マイ・ストーリー
山本隆幸(やまもとたかゆき)
やまもと たかゆき


ぼくはこんな(ひと)
 

 笑顔(えがお)がとりえのふつうの人間(にんげん)だと(おも)います。けっこういちずなところがあります。アメリカンフットボール(以下(いか)、アメフット)でも彼女(かのじょ)でも、()きになったらそれ一筋(ひとすじ)です。自分(じぶん)()めたことは、最後(さいご)まであきらめずにやりとおします。基本的(きほんてき)冷静(れいせい)で、試合(しあい)自分(じぶん)失敗(しっぱい)したり、チームが不利(ふり)状況(じょうきょう)になったりしても、()ちついているほうです。感情的(かんじょうてき)になることもほとんどありません。前向(まえむ)きな性格(せいかく)で、(ひと)(なに)()われて一時的(いちじてき)(なや)むことがあったとしても、(つぎ)()にはケロッとしています。だから、難聴(なんちょう)であることを(くる)しいとか、(かな)しいとか(おも)わずに、(たの)しく()きてこられたのだと(おも)います。もちろん、難聴(なんちょう)であることで(くる)しんでいる(ひと)たちもいます。ぼく自身(じしん)も、意識的(いしきてき)(くる)しいと(おも)わないようにしてきたところもあります。でも、難聴(なんちょう)であることを意識(いしき)したら(くる)しくなるだけだし、(なに)かあったら(まわ)りの(ひと)たちがぼくを(ささ)えてくれます。それに、悲観的(ひかんてき)()きていたら、せっかくぼくを()んでくれた両親(りょうしん)(もう)(わけ)ないです。
 短所(たんしょ)はずぼらなところ。小中(しょうちゅう)学校(がっこう)通知表(つうちひょう)※2にはいつも、「()(まわ)りの整理(せいり)整頓(せいとん)ができない」と()かれていました。でも、()いこまれるとやるタイプなので、(とも)だちが(あそ)びに()るときにはちゃんと部屋(へや)(かた)づけます 。

 

おいたち
 

(ちい)さいころ
 1982(ねん)京都(きょうと)※1()まれました。(ちい)さいころは、やんちゃだったみたいです。近所(きんじょ)年上(としうえ)()どもたちがいっぱいいて、その()たちといつも(そと)(あそ)んでいました。
 難聴(なんちょう)だとわかったのは、1(さい)のときです。幼稚園(ようちえん)は、(いえ)からバスで30(ぷん)くらいのところにあるろう学校(がっこう)幼稚部(ようちぶ)(かよ)いました。幼稚園(ようちえん)(かよ)(とし)ごろの()どもたちは、毎日(まいにち)(たの)しく(あそ)んで()ごすのがふつうだと(おも)います。でも、ぼくの幼稚園(ようちえん)時代(じだい)勉強(べんきょう)ばかりの日々(ひび)でした。幼稚園(ようちえん)徹底的(てっていてき)発音(はつおん)訓練(くんれん)をされたのです。(いえ)(かえ)っても、(はは)特訓(とっくん)がまっていました。発音(はつおん)訓練(くんれん)本当(ほんとう)(きび)しくて、つらくて、()きながらやっていたのを(おも)いだします。訓練(くんれん)(おぼ)えたのは標準語(ひょうじゅんご)です。今話(いまはな)している関西弁(かんさいべん)は、アメフットを(はじ)めて(とも)だちとたくさん(はな)すようになってから、自然(しぜん)()につきました。

