)をもったりしたものには、()時間(じかん)()しんで()りくみます。でも、(ぎゃく)興味(きょうみ)がもてないものには、まったく時間(じかん)使(つか)いません。やらなければならないときには、しぶしぶやります。
 固定(こてい)したイメージでみられるのが(きら)いです。だから、そのイメージをこわすようなことをわざとしたりします。
 いつもは(あか)るく元気(げんき)なのですが、いったん(なに)かがあって()ちこむと、どんどん(わる)いほうに(かんが)えてしまって、とことん()ちこむときがあります。そうかと(おも)えば、(ぎゃく)能天気(のうてんき)になることもあります。

 

おいたち
 

(ちい)さいころ
 わたしは1981(ねん)大阪(おおさか)※2()まれました。()まれてすぐのわたしを()て、(ちち)は「()(おお)きい()だなあ」と(おも)ったそうです。
 お人形(にんぎょう)(あそ)びもしましたが、(そと)(あそ)ぶほうが()きでした。幼稚園(ようちえん)小学校(しょうがっこう)低学年(ていがくねん)のころは、ひざにすり(きず)()えなかったのを(おぼ)えています。
 幼稚園(ようちえん)(かよ)っているころバドミントンと水泳(すいえい)(はじ)めました。休日(きゅうじつ)には公園(こうえん)で、(ちち)とキャッチボールをしたり、バットを()ったりしていました。

小学生(しょうがくせい)のころ
 (そと)(あそ)ぶことが()きな活発(かっぱつ)()でした。小学(しょうがく)3年生(ねんせい)か4年生(ねんせい)のときに、(はは)()れられて、千里(せんり)国際(こくさい)学園(がくえん)※1以下(いか)千里(せんり))に転入(てんにゅう)するための面接(めんせつ)試験(しけん)をうけました。千里(せんり)はインターナショナルスクールも併設(へいせつ)されていて、生徒(せいと)国籍(こくせき)文化(ぶんか)背景(はいけい)はさまざまです。(はは)は、わたしにそのような環境(かんきょう)勉強(べんきょう)させることで、視野(しや)(ひろ)人間(にんげん)になってほしいと(かんが)えたのだと(おも)います。でも、わたしは千里(せんり)のことをあまりよく()らず、興味(きょうみ)もまったくなかったので、「この学校(がっこう)(はい)りたいと(つよ)(おも)っているのはだれですか」というような面接官(めんせつかん)質問(しつもん)に、「おかあさんかなあ」と(こた)えてしまいました。これが原因(げんいん)かどうかわかりませんが、結局(けっきょく)(はい)れませんでした。

中学生(ちゅうがくせい)のころ
 小学校(しょうがっこう)高学年(こうがくねん)のころ、3(ねん)ほどイギリスに()っていた(おさな)なじみの麻衣(まい)帰国(きこく)して、千里(せんり)(はい)りました。そして、麻衣(まい)から千里(せんり)(たの)しい様子(ようす)()くようになりました。
 当時(とうじ)、わたしが(かよ)うことになっていた学区内(がっくない)公立(こうりつ)中学校(ちゅうがっこう)はがらが(わる)かったのと、「(いま)までかかわったことのない(ひと)とかかわれるのはいいなあ」と(おも)って、千里(せんり)中等部(ちゅうとうぶ)受験(じゅけん)することにしました。でも、(ちち)反対(はんたい)でした。そのとき、(あね)が「うけるぐらいいいやん」と()ってくれたので、受験(じゅけん)できました。そして、合格(ごうかく)しました。なぜ(ちち)反対(はんたい)したのか理由(りゆう)はわかりません。このときに(かぎ)らず、わたしが(なに)かしようとすると、(ちち)最初(さいしょ)(かなら)反対(はんたい)します。反対(はんたい)する(ちち)説得(せっとく)して、了解(りょうかい)してもらうことがよくあります。その当時(とうじ)は、どうしてそんなに反対(はんたい)するのだろうと、いやになることもありましたが、(いま)は「反対(はんたい)されてめげるようではだめだ」ということなのだろうと(おも)えるようになりました。
 中学生(ちゅうがくせい)のときもスポーツはわたしにとって()かせないものでした。2年生(ねんせい)のときに、小学生(しょうがくせい)のころから(かよ)っていた市営(しえい)プールのインストラクターの資格(しかく)をとりました。学校(がっこう)では、トライアスロンクラブで活動(かつどう)していました。学校(がっこう)(やす)むこともほとんどない元気(げんき)いっぱいの中学生(ちゅうがくせい)でした。

