マイ・ストーリー
大石(おおいし)勘太(かんた)
おおいし かんた


ぼくはこんな(ひと)
 

 いつも(まわ)りの(ひと)との調和(ちょうわ)(たも)とうとするところがある。その()雰囲気(ふんいき)をこわさないように、自分(じぶん)気持(きも)ちを()さないことも(おお)い。でも、無理(むり)をしているわけではなく、自然(しぜん)にそうなっている。大家族(だいかぞく)(すえ)()として(そだ)ったので、そういう(くせ)()についたのだろう。(とも)だちのあいだでもムードメーカーの役割(やくわり)をになっている。自分(じぶん)では、(おも)いやりがあるほうだと(おも)う。短所(たんしょ)は、めんどうくさがり()なところ。
 ぼくの座右(ざゆう)(めい)は「昨日(きのう)(ちが)うことを()う」ことである。最優先(さいゆうせん)させることは(とき)場合(ばあい)によって()わる。その、(とき)場合(ばあい)によって()わるということはすてきだと(おも)う。つまり、(わく)にはまらない思考(しこう)をしたいと(おも)うのだ。

 

おいたち
 

(ちい)さいころ
 「()()けると、(よこ)たわったぼくを先生(せんせい)やほかの園児(えんじ)がのぞきこんでいる」。これが、ぼくの最初(さいしょ)記憶(きおく)だ。5(さい)のころだったと(おも)う。これ以前(いぜん)のことは記憶(きおく)にない。なぜないのだろう、とぼくは不思議(ふしぎ)(おも)い、いろいろと(かんが)え、推測(すいそく)した。そして、(みちび)きだされた結論(けつろん)は、「ぼくは、本当(ほんとう)はロボットだ」というものだった。こんなことは間違(まちが)いなくありえないのだが、()どものころはそれが真実(しんじつ)のように(おも)われた。
 (おさな)いころは、()ズルイやつだった。ぼくは()(むし)だったが、それを武器(ぶき)にして、先生(せんせい)味方(みかた)につけたりしていたように(おも)う。6(にん)兄弟(きょうだい)(すえ)()だったぼくは、おばあちゃん()で、おばあちゃんにかわいがられた。

小学生(しょうがくせい)のころ
 小学生(しょうがくせい)のときは、ファミコン大好(だいす)少年(しょうねん)通称(つうしょう)「ファミっ()」だった。学校(がっこう)から(かえ)ってくるなりファミコンをし、(とも)だちの(いえ)()ってもファミコンをしていた。このころの(ゆめ)は、ゲームデザイナーになることだった。ファミコンに夢中(むちゅう)で、小学(しょうがく)5年生(ねんせい)のころには、勉強(べんきょう)(たい)する興味(きょうみ)は失せていた。(ほん)にも関心(かんしん)はなかったが、ある()、たまたま()った図書館(としょかん)1冊(さつ)(ほん)()りた。作者名(さくしゃめい)(わす)れたが、『少年(しょうねん)探偵(たんてい)ブラウン』※3という(ほん)だった。この(ほん)()んでから、ミステリー小説(しょうせつ)にどっぷりとはまってしまった。