小学生(しょうがくせい)のころ
 難聴(なんちょう)クラスがある学校(がっこう)(かよ)いました。難聴(なんちょう)クラスには、1年生(ねんせい)から6年生(ねんせい)まであわせて35(にん)くらいいました。体育(たいいく)給食(きゅうしょく)※3時間(じかん)は、ほかのクラスの()どもたちといっしょに活動(かつどう)しました。小学校(しょうがっこう)でのいちばん(おお)きなできごとは、アメフットとのであいです。小学校(しょうがっこう)にはめずらしく、ぼくの学校(がっこう)にはアメフットのチームがありました。上級生(じょうきゅうせい)たちが練習(れんしゅう)しているのを()てかっこいいなあと(おも)い、小学(しょうがく)3年生(ねんせい)のときにチームに(はい)りました。5年生(ねんせい)のときには、地域(ちいき)リーグで決勝戦(けっしょうせん)まで(すす)みました。結局(けっきょく)優勝(ゆうしょう)はできなかったけれど、とてもうれしかったのを(おぼ)えています。
 小学校(しょうがっこう)でアメフットとであったことが、ぼくの人生(じんせい)()えたような()がします。アメフットが自分(じぶん)(ねむ)っていた才能(さいのう)をひきだしてくれました。監督(かんとく)には「タカは素質(そしつ)があると(おも)っていた」と()われましたが、ぼくは、アメフットを(はじ)めるまで、自分(じぶん)運動(うんどう)神経(しんけい)がいいとは(おも)ってもいませんでした。また、アメフットのチームメイトと(せっ)するなかで、(とも)だちとのかかわりかたやことばのつかいかたなど、いろいろなことを(まな)ぶことができました。アメフットを(はじ)める(まえ)は、あまりしゃべるほうではありませんでした。ケンカをするときでも、感情(かんじょう)をことばにするのが()にあわなくて、()(さき)()てしまうことがしばしばあったのです。アメフットを(はじ)めてから、そういうこともなくなりました。もし(みみ)()こえていて、(いえ)(ちか)くの小学校(しょうがっこう)(かよ)っていたら、アメフットとのであいはなかったかもしれません。アメフットは、ぼくの人生(じんせい)でとても大切(たいせつ)なものです。(いま)は、むしろ難聴(なんちょう)でよかったと(おも)っています。
 小学校(しょうがっこう)先生(せんせい)たちのなかには、(いま)でもぼくの(こころ)恩師(おんし)だと(おも)える(ひと)がいます。1人(ひとり)は、アメフットチームの監督(かんとく)だった先生(せんせい)。アメフットの(たの)しさと(きび)しさを(おし)えてもらいました。(ちい)さな(からだ)であちこち(うご)きまわったり、試合(しあい)勝敗(しょうはい)にみんなで一喜(いっき)一憂(いちゆう)したりするのは、とても(たの)しいことでした。でも、練習(れんしゅう)はすごく(きび)しかったです。先生(せんせい)小学生(しょうがくせい)だからといって()かげんすることはなく、(おに)のように(おこ)ることもよくありました。スポーツを真剣(しんけん)にやろうと(おも)ったら、ただ(たの)しいだけではないということを(まな)びました。先生(せんせい)がいなかったら、ぼくはアメフットを(つづ)けていなかったかもしれません。ぼくのいちばんの恩師(おんし)です。もう1人(ひとり)は、1年生(ねんせい)と5、6年生(ねんせい)のときに、ぼくの担任(たんにん)だった先生(せんせい)です。ぼくのことを自分(じぶん)()どものようにかわいがってくれて、まるでお(かあ)さんのような存在(そんざい)でした。(いま)でも、ときどき先生(せんせい)(いえ)(あそ)びに()きます。

中学生(ちゅうがくせい)のころ
 小学校(しょうがっこう)のすぐ(ちか)くの、難聴(なんちょう)クラスのある中学校(ちゅうがっこう)(かよ)いました。難聴(なんちょう)クラスの教室(きょうしつ)には、(そと)雑音(ざつおん)(ふせ)設備(せつび)(ととの)っています。(なつ)でも(まど)()められるようにクーラーも(そな)わっていました。難聴(なんちょう)(ひと)たちは、教室内(きょうしつない)(おと)(そと)から()こえてくる(おと)区別(くべつ)がつきません。だから、ふつうの教室(きょうしつ)だと、先生(せんせい)(こえ)だけを()きとることがむずかしいのです。もし、中学校(ちゅうがっこう)段階(だんかい)でいきなり普通(ふつう)学級(がっきゅう)(はい)っていたら、授業(じゅぎょう)についていけなかったでしょう。(いま)(ちが)って、先生(せんせい)()うことを十分(じゅうぶん)()みとることができなかったと(おも)います。
 学校(がっこう)にはアメフットのチームがなかったので、京都市内(きょうとしない)のクラブチームに(はい)りました。地域(ちいき)リーグのMVP(えら)ばれるなど、けっこう活躍(かつやく)しました。学校(がっこう)ではバスケットボール()(はい)っていたので、平日(へいじつ)はバスケットボール、週末(しゅうまつ)はアメフットの練習(れんしゅう)と、スポーツにあけくれる毎日(まいにち)でした。勉強(べんきょう)成績(せいせき)はいいほうでした。勉強(べんきょう)(きら)いでしたが、()いこまれるとがんばるタイプなので、テスト(まえ)になるとちゃんと勉強(べんきょう)していたのです。 (いま)は、むしろ難聴(なんちょう)でよかったと(おも)っています。