 
 

高校(こうこう)生活(せいかつ)
 

半年間(はんとしかん)小休止(しょうきゅうし)
 中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)()わりごろから、同級生(どうきゅうせい)何人(なんにん)かと(はなし)があわなくなってきました。無理(むり)にあわせようとしたこともありましたが、結局(けっきょく)はだめでした。1学年(がくねん)に2クラスしかない少人数(しょうにんずう)のなかで、(はなし)があわない同級生(どうきゅうせい)がいるというのは(おお)きなダメージです。
 (おな)じころ、家庭(かてい)学校(がっこう)(かんが)えかたに(ちが)いがあることにとまどうようになりました。学校(がっこう)では自主性(じしゅせい)(おも)んじられます。しかし、(いえ)では、「こうしなさい、ああしなさい」と、(おや)(くち)だしすることが(おお)いのです。「ほっといて」と()っても、(はは)干渉(かんしょう)します。また、年上(としうえ)(ひと)意見(いけん)には(したが)うようにと(いえ)では(おし)えられてきました。しかし、学校(がっこう)では自分(じぶん)意見(いけん)()うことが必要(ひつよう)だと(おし)えられ、実際(じっさい)相手(あいて)年齢(ねんれい)関係(かんけい)なく、みんな自分(じぶん)意見(いけん)主張(しゅちょう)します。わたしは、年上(としうえ)(ひと)(たい)して乱暴(らんぼう)(くち)をきいてはいけないと(おも)いますが、納得(なっとく)できないことに(たい)しては、自分(じぶん)意見(いけん)()っていいと(おも)うので、(いえ)でも自分(じぶん)意見(いけん)()ってしまいます。わたしの()うことに(みみ)をかたむけようともせず、「いいから(はや)くしなさい」と()われると反発(はんぱつ)してしまいます。(いえ)()さえつけられていると(かん)じるようになりました。そして、そのうち、(いえ)(いや)になり、学校(がっこう)(いや)になり、(なに)もかもが(いや)になりました。
 こういったことが関係(かんけい)していたのかどうか(いま)でもはっきりとわからないのですが、中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)()わりごろから、突然涙(とつぜんなみだ)があふれだして()まらなくなることがときどきありました。いろいろな(おも)いや感情(かんじょう)()りまじって、自分(じぶん)でも説明(せつめい)ができないような混乱(こんらん)した状態(じょうたい)になるのです。整理(せいり)できない感情(かんじょう)がふくらんでいくのです。そういうときは、授業(じゅぎょう)()ることもできず、また(とも)だちに心配(しんぱい)されたり理由(りゆう)()かれたりするのもいやなので、スクールカウンセラーの先生(せんせい)部屋(へや)()っていました。先生(せんせい)は、理由(りゆう)()くこともなく、ただ、「はい、ティッシュ」とか、「はい、お(ちゃ)」と()うだけで、わたしが()くのをそっと見守(みまも)ってくれました。しかし、混乱(こんらん)した状態(じょうたい)(つづ)き、高校(こうこう)1年生(ねんせい)の10(がつ)休学(きゅうがく)(とど)けを()しました。
 休学中(きゅうがくちゅう)は、カウンセラーの先生(せんせい)相談(そうだん)したり、病院(びょういん)でカウンセリングをうけたり、アルバイトをしたり、トレーニングジムに(かよ)ったり、ときには(はは)2人(ふたり)でバドミントンをしたりしていました。休学(きゅうがく)することになったとき、(はは)()いていたと(おも)います。休学中(きゅうがくちゅう)は、けんかもたまにはしましたが、それまでと(くら)べると、(はは)はわたしを(ほう)っておいてくれました。わたしも自分(じぶん)のやりたいことだけをやっていました。とくに(からだ)(うご)かして(あせ)をかくのがとても心地(ここち)よかったです。それから、(とも)だちのあやとめぐの2人(ふたり)(つづ)けていた手紙(てがみ)のやりとりが(こころ)(ささ)えになりました。
 結局(けっきょく)半年間(はんとしかん)休学(きゅうがく)しました。この半年間(はんとしかん)結果(けっか)をだすようなことをとくにしたわけではありませんが、わたしにとって大事(だいじ)(やす)みの期間(きかん)だったと(おも)っています。