中学生(ちゅうがくせい)のころ
 中学生(ちゅうがくせい)になって(あたら)しくなったことはというと、生徒数(せいとすう)()え、算数(さんすう)数学(すうがく)()わり、(あら)たに英語(えいご)科目(かもく)(くわ)わったことくらいだ。でも、(たの)しい3年間(ねんかん)だった。自分(じぶん)(かんが)えることができるようになったのもこのころだ。小学生(しょうがくせい)のころは、先生(せんせい)(うたが)うことなく、従順(じゅうじゅん)(したが)っていた。ひとつの小学校(しょうがっこう)のなかで、(ちい)さな()れをつくっていた。しかし、中学校(ちゅうがっこう)では、ほかの小学校(しょうがっこう)()れもやってくるので、それまでの(ちい)さな()れはくずれ、コミュニケーションが()えることになった。そうなると、自分(じぶん)(かんが)えることも()えてくる。そして、先生(せんせい)のことばを(うたが)ったり、反抗(はんこう)したりするようになった。
 このころ、不良(ふりょう)にあこがれていた。そして、実際(じっさい)不良(ふりょう)グループに(はい)っていた。不良(ふりょう)グループは、アクセサリーをつけたり、授業(じゅぎょう)をサボったり、校則(こうそく)(やぶ)ったり、()()りあげたりするような10(にん)くらいのグループだった。このグループのなかで、ぼくはお(わら)専門(せんもん)だった。皮肉(ひにく)()って(ひと)(わら)わせることにおいては、(まわ)りからも一目(いちもく)おかれていた。(いえ)でもしばしば道化(どうけ)(やく)をかってでたが、このグループのなかでもやはりそんな(やく)をになっていた。
 このころから、小説(しょうせつ)()きはじめた。ミステリーのほかに、ロール・プレイング・ゲームに()たファンタジー小説(しょうせつ)をよく()んでいたのだが、「これならぼくにも()ける」と(おも)い、ファンタジー小説(しょうせつ)()いて、ある小説賞(しょうせつしょう)投稿(とうこう)した。1()めは落選(らくせん)したが、2()めは1次選考(いちじせんこう)突破(とっぱ)した。()きなおしの出来(でき)いかんでは、掲載(けいさい)のみこみもあったのだが、(ちから)不足(ぶそく)失敗(しっぱい)()わった。
 そして、中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)のとき、エラリィ・クイーンの『Yの悲劇(ひげき)』を()んだ。それまで()っていた赤川(あかがわ)次郎(じろう)※4などは()ではなかった。とにかく(なに)から(なに)までぼくを興奮(こうふん)させつづけた。解決(かいけつ)までの展開(てんかい)、そして、最後(さいご)解決(かいけつ)にいたっては戦慄(せんりつ)さえおぼえた。この小説(しょうせつ)で、本格(ほんかく)ミステリーというものに完璧(かんぺき)にまいってしまったのである。作品(さくひん)(たい)する()がこえた(いま)でも、この作品(さくひん)金字塔(きんじとう)のようにそびえたっている。
 とにかく、高校(こうこう)(はい)ってからのように、映画(えいが)演劇(えんげき)などについて批評(ひひょう)したり、(ろん)じたりすることもなく、ただ気楽(きらく)(とも)だちとつきあえた最高(さいこう)3年間(ねんかん)だった。

 
 

高校(こうこう)生活(せいかつ)
 