 
 

高校(こうこう)生活(せいかつ)
 

大阪(おおさか)産業(さんぎょう)大学(だいがく)附属(ふぞく)高校(こうこう)
 (いえ)から高校(こうこう)まで電車(でんしゃ)()りついで1時間半(じかんはん)もかかります。(いえ)から(とお)高校(こうこう)進学(しんがく)したのは、(つよ)いチームでアメフットをやってみたかったからです。小学(しょうがく)6年生(ねんせい)のとき、アメフット雑誌(ざっし)記事(きじ)大阪(おおさか)産業(さんぎょう)大学(だいがく)附属(ふぞく)高校(こうこう)アメフット()のことを()りました。それ以来(いらい)、そういう(つよ)いチームでアメフットをやってみたいとずっと(おも)っていました。そこで、中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)のときに、スポーツ推薦(すいせん)にチャレンジして合格(ごうかく)し、大阪(おおさか)産業(さんぎょう)大学(だいがく)附属(ふぞく)高校(こうこう)のスポーツコース※4(すす)むことになったのです。
 高校(こうこう)(はい)って、(はじ)めてすべての授業(じゅぎょう)健聴者(けんちょうしゃ)といっしょにうけることになりました。そのころには、アメフット仲間(なかま)とのつきあいをとおして、コミュニケーションにはほとんど不自由(ふじゆう)(かん)じなくなっていました。だから、高校(こうこう)(はい)るにあたって、まったく不安(ふあん)はありませんでした。実際(じっさい)(なん)問題(もんだい)もなく(たの)しい高校(こうこう)生活(せいかつ)(おく)ってきました。
 ぼくの高校(こうこう)は、校則(こうそく)がかなり(きび)しい学校(がっこう)だと(おも)います。とくに服装(ふくそう)には(きび)しくて、たとえば(くつ)革靴(かわぐつ)じゃないと絶対(ぜったい)にだめです。もうちょっと自由(じゆう)だったらいいのになあ、と(おも)うこともあります。
 高校(こうこう)生活(せいかつ)は、とにかくアメフット中心(ちゅうしん)毎日(まいにち)で、これまでをふり(かえ)って(おも)いだすのはアメフットのことばかりです。