充実(じゅうじつ)した高校(こうこう)生活(せいかつ)
 半年間(はんとしかん)休学(きゅうがく)のあと、1つ(した)学年(がくねん)復学(ふくがく)しました。最初(さいしょ)(すこ)しとまどいましたが、学校(がっこう)には以前(いぜん)からの(なか)のいい(とも)だちもいたし、わたし自身(じしん)クラスの雰囲気(ふんいき)()りあげる努力(どりょく)をしたこともあって、(おも)ったよりもすんなりと学校(がっこう)生活(せいかつ)(もど)ることができました。それからは、生徒会(せいとかい)やクラブ活動(かつどう)(いそが)しく(たの)しい毎日(まいにち)()ごしています。
 高校(こうこう)2年生(ねんせい)の6(がつ)から1年間(ねんかん)生徒会(せいとかい)書記(しょき)をしていました。生徒会(せいとかい)活動(かつどう)は、おもに文化祭(ぶんかさい)やスポーツフェスティバルの企画(きかく)運営(うんえい)です。生徒会(せいとかい)での活動(かつどう)(とも)だちを()やすことができました。また、生徒会(せいとかい)活動(かつどう)をつうじて(おお)くのことを(まな)びました。協力(きょうりょく)することの大切(たいせつ)さや自分(じぶん)(かんが)えをはっきり()うことの大切(たいせつ)さ、また妥協(だきょう)もときには必要(ひつよう)であること、統率(とうそつ)することのむずかしさなどを(まな)びました。そして、先生(せんせい)(なか)よくなれたこと、(なに)かをやりとげたときの(よろこ)びを()ることができたのも(おお)きな収穫(しゅうかく)でした。
 カウンセラーの先生(せんせい)部屋(へや)にはその(あと)もときどき()っています。(いま)(なん)でも(はな)せて、自分(じぶん)(よわ)部分(ぶぶん)()せることができます。とくに(いえ)(おや)とけんかしたことをよく(はな)します。(とも)だちに(はな)すと、「それはいややなあ」というわたしの立場(たちば)にたった反応(はんのう)しか(もど)ってこないのですが、先生(せんせい)だと、わたしの()(ぶん)()いてくれたうえで、(おや)(かんが)えていることも(おし)えてくれます。先生(せんせい)意見(いけん)はなぜか素直(すなお)にきけるのです。