新宿(しんじゅく)山吹(やまぶき)高校(こうこう)
 どこを受験(じゅけん)するか(かんが)えていたとき、ぼくにむいているのではないかと、(はは)新宿(しんじゅく)山吹(やまぶき)高校(こうこう)(すす)めてくれた。山吹(やまぶき)高校(こうこう)は4部制(ぶせい)※5をとっていて、さらに時間割(じかんわり)自分(じぶん)()められるという。それと、コンピュータ関連(かんれん)教育(きょういく)充実(じゅうじつ)していることを()り、山吹(やまぶき)高校(こうこう)受験(じゅけん)することにした。勉強(べんきょう)(たい)する興味(きょうみ)()せたままだったが、勉強(べんきょう)すべきだと(かんが)えるようになっていた。小説(しょうせつ)()くうえでも、常識(じょうしき)がなくては(こま)るし、知識(ちしき)がないと(かんが)えかたが(かたよ)ってしまう。また、順序(じゅんじょ)だててものごとを(かんが)えられるようになりたいと(おも)い、コンピュータのプログラミングをやってみたいと(かんが)えた。
 そして、山吹(やまぶき)高校(こうこう)(だい)4()授業(じゅぎょう)午後(ごご)5()から9()まで)の情報科(じょうほうか)(すす)んだ。3年生(ねんせい)になるまでは、(ひる)ごろに()き、夕方(ゆうがた)登校(とうこう)していた。したがって、いわゆる「放課後(ほうかご)」とはまるで(えん)がなかった。3年生(ねんせい)になってから、火曜日(かようび)金曜日(きんようび)は、授業(じゅぎょう)のあと(よる)の10()から(あさ)の8()まで、こづかいを(かせ)ぐため、ガソリンスタンドでアルバイトをした。
 山吹(やまぶき)高校(こうこう)には、「留年(りゅうねん)」というものがない。「6(ねん)以内(いない)に80単位(たんい)※6取得(しゅとく)する」ことが規定(きてい)されているだけだ。(らく)をしたければ(らく)をすればいいし、勉強(べんきょう)したければいくらでも勉強(べんきょう)できる。ただ残念(ざんねん)なのは、年間(ねんかん)30単位(たんい)までしか取得(しゅとく)できないということだ。40単位(たんい)でも80単位(たんい)でもとりたい(ひと)はさっさととって、1、2(ねん)卒業(そつぎょう)してもかまわないと(おも)うのはぼくだけだろうか。
 山吹(やまぶき)高校(こうこう)では、時間割(じかんわり)1人(ひとり)ひとり(こと)なるから、クラスはあってないようなものだ。集団(しゅうだん)生活(せいかつ)らしいものがなく、とにかくマイペースで毎日(まいにち)(おく)れるのはいいことだ。ただ、自分(じぶん)(りっ)することができないと堕落(だらく)してしまう。たとえば、自分(じぶん)授業(じゅぎょう)があるのに、友人(ゆうじん)授業(じゅぎょう)がないことを()り、その友人(ゆうじん)(あそ)ぶために(やす)んでしまうというような場合(ばあい)もでてくる。山吹(やまぶき)高校(こうこう)は、「自分(じぶん)のことには自分(じぶん)責任(せきにん)をもちなさい」という方針(ほうしん)だ。自分(じぶん)自分(じぶん)(りっ)することを高校生(こうこうせい)(もと)めるのはいいことだが、小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)でそのような訓練(くんれん)(すこ)しもうけていない(もの)に、そんなことを(きゅう)(もと)めるのは(すこ)(こく)なことだろう。(ぎゃく)に、小学校(しょうがっこう)中学校(ちゅうがっこう)で、もっと自分(じぶん)(りっ)する訓練(くんれん)をすべきだと(おも)うのだが……。

演劇部(えんげきぶ)
 中学生(ちゅうがくせい)のときから、演劇(えんげき)には興味(きょうみ)があった。もっと()えば、小学生(しょうがくせい)のときからだ。小学校(しょうがっこう)学芸会(がくげいかい)(げき)()たとき、自分(じぶん)演技(えんぎ)がうまいのではないかと(おも)ったのだ。ただ、残念(ざんねん)なことに、中学校(ちゅうがっこう)演劇部(えんげきぶ)(おんな)()ばかりだったので、敬遠(けいえん)してしまった。
 高校(こうこう)では、(まよ)うことなく演劇部(えんげきぶ)(はい)った。3年生(ねんせい)になってから、脚本(きゃくほん)をずいぶん()いている。(みじか)いものを(ふく)めると20(ほん)くらいだろうか。小説(しょうせつ)()時間(じかん)などない。(あき)(ひら)かれる演劇(えんげき)大会(たいかい)(まえ)になると、(あさ)からけいこづけになる。しかし、それ以外(いがい)は、気心(きごころ)のしれた演劇部(えんげきぶ)友人(ゆうじん)たちと(あさ)から(あつ)まっては、くだらないことを(かんが)え、(わら)いあい、けなしあい、自分勝手(じぶんかって)(てき)をつくっては、公然(こうぜん)とののしったりする生活(せいかつ)だ。(ひる)はみんなで(めし)()い、演劇(えんげき)のことなど二の(つぎ)で、ただダラダラとしゃべる。まるで世界(せかい)自分(じぶん)中心(ちゅうしん)にまわっているかのような感覚(かんかく)にとらわれることがある。(ゆめ)最中(さいちゅう)にいるようなものだ。