■アメリカンフットボール
 小学(しょうがく)3年生(ねんせい)から(いま)まで、10年間(ねんかん)アメフットを(つづ)けています。中学校(ちゅうがっこう)途中(とちゅう)までは、ディフェンスとオフェンスの両方(りょうほう)をかけもちしていました。ぼくはタックルにあこがれていたのですが、小中(しょうちゅう)学生(がくせい)はタックルが禁止(きんし)されているので、かわりにタッチをしていました。でも、高校生(こうこうせい)になったらタックルがしたいと(おも)って、途中(とちゅう)から希望(きぼう)して、タックルができるディフェンスに専念(せんねん)することにしました。
 高校(こうこう)(はい)るまでは、セーフティー(DB)というポジションでしたが、高校(こうこう)(はい)ってからコーチに(すす)められてコーナーバック(DB)に()わりました。コーナーバックは、判断力(はんだんりょく)(あし)(はや)さ、キャッチセンス、スタミナなど、さまざまな能力(のうりょく)(もと)められるポジションです。コーナーバックは相手(あいて)チームのワイドレシーバーとマンツーマンでかけひきをしながらボールを(うば)いあいます。そこで、ぼくがインターセプトをすると試合(しあい)(なが)れが(おお)きく()わる。そういうところが、コーナーバックのおもしろいところです。2年生(ねんせい)のとき、試合(しあい)でたくさんインターセプトをして活躍(かつやく)しました。それから、ますますアメフットがおもしろくなりました。コーナーバックに()わってから自分(じぶん)能力(のうりょく)がのびたので、このポジションはぼくにあっていると(おも)います。
 アメフットは、迫力(はくりょく)があって、(おとこ)らしいスポーツだと(おも)います。タックルしたときなど、ヘルメットや防具(ぼうぐ)がぶつかりあって、カーンと(かわ)いた(おと)がします。実際(じっさい)(おと)()こえるわけではないのですが、振動(しんどう)でそう(かん)じるのです。()から(ほし)()るほど(いた)いけれど、その(かわ)いた(おと)(かん)じが()きです。ぼくは難聴(なんちょう)だからといって特別(とくべつ)(あつか)いされるのは(きら)いです。ぼく自身(じしん)もふつうに()きてきたつもりです。でも、以前(いぜん)はアメフットチームのなかでぼくだけ特別(とくべつ)(あつか)いされたことがありました。自分(じぶん)はみんなと平等(びょうどう)でいたいし、ふつうの人間(にんげん)だと(おも)ってほしかったので、とてもつらかったです。高校(こうこう)のチームでは、そんなことは全然(ぜんぜん)ありません。みんなふつうに(せっ)してくれるし、監督(かんとく)やコーチも特別(とくべつ)(あつか)いせずみんなと(おな)じように(あつか)ってくれます。
 アメフットをやっていて、ハンディキャップを(かん)じたことはほとんどありません。作戦(さくせん)指示(しじ)はことばで(つた)えられるのですが、仲間(なかま)たちがぼくのためにブロックサイン(ジェスチャーを使(つか)ったサイン)を(かんが)えてくれました。でも、一度(いちど)だけ、2年生(ねんせい)のときの全国(ぜんこく)大会(たいかい)で、プレイ(ちゅう)作戦(さくせん)変更(へんこう)が、ぼくにだけ(つた)わらなかったことがあります。プレイの展開(てんかい)があまりに(はや)すぎたためにぼくに(つた)える時間(じかん)がなかったのです。それで、ぼくはみんなと(ちが)(うご)きをしてしまって、相手(あいて)(てん)(うば)われました。ぼくのこれまでの人生(じんせい)のなかでいちばん(くや)しかったできごとです。(ぎゃく)に、(いま)までの人生(じんせい)でいちばんうれしかったできごとも、アメフットのことです。高校(こうこう)2年生(ねんせい)、3年生(ねんせい)と2(ねん)連続(れんぞく)全国(ぜんこく)優勝(ゆうしょう)()たしました。本当(ほんとう)最高(さいこう)のおもいでです。

 

将来(しょうらい)について
 

 大学生(だいがくせい)になっても、社会人(しゃかいじん)になっても、ずっとアメフットを(つづ)けていくつもりです。そして、みんなに(みと)められる完璧(かんぺき)選手(せんしゅ)になりたいです。そのためには、(はし)りこみとウェイトトレーニングをして、もっとスピードをつけることが大切(たいせつ)だと(おも)っています。高校(こうこう)卒業後(そつぎょうご)は、アメフットの(つよ)大学(だいがく)推薦(すいせん)※5入学(にゅうがく)できることになりました。社会人(しゃかいじん)になっても(つよ)いチームでアメフットを(つづ)けられるように、大学(だいがく)活躍(かつやく)したいと(おも)っています。パワーが(ちが)うので(すこ)しこわいけれど、チャンスがあればアメフット王国(おうこく)のアメリカでもプレイしてみたいです。

 

家族(かぞく)(とも)だち
 

■ぼくの家族(かぞく)
 両親(りょうしん)(あね)の4人家族(にんかぞく)です。両親(りょうしん)魚屋(さかなや)(いとな)んでいます。ふだんはみんな(いそが)しくて、ゆっくり(はなし)をする時間(じかん)はありません。ぼくは、部活(ぶかつ)(かえ)りが(おそ)いので、夕食(ゆうしょく)1人(ひとり)でとります。でも、家族(かぞく)(なか)はとてもいいです。両親(りょうしん)は、ぼくがやりたいことに(たい)して、あれこれ(くち)()したりしません。「自分(じぶん)のことは、自分(じぶん)でやれ」と()います。ぼくも、両親(りょうしん)のそういう(せっ)しかたが()きです。ぼくにとって、家族(かぞく)はいっしょにいていちばん()ちつく存在(そんざい)です。(こま)ったことがあれば、いつでも(はなし)()いてくれます。それに、アメフットを応援(おうえん)してくれたり、健康面(けんこうめん)にいろいろ()をくばってくれたりします。家族(かぞく)はぼくの(ささ)えです。