大好(だいす)きなこと:スポーツ
 千里(せんり)のクラブ活動(かつどう)は、シーズン(せい)になっていて、シーズンによって活動(かつどう)内容(ないよう)()わります。わたしは、高校(こうこう)(はい)ってからずっとクラブ活動(かつどう)(つづ)けてきました。4(がつ)から6(がつ)はバドミントン、9(がつ)から11(がつ)まではバレーボール、そして11(がつ)から1(がつ)まではサッカーをしていました。高校生(こうこうせい)になるまで、水泳(すいえい)とバドミントンとトライアスロンしかやったことがありませんでしたが、ほかのスポーツにふれてみて、いっそうスポーツが()きになりました。
 APAC(AsiaPacificActivitiesConference
韓国(かんこく)中国(ちゅうごく)、フィリピン、日本(にほん)のインターナショナルスクール6(こう)から構成(こうせい)されているスポーツリーグ)に、バレーボールとサッカーのメンバーとして5(かい)出場(しゅつじょう)し、優勝(ゆうしょう)上位(じょうい)入賞(にゅうしょう)()たしました。2年生(ねんせい)のときに出場(しゅつじょう)したAPACでは、バレーボールとサッカーで、オールスターメンバー(しょう)をもらいました。これは本当(ほんとう)にうれしい(しょう)でした。
 3年生(ねんせい)のとき、校内(こうない)年間(ねんかん)スポーツ(しょう)で、最優秀(さいゆうしゅう)スポーツ選手賞(せんしゅしょう)受賞(じゅしょう)しました。このときの賞状(しょうじょう)とトロフィーは宝物(たからもの)です。
 今年(ことし)受験生(じゅけんせい)なので、クラブに(はい)れないのが残念(ざんねん)です。勉強(べんきょう)大切(たいせつ)ですが、運動(うんどう)もストレス発散(はっさん)()かせません。だから、今年(ことし)(なつ)も、中学(ちゅうがく)2年生(ねんせい)から(つづ)けている市営(しえい)プールのインストラクターをしました。それからバレーボールの授業(じゅぎょう)(たの)しみです。(からだ)(うご)かすのがうれしくて、(おも)わずはしゃいでしまいます。
 スポーツは、(よろこ)びや(かな)しみ、緊張感(きんちょうかん)自分(じぶん)(ちから)不足(ぶそく)、チームワークや(とも)だちの大切(たいせつ)さ、(ひと)のことを(おも)いやる(こころ)など、(おお)くのことを(おし)えてくれます。勉強(べんきょう)(おな)じですが、自分(じぶん)努力(どりょく)すれば、きちんと結果(けっか)がでるものです。

■2つの文化(ぶんか)
 千里(せんり)(かよ)生徒(せいと)出身(しゅっしん)文化(ぶんか)背景(はいけい)はさまざまです。国籍(こくせき)何十(なんじゅっ)(こく)にもなります。千里(せんり)(はい)るまで、自分(じぶん)韓国人(かんこくじん)であることについてあまり(かんが)えたことはありませんでしたが、いろいろな文化(ぶんか)背景(はいけい)をもつ(ひと)たちのなかにいて、自分(じぶん)韓国人(かんこくじん)であることを(こころ)のなかで主張(しゅちょう)していくようになりました。でも、わたしは「国籍(こくせき)」というものには疑問(ぎもん)(かん)じます。たとえば、在日韓(ざいにちかん)国人(こくじん)3(せい)※3のように国籍(こくせき)()まれた(くに)(ちが)場合(ばあい)、わたしは(はは)韓国(かんこく)()まれなので特別(とくべつ)だと(おも)いますが、ほとんどの3(せい)韓国(かんこく)()ったこともなければ、韓国語(かんこくご)(はな)すこともできません。いくら、国籍(こくせき)韓国(かんこく)だと()われても、実感(じっかん)はもてないと(おも)います。(ひと)を「~(こく)(ひと)」ではなくて、「~の文化(ぶんか)(そだ)った(ひと)」としてみるほうが自然(しぜん)だと(おも)います。
 わたしは、幼稚園(ようちえん)小学校(しょうがっこう)公立(こうりつ)地元(じもと)学校(がっこう)(かよ)っていたので、(いえ)(そと)世界(せかい)は「日本(にほん)」でした。(いえ)では、おもに韓国語(かんこくご)(はな)し、韓国(かんこく)文化(ぶんか)韓国(かんこく)(かんが)えかたで(そだ)てられたので、(いえ)(なか)は「韓国(かんこく)」でした。わたしのなかには、2つの(ことな)なる文化(ぶんか)自然(しぜん)共存(きょうぞん)しています。

 