演劇(えんげき)について
 演劇(えんげき)は、現代(げんだい)でもっともダサいメディアだろう。どんなに格好(かっこう)つけても、生々(なまなま)しさは(いな)めないし、(なん)()っても(あざ)やかさがない。映像(えいぞう)(くら)べると、暗転(あんてん)にしろ、舞台(ぶたい)装置(そうち)にしろ、どこにも(あざ)やかなリアリティーがないのである。ラジオのように想像(そうぞう)をかきたてられないし、映画(えいが)のように()りとることもできない。ましてテレビのような情報(じょうほう)多様(たよう)さもないのである。しかし、それでもぼくは演劇(えんげき)()きだ。編集(へんしゅう)されないあの荒々(あらあら)しさが()きなのだろう。
 映画(えいが)でもテレビでもできないことを演劇(えんげき)でしたいと(おも)う。「人生(じんせい)ってこんなもんだよ」というようなことを()くのではなく、ひらめきを(ひと)(つた)えたい。演劇(えんげき)(ひと)(なに)かを(うった)えなくてもいいと(おも)う。観客(かんきゃく)(なに)(まな)ぶことを演劇(えんげき)(もと)めるのではなく、ただ舞台(ぶたい)()(かん)じればいいのではないかと(おも)う。

大切(たいせつ)なこと
 ぼくが大切(たいせつ)にしていること、それは、自分(じぶん)自分(じぶん)()りかこむ環境(かんきょう)すべてである。自分(じぶん)(まわ)りの環境(かんきょう)(これはときには他人(たにん)であり、世界(せかい)であり、宇宙(うちゅう)であるのだが)とがつながり、お(たが)いに影響(えいきょう)(あた)えあっている。この「あるがまま」の状態(じょうたい)をうけいれる、そして、そのうけいれたものに(たい)して自分(じぶん)思考(しこう)がはたらく。そういう一連(いちれん)(なが)れを大事(だいじ)にしたいと(おも)っている。(わく)にはまらない柔軟(じゅうなん)思考(しこう)をしたいと(おも)うのだ。(くち)でうまく説明(せつめい)できないが、説明(せつめい)できないからこそ大切(たいせつ)であり、模索(もさく)しつづけ、()いつづけるのだと(おも)う。
 (いま)日本(にほん)は「(いや)し」ブームである。テレビ、アート、(うた)実用本(じつようぼん)など「(いや)し」をテーマとするものが(おお)くでている。ぼくはこの風潮(ふうちょう)心底嫌(しんそこきら)いである。ポップな()に「(いや)し」のことばをのせる表現者(ひょうげんしゃ)若者(わかもの)中心(ちゅうしん)人気(にんき)(あつ)め、(こころ)(いや)すための方法(ほうほう)解説(かいせつ)した(ほん)()れているようである。こういう(たぐい)のものは、どれもこれもあたりまえのことを()っているにすぎない。あたりまえのことを、高圧的(こうあつてき)かつ断定的(だんていてき)()うものだから、みな(いち)(よう)感心(かんしん)してしまうのである。そして、そのあたりまえのことばを金言(きんげん)として()きていこうとするのである。
 しかし、それでいいのか。だれとも()らない人間(にんげん)(こた)えを(あた)えられて、それでいいのか。それをたったひとつの(こた)えとしてしまい、(みずか)()うことをやめ、日常(にちじょう)(ぼっ)してしまう。それで本当(ほんとう)にいいのか。ぼくは、まだことばにできない(こた)えがあるから、つたないことばを駆使(くし)して、それを表現(ひょうげん)すべく小説(しょうせつ)()いている。

 

将来(しょうらい)について
 

 本格(ほんかく)ミステリーを()きたいと(おも)っている。なぜミステリーか。「ミステリー」という形式(けいしき)があるのがいい。その形式(けいしき)のなかで(なに)表現(ひょうげん)できるのかを(かんが)えるところがおもしろい。しかも、エラリィ・クイーンの作品(さくひん)のように、洗練(せんれん)されていて、登場(とうじょう)するすべてのことがしかけとなっていて、また解決(かいけつ)伏線(ふくせん)となるようなものがいいと(おも)うのだ。そして、読後(どくご)、ただ「トリックや解決法(かいけつほう)がすごかった」というだけではなく、「おもしろいストーリーだった」と(かん)じられるものがいい。それが本格(ほんかく)ミステリーというものだろう。

 