■ぼくの(とも)だち
 ぼくは、(かぎ)られた(ひと)親密(しんみつ)につきあうというより、(おお)くの(ひと)幅広(はばひろ)(なか)よくつきあっています。(とも)だちづきあいは(たの)しいし、将来(しょうらい)のためにもなるのおもなんいではないかと(おも)います。(なん)でも()いあえて、いつもそばにいてくれる、そんな(とも)だちが(おお)いです。(とも)だちは、ぼくのことをよく理解(りかい)してくれて、(こま)ったときにいつでも(たす)けてくれる存在(そんざい)だと(おも)っています。(とも)だちがいなかったら、(なに)(こま)ったことがあったときなど、もっと(こま)ってしまうことになります。それに、(とも)だちがいないと、(たの)しくありません。よく、難聴(なんちょう)(ひと)1人(ひとり)(あたら)しい集団(しゅうだん)(はい)っていくのはむずかしいと()われます。でも、ぼくは(みずか)(すす)んで(あたら)しい集団(しゅうだん)(はい)っていかないと、(とも)だちも()えないと(おも)っています。
 彼女(かのじょ)(たい)する理想(りそう)はすごく(たか)いです。(かみ)はセミロングで、ぼくのファッションにあう(ひと)性格(せいかく)天然(てんねん)ボケ、そしてぼくにいちずになってくれる(ひと)がいちばんです。

 

ぼくのまち、京都(きょうと)
 


 京都(きょうと)(ふる)いお(てら)(のこ)っていることで有名(ゆうめい)なところです。(いえ)(ちか)くは(やま)ばかりで、(なに)もなくて、いなかという(かん)じです。でも、(しず)かだし、きれいだし、(ふる)建物(たてもの)もたくさん(のこ)っていて、とてもいいところだと(おも)います。人々にも活気(かっき)があります。ぼくにとって、京都(きょうと)(なに)といっても()ちつくまちです。4(がつ)からは、京都(きょうと)(はな)れて大阪(おおさか)大学(だいがく)(ちか)くで1人(ひとり)()らしをする予定(よてい)です。(あたら)しい環境(かんきょう)で、1人(ひとり)でどこまでできるか(ため)すチャンスなので、とても(たの)しみにしています。

 

タカってどんな人?
 

■お(かあ)さん
 気持(きも)ちが(やさ)しくて、だれからも()かれる()です。(うえ)()(おな)じく、タカも(みみ)()こえないとわかったときは、かなりショックでした。でも、(みみ)()こえない(もの)どうし、2人(ふたり)(ちから)をあわせて(たす)けあいながら()きていくんじゃないかと(おも)いました。実際(じっさい)、お(ねえ)ちゃんとは(なか)がよくて、(なに)かあると、お(ねえ)ちゃんに相談(そうだん)しています。()(そだ)てのポリシーはとくにありません。基本的(きほんてき)()どもの自主性(じしゅせい)(まか)せています。(YT-P09参照(さんしょう)。)

■お(とう)さん
 (いま)まで、「(なん)でぼくだけ(みみ)()こえないんだ」ということばをタカから()いたことがありません。(かれ)(かれ)なりにたいへんな努力(どりょく)をしていると(おも)います。ぼくらもふつうの()だと(おも)って(そだ)ててきました。学校(がっこう)成績(せいせき)()にしたこともないです。成績(せいせき)()(わる)しはどうでもいい。健康(けんこう)で、(わる)いことさえしなければ、それでいいんです。タカに魚屋(さかなや)をついでほしいとは(おも)っていません。将来(しょうらい)のことは自分(じぶん)()めればいいと(おも)ってます。(YT-P09参照(さんしょう)。)