将来(しょうらい)について
 

 中学校(ちゅうがっこう)(はい)ると、新入生(しんにゅうせい)全員(ぜんいん)、カウンセラーの先生(せんせい)面接(めんせつ)をうけます。そのとき(はじ)めてカウンセラーという職業(しょくぎょう)のことを()りました。それから、先生(せんせい)へのあこがれもあって、カウンセラーになりたいと(おも)うようになりました。
 高校(こうこう)3年生(ねんせい)(あき)受験生(じゅけんせい)だからという理由(りゆう)APAC出場(しゅつじょう)できないことが(くや)しくて()いてしまいました。そのころ、カウンセラーの先生(せんせい)から、アメリカのプロゴルファー、タイガー・ウッズにはスポーツカウンセラーがついているという(はなし)()きました。わたしは、学校(がっこう)のクラブのことでさえこんなに(くや)しくて()いたり、()ちこんだりすることがあるのだから、プロのスポーツ選手(せんしゅ)であれば、その(なや)みはどれほどだろうかと(かんが)えました。競技(きょうぎ)によって、(なや)みは(ちが)うだろうと(おも)います。わたしは、千里(せんり)(はい)ってから(なん)種類(しゅるい)ものスポーツをしたり、スランプに(くる)しんだりしました。その経験(けいけん)をいかしたい、大好(だいす)きなスポーツを生涯(しょうがい)(つづ)けていきたいと(かんが)えているうちに、「スポーツカウンセラー」になるという目標(もくひょう)(さだ)まってきました。
 まず日本(にほん)大学(だいがく)臨床(りんしょう)心理学(しんりがく)勉強(べんきょう)して、そのあとスポーツカウンセリングの分野(ぶんや)(すす)んでいるアメリカの大学院(だいがくいん)留学(りゅうがく)するのが(ゆめ)です。勉強(べんきょう)は、()きか(きら)いかと()かれたら、(きら)いだと(こた)えると(おも)います。でも、「(かがや)かしい未来(みらい)」のためにがんばります。

 

家族(かぞく)(とも)だち
 

■わたしの家族(かぞく)
 (ちち)(はは)(あね)2人(ふたり)、わたしの5人家族(にんかぞく)です。わたしのスポーツ()きは、家族(かぞく)影響(えいきょう)です。(ちち)はずっと野球(やきゅう)チームに所属(しょぞく)しています。(はは)は、高校(こうこう)大学(だいがく)をとおして中距離(ちゅうきょり)陸上(りくじょう)選手(せんしゅ)で、韓国(かんこく)国体(こくたい)にも出場(しゅつじょう)したことがあるほどで、日本(にほん)()てからは、ずっとバドミントンをしています。いちばん(うえ)(あね)は、高校(こうこう)大学(だいがく)もバドミントンの推薦(すいせん)※4(はい)りました。
 わたしの(いえ)では、(おこ)るのは(はは)です。(ちち)(おこ)(まえ)(はは)(おこ)ります。(ちち)(はは)(おこ)っているのを()ているので、あまり(おこ)りません。でも、(おこ)るととてもこわいです。家族(かぞく)のなかに、きちんと(おこ)(ひと)がいることは必要(ひつよう)だと(おも)いますが、わたしの(いえ)(きび)しすぎるし、()どもたちにかまいすぎるところがあります。たとえば、いちばん(うえ)(あね)20歳(はたち)をすぎているのに、(おそ)(かえ)ってくると(ちち)小言(こごと)()います。(いえ)であまり(きび)しくしていたら、1人(ひとり)()らしをしたときにどうなるのだろうかと(おも)います。
 それでも最近(さいきん)は、(きび)しすぎると(かん)じるものの、わたしが(いま)あるのは両親(りょうしん)がいてくれるからだと(おも)うようになりました。だから、両親(りょうしん)感謝(かんしゃ)しています。わたしにとって家族(かぞく)はあたたかな存在(そんざい)です。

■わたしの(とも)だち
 (とも)だちには、(いや)だと(かん)じたり、その(とも)だちがよくないことをしていると(おも)ったりしたときは、自分(じぶん)(おも)っていることをその()()うようにしています。はっきりものを()うので、()きながらけんかをすることもありますが、そのほうがさっぱりしていいと(おも)います。本人(ほんにん)のいないところで悪口(わるくち)()うのは(きら)いです。(とも)だちといつもベタベタしている必要(ひつよう)はないと(おも)います。その(ぶん)()ったときはできるだけ(おも)いっきり(たの)しんで、(いや)なことを(くち)にしたり(かお)にだしたりしないようにしています。
 (とも)だちといると安心(あんしん)します。毎日会(まいにちあ)っていても、(ひさ)しぶりに()っても、家族(かぞく)とは(ちが)うあたたかさと(やさ)しさがあって(こころ)()ちつくのです。

 

わたしのまち
 

 わたしが()東大(ひがしおお)阪市(さかし)※5は、大阪(おおさか)繁華街(はんかがい)から電車(でんしゃ)で15(ふん)くらいのところにある(むかし)からの住宅地(じゅうたくち)です。中学校(ちゅうがっこう)から、大阪(おおさか)北部(ほくぶ)箕面市(みのおし)※6千里(せんり)にある千里(せんり)国際(こくさい)学園(がくえん)(かよ)っているので、あまり地元(じもと)(おも)いいれはありません。むしろ、学校(がっこう)周辺(しゅうへん)公園(こうえん)や、よく(あそ)びに()難波(なんば)のほうがなじみがあります。
 南港(なんこう)は、よく()くわけではありませんが、()きな場所(ばしょ)です。きれいな(うみ)とは()えませんが、(うみ)()ていると、水平線(すいへいせん)感動(かんどう)したり、()気分(きぶん)になれたりして、いつまでも(うみ)をながめていたくなります。

 

ユゥジンってどんな人?
 

■お(とう)さん
 (ちい)さいときも(いま)性格(せいかく)はあまり()わりはなく、(あか)るくて元気(げんき)活発(かっぱつ)で、スポーツがよくできる()です。(ひと)()われなくても、自主的(じしゅてき)()りくみます。(まわ)りの(もの)に「あれをしろ、これをしろ」と命令(めいれい)されると(ぎゃく)(なに)もしない(めん)があります。
 長所(ちょうしょ)は、勝気(かちき)なところ、めんどうみのいいところです。ただ、やりすぎて(まわ)りとの調和(ちょうわ)(わす)れてしまうことがあるので、ときどき(まわ)りにも()をくばりながら自分(じぶん)をみつめてほしいと(おも)います。
 家族(かぞく)のなかでは、いちばん(くち)うるさい存在(そんざい)だけど、それがまたキャラクターなのでしょう。(いえ)(かえ)ると、有真(ユゥジン)がいるかいないか、いちばん(さき)家族(かぞく)()くほど大切(たいせつ)存在(そんざい)です。
 ほかの(ひと)よりも(なに)かとびぬけてできるというよりも、(おも)いやりをもって、社会(しゃかい)団体(だんたい)生活(せいかつ)にとけこんでいってほしいと(おも)います。さらに、そのなかでみんなのためにリーダー(てき)役割(やくわり)()たしたり、自分(じぶん)存在(そんざい)価値(かち)(しめ)してほしいと(おも)います。また、社会人(しゃかいじん)として、一般(いっぱん)常識(じょうしき)範囲(はんい)で、やっていいこと(わる)いことがきちんと判断(はんだん)できるようになってほしいと(おも)っています。(YY-P08参照(さんしょう)。)
「そんなに(くち)うるさいかなあ……」

(とも)だちのエリ
 (とも)だちになったきっかけは、とくにあったわけではありません。クラス(ホームルーム)がいっしょで、funky(ひと)なので、自然(しぜん)(とも)だちになった()がします。(ユゥ)(ちょう)マイペースというよりもハイペース。ものごとは白黒(しろくろ)をはっきりさせる。()きな(ひと)はどこまでも()き。(きら)いな(ひと)(きら)いなことにははっきり気持(きも)ちを(しめ)す。でも、ちゃんと社会性(しゃかいせい)のある(ひと)ではないでしょうか。っていうか、よく()く((わらい))。
 わたしと()ているところは、元気(げんき)!なところ。(なん)でもとことん(たの)しむ(ちから)をもってる。わたしと(ちが)うところは、ちゃんと両親(りょうしん)とかに忠実(ちゅうじつ)でいるところ。ハメをはずしすぎないところ。
  わたしにとってどんな存在(そんざい)かと()われれば、「仲間(なかま)」って(かん)じですね。そんなに(かた)りすぎない(なか)でも、ちゃんとつながっています。つるめる! これから大阪(おおさか)(はな)れても大阪(おおさか)(かえ)ったら()いたい homeのような(ひと)。(YY-P11参照(さんしょう)。)
「エリのハイペースにこそ()けます。エリもわたしにとってはhome(てき)存在(そんざい)!!」