■アメフット()武田(たけだ)コーチ
 アメフット選手(せんしゅ)にはいろんなタイプがいますが、タカは(あたま)をつかってプレイするタイプです。イメージトレーニングにもとづいてプレイする。華麗(かれい)なプレイです。タカは実力(じつりょく)があるので、2年生(ねんせい)最初(さいしょ)からレギュラーでした。ぼくも(おな)じコーナーバックだったので、マンツーマンでいろいろ(おし)えました。わからないことはすぐに()きにくるし、のみこみもはやかったですね。(あか)るい性格(せいかく)で、だれに(たい)してもすごく素直(すなお)だし、(やさ)しい。タカには、日本一(にほんいち)のコーナーバックになってほしいと(おも)っています。このまま一生懸命(いっしょうけんめい)努力(どりょく)(つづ)けていけば、きっとなれると(おも)います。(YT-P09参照(さんしょう)。)

■アメフット()監督(かんとく)山嵜(やまざき)先生(せんせい)
 アメフットの素質(そしつ)十分(じゅうぶん)にあるので、(いま)のまま努力(どりょく)(つづ)ければ、社会人(しゃかいじん)になっても活躍(かつやく)していけるでしょう。がんばり()だし、後輩(こうはい)のめんどうみもいい。一方(いっぽう)で、ずぼらなところもあります。ふつうの高校生(こうこうせい)です。一時(いちじ)、マスコミに注目(ちゅうもく)されて、チヤホヤされたことがありました。最初(さいしょ)のころはあの()健聴者(けんちょうしゃ)以上(いじょう)にがんばっているから、マスコミにもどんどん()してあげたいと(おも)いました。聴覚(ちょうかく)障害(しょうがい)のある()たちの(はげ)みにもなるだろうと(おも)いました。でも、試合(しあい)会場(かいじょう)でサインを(もと)められたり、学校(がっこう)にファンレターが()たりすれば、「自分(じぶん)はすごいんだ」と勘違(かんちが)いしてしまうかもしれません。高校生(こうこうせい)くらいでチヤホヤされれば、だれでもそうなってしまうと(おも)います。そこをしめるのがぼくの仕事(しごと)です。「勘違(かんちが)いするなよ。みんなのおかげだよ」と。そうしないと、タカがほかのチームメイトからういてしまうんです。ぼくに(おこ)られているその姿(すがた)()たら、みんなも納得(なっとく)して不満(ふまん)はなくなるんです。ほかの部員(ぶいん)からういた存在(そんざい)にならないよう、バランスをとる努力(どりょく)はしています。(YT-P12参照(さんしょう)。)

■アメフット()仲間(なかま)たち
A「「(やさ)しくて、後輩(こうはい)のめんどうみがいい」」
(ひと)大切(たいせつ)にしなあかんと(おも)ってます。後輩(こうはい)にプレイを(おし)えるときも、(やさ)しく(おし)えたり、ほめたりして、能力(のうりょく)をのばしてあげようと(かんが)えてます」

B(たよ)りになるアメフット選手(せんしゅ)
(ひと)(たよ)られるのはうれしい。もっともっと信頼(しんらい)される選手(せんしゅ)になりたい」

C「ちょっとナルシスト」
「ただ(かがみ)()(かみ)をなおしただけで、そう()われるんです。ぼくはナルシストじゃありません!」

D「ちょっとジコチュー(自己(じこ)中心的(ちゅうしんてき))」
「どこがジコチューなのかわからないっすよ」
YT-P12参照(さんしょう)。)

 

(ちゅう)
 