■カウンセラーの先生(せんせい)
 気持(きも)ちの(よわ)くなっている(ひと)(はげ)ましたり、元気(げんき)がでるようなことばをかけてくれる(ひと)だと、カウンセリング(しつ)()生徒(せいと)たちが()っています。みんなを(かげ)(ささ)えている(やさ)しい(ひと)です。生徒会(せいとかい)活動(かつどう)もとてもがんばっていました。(YY-D12参照(さんしょう)。)

 

(ちゅう)
 
※1
千里(せんり)国際(こくさい)学園(がくえん)中等部(ちゅうとうぶ)高等部(こうとうぶ)SIS)は、海外(かいがい)帰国(きこく)子女(しじょ)一般(いっぱん)生徒(せいと)対象(たいしょう)にしている私立(しりつ)学校(がっこう)文部(もんぶ)科学省(かがくしょう)規定(きてい)された高等(こうとう)学校(がっこう)教育(きょういく)課程(かてい)にもとづいた教育(きょういく)(おこな)われている。(おな)敷地内(しきちない)併設(へいせつ)されている大阪(おおさか)インターナショナルスクール(OIS)は、外国人(がいこくじん)生徒(せいと)対象(たいしょう)に、英語(えいご)教育(きょういく)(おこな)われている。SISOISは、音楽(おんがく)美術(びじゅつ)など一部(いちぶ)授業(じゅぎょう)生徒会(せいとかい)活動(かつどう)などを合同(ごうどう)(おこな)っている。千里(せんり)国際(こくさい)学園(がくえん)高校(こうこう)課程(かてい)では、(はる)(あき)(ふゆ)学期(がっき)単位(たんい)学習(がくしゅう)完結(かんけつ)し、学期(がっき)ごとに柔軟(じゅうなん)科目(かもく)履修(りしゅう)ができる。日本(にほん)(おお)くの高校(こうこう)とは(こと)なり、校則(こうそく)はなく、服装(ふくそう)()ちものは生徒(せいと)判断(はんだん)にまかせている。

※2
本州(ほんしゅう)中央部(ちゅうおうぶ)位置(いち)する。(みやこ)のあった奈良(なら)京都(きょうと)から瀬戸内海(せとないかい)への出口(でぐち)にあたる地理的(ちりてき)利点(りてん)をいかし、(ふる)くから日本(にほん)中心地(ちゅうしんち)として(さか)えた。江戸(えど)時代(じだい)(1603~1867(ねん))には全国(ぜんこく)から(こめ)特産物(とくさんぶつ)(はこ)ばれ、「天下(てんか)台所(だいどころ)」とよばれた。明治(めいじ)以降(いこう)西日本(にしにほん)経済(けいざい)中心地(ちゅうしんち)で、京都(きょうと)神戸(こうべ)とともに京阪神(けいはんしん)大都市圏(だいとしけん)形成(けいせい)している。人口(じんこう)(やく)8,812,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※3
日本(にほん)定住(ていじゅう)している韓国(かんこく)朝鮮人(ちょうせんじん)(おお)くは、1910(ねん)韓国(かんこく)併合(へいごう)から1945(ねん)終戦(しゅうせん)までのあいだに日本(にほん)(わた)ってきた(ひと)とその子孫(しそん)である。(だい)2()世界(せかい)大戦中(たいせんちゅう)には、(おお)くの(ひと)日本(にほん)へ「強制(きょうせい)連行(れんこう)」された。在日(ざいにち)韓国人(かんこくじん)朝鮮人(ちょうせんじん)正確(せいかく)人口(じんこう)はわからないが、終戦時(しゅうせんじ)日本(にほん)(のこ)った(かん)(こく)朝鮮人(ちょうせんじん)とその子孫(しそん)で、現在(げんざい)韓国(かんこく)(せき)朝鮮(ちょうせん)(せき)()っている(ひと)(やく)65万人(まんにん)()われる。このうちの(おお)くは()(ほん)()まれの2(せい)、3(せい)である。また、日本(にほん)帰化(きか)した(ひと)やその()ども、在日(ざいにち)韓国人(かんこくじん)朝鮮人(ちょうせんじん)日本人(にほんじん)とのあいだに()まれた()どもなどを()れると、200万人(まんにん)以上(いじょう)になると()われている。