※1
●〔京都市(きょうとし)京都府(きょうとふ)南部(なんぶ)()日本(にほん)古都(こと)で、794(ねん)から1868(ねん)まで皇居(こうきょ)があった。数々(かずかず)史跡(しせき)がある、日本(にほん)大都市(だいとし)のひとつ。織物(おりもの)など伝統的(でんとうてき)工芸品(こうげいひん)()られ、近代(きんだい)産業(さんぎょう)中心地(ちゅうしんち)でもある。人口(じんこう)(やく)1,468,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)
●〔京都府(きょうとふ)(みなみ)大阪府(おおさかふ)(せっ)する()。794(ねん)以来(いらい)京都(きょうと)(なが)いあいだ日本(にほん)政治(せいじ)文化(ぶんか)中心地(ちゅうしんち)であった。南部(なんぶ)京阪神(けいはんしん)大都市圏(だいとしけん)(ぞく)し、開発(かいはつ)(すす)んで過密(かみつ)状態(じょうたい)だが、北部(ほくぶ)では過疎化(かそか)進行(しんこう)するなど、南北(なんぼく)()がはっきりしている。人口(じんこう)(やく)2,645,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※2
各学期(かくがっき)()わりに、各生徒(かくせいと)学業(がくぎょう)成績(せいせき)態度(たいど)(しゅっ)欠席(けっせき)身体(しんたい)状況(じょうきょう)などについて、学校(がっこう)生徒(せいと)保護者(ほごしゃ)通知(つうち)する書類(しょるい)

※3
公立(こうりつ)小中学校(しょうちゅうがっこう)養護(ようご)学校(がっこう)、ろう学校(がっこう)(もう)学校(がっこう)では昼食(ちゅうしょく)用意(ようい)される。また、夜間(やかん)定時制(ていじせい)高校(こうこう)では夕食(ゆうしょく)用意(ようい)される。児童(じどう)生徒(せいと)給食(きゅうしょく)にかかる費用(ひよう)一部(いちぶ)支払(しはら)う。高校(こうこう)では通常(つうじょう)給食(きゅうしょく)はなく、各自(かくじ)弁当(べんとう)持参(じさん)したり、校内(こうない)購買部(こうばいぶ)や近く(ちかく)の(みせ)()ったりして昼食(ちゅうしょく)とする。

※4
大阪(おおさか)産業(さんぎょう)大学(だいがく)附属(ふぞく)高校(こうこう)では、普通科(ふつうか)特進(とくしん)コース(文系(ぶんけい)理系(りけい))、総合(そうごう)コース(文系(ぶんけい)理系(りけい))、スポーツコースがある。スポーツコースは、運動(うんどう)能力(のうりょく)(たか)めるとともに体育(たいいく)理論(りろん)(まな)び、大学(だいがく)進学(しんがく)をめざすコース。

※5
受験生(じゅけんせい)出身(しゅっしん)高校長(こうこうちょう)推薦(すいせん)をもとに、調査書(ちょうさしょ)面接(めんせつ)小論文(しょうろんぶん)などを総合的(そうごうてき)判定(はんてい)し、大学(だいがく)(いっ)定数(ていすう)(かぎ)(にゅう)(がく)許可(きょか)する制度(せいど)

※6
●1989(ねん)創立(そうりつ)された社会人(しゃかいじん)アメリカンフットボールの有力(ゆうりょく)チーム。

※7
京都府(きょうとふ)滋賀県(しがけん)(さかい)にある(やま)(ひがし)中腹(ちゅうふく)仏教(ぶっきょう)天台宗(てんだいしゅう)総本山(そうほんざん)で、788(ねん)創建(そうけん)された延暦寺(えんりゃくじ)がある。

※8
仏教(ぶっきょう)臨済宗(りんざいしゅう)寺院(じいん)金閣寺(きんかくじ)鹿苑寺(ろくおんじ)通称(つうしょう)室町(むろまち)幕府(ばくふ)(だい)3(だい)将軍(しょうぐん)足利(あしかが)(よし)(みつ)が1397(ねん)造営(ぞうえい)金閣(きんかく)は3(そう)をなし、(はしら)(かべ)には金箔(きんぱく)がはられている。

※9
大文字(だいもんじ)()きが(おこな)われる(やま)。8(がつ)16(にち)に、京都(きょうと)では5つの(やま)()(おく)りの行事(ぎょうじ)(おこな)われ、お(ぼん)(はじ)まるときに(むか)えた()(しゃ)(たましい)(ふたた)(おく)(かえ)す。
(だい)」の()のほか、「(みょう)」「(ほう)」の()(ふね)をかたどった(おく)()がたかれる。

※10
祖先(そせん)冥福(めいふく)(いの)(ぶっ)(きょう)行事(ぎょうじ)伝統的(でんとうてき)に7(がつ)13(にち)から15(にち)一部(いちぶ)地域(ちいき)では8(がつ)13(にち)から15(にち))に(おこな)われる。