※4
●〔高校(こうこう)推薦(すいせん)入試(にゅうし)通常(つうじょう)学科(がっか)試験(しけん)(おこな)わずに、中学(ちゅうがく)校長(こうちょう)推薦(すいせん)内申書(ないしんしょ)面接(めんせつ)小論文(しょうろんぶん)学業(がくぎょう)以外(いがい)実績(じっせき)(スポーツ(など))などにもとづいて高校(こうこう)入学(にゅうがく)判断(はんだん)する入試(にゅうし)制度(せいど)
●〔大学(だいがく)推薦(すいせん)入試(にゅうし)受験生(じゅけんせい)出身(しゅっしん)高校長(こうこうちょう)推薦(すいせん)をもとに、調査書(ちょうさしょ)面接(めんせつ)小論文(しょうろんぶん)などを総合的(そうごうてき)判定(はんてい)し、大学(だいがく)(いっ)定数(ていすう)(かぎ)(にゅう)(がく)許可(きょか)する制度(せいど)

※5
大阪市(おおさかし)(ひがし)隣接(りんせつ)する衛星(えいせい)都市(とし)人口(じんこう)(やく)515,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※6
大阪府(おおさかふ)北部(ほくぶ)()大阪市(おおさかし)(きた)16kmに位置(いち)し、ベッドタウンとして発展(はってん)した。人口(じんこう)(やく)125,000(2000(ねん))。

※7
●ある科目(かもく)を1週間(しゅうかん)に1(こう)時間(じかん)年間(ねんかん)(35週間(しゅうかん))をとおして学習(がくしゅう)すると1単位(たんい)になる。たとえば(しゅう)2(こう)時間(じかん)・1年間(ねんかん)教科(きょうか)単位数(たんいすう)は2単位(たんい)である。

※8
単位制(たんいせい)高校(こうこう)では、在学(ざいがく)3(ねん)以上(いじょう)で80単位(たんい)以上(いじょう)(2003年度(ねんど)からは74単位(たんい)取得(しゅとく)すれば卒業(そつぎょう)できる。生徒(せいと)自分(じぶん)時間割(じかんわり)作成(さくせい)し、必修(ひっしゅう)科目(かもく)以外(いがい)自分(じぶん)学習(がくしゅう)計画(けいかく)にもとづき、希望(きぼう)する曜日(ようび)時間(じかん)に、自分(じぶん)関心(かんしん)(おう)じた()(もく)選択(せんたく)学習(がくしゅう)することができる。

※9
Scholastic Assessment Test. SATはアメリカで4年制(ねんせい)大学(だいがく)への進学(しんがく)希望者(きぼうしゃ)対象(たいしょう)実施(じっし)されている全国(ぜんこく)共通(きょうつう)テスト。大学(だいがく)授業(じゅぎょう)についていける学力(がくりょく)があるかどうかをみる。大学(だいがく)合否(ごうひ)は、通常(つうじょう)SAT得点(とくてん)のほか、エッセイ、これまでの学業(がくぎょう)成績(せいせき)出願者(しゅつがんしゃ)個性(こせい)なども考慮(こうりょ)して、総合的(そうごうてき)判断(はんだん)する。論理的(ろんりてき)思考力(しこうりょく)をみるSAT I学科(がっか)試験(しけん)SAT II()かれる。