家族(かぞく)(とも)だち
 

■ぼくの家族(かぞく)
 両親(りょうしん)(あね)3(にん)兄2人(あにふたり)の8人家族(にんかぞく)。ぼくが()まれたとき、(はは)は39(さい)(ちち)は51(さい)だった。いちばん(うえ)(あね)とは14(さい)、いちばん(とし)(ちか)(あね)でも6(さい)(はな)れた(すえ)()のぼくは、みんなにめんどうをみてもらった。
 両親(りょうしん)とも(はたら)いていたが、大家族(だいかぞく)ということもあり、(いえ)はあまり裕福(ゆうふく)ではなかった。(はは)はとくに(いそが)しかった。複数(ふくすう)仕事(しごと)をかけもち、毎日(まいにち)(あさ)(はや)くから夜遅(よるおそ)くまで(はたら)いていた。どんなに(いそが)しいなかでも、(はは)小学校(しょうがっこう)授業(じゅぎょう)参観(さんかん)には(かなら)()てくれた。そのときは、あたりまえのように(おも)っていたが、(いま)(おも)うと感謝(かんしゃ)気持(きも)ちでいっぱいになる。
兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)はみんな家事(かじ)手伝(てつだ)っていた。反抗期(はんこうき)()われる中学生(ちゅうがくせい)のころ、こんないいやつら(家族(かぞく))に反抗(はんこう)することなんかできない、と(おも)っていた。
 家族(かぞく)は、ぼくに「安定(あんてい)」をくれる。みんなが見守(みまも)ってくれているという安心感(あんしんかん)がある。だから、家族(かぞく)(なか)がいいのがいい。(おさな)いころから、家族(かぞく)()(たも)つために、よく道化役(どうけやく)になった。

■ぼくの(とも)だち
 家族(かぞく)はゆるしあう存在(そんざい)であるのに(たい)して、(とも)だちは(みと)めあう存在(そんざい)だ。(とも)だちとは、(かんが)えていることを交換(こうかん)し、お(たが)いを(たか)めあう。家族(かぞく)より気楽(きらく)につきあえる場合(ばあい)もあるし、家族(かぞく)のようにはいかない場合(ばあい)もある。(とも)だちは、家族(かぞく)とは(ちが)って()がつながっていないから。(とお)(はな)れていたら(とも)だちではなくなる。だから、大事(だいじ)(とも)だちとはいっしょにいたい。

 

ぼくのまち、東京(とうきょう)
 

 ありとあらゆる(くに)書籍(しょせき)がこのまちでは()(はい)る。(なに)よりも日本(にほん)書籍(しょせき)簡単(かんたん)()(はい)るのがいちばんいい。さまざまなことばと文化(ぶんか)内包(ないほう)した日本(にほん)、とくに東京(とうきょう)※1は、それ自体(じたい)大切(たいせつ)情報(じょうほう)だ。しかし、それより強調(きょうちょう)したいのは、東京(とうきょう)はふつうだということ、ひとつの地方(ちほう)都市(とし)でしかないということだ。
 ぼくの物語(ものがたり)は、ここでしか()まれない。生涯(しょうがい)(はな)れられないであろう、ぼくのまち、それが東京(とうきょう)だ。

 

カンタってどんな人?
 

■お(かあ)さん
 勘太(かんた)山吹(やまぶき)高校(こうこう)()ってよかったと(おも)います。(なに)よりも先生(せんせい)(とも)だちに(めぐ)まれました。勘太(かんた)()はまじめなのですが、規律(きりつ)絶対(ぜったい)(まも)るべきものと(かんが)える()ではありません。たとえば、よく遅刻(ちこく)をしたりします。もし、(きび)しく管理(かんり)されたら、学校(がっこう)生活(せいかつ)にうまく適応(てきおう)できなかったかもしれません。でも、山吹(やまぶき)高校(こうこう)先生(せんせい)たちは、(かれ)性格(せいかく)理解(りかい)して見守(みまも)ってくれたので、すんなり(そだ)ってくれました。演劇部(えんげきぶ)仲間(なかま)たちとも()があって、演劇(えんげき)三昧(ざんまい)の日々を(おく)っていました。正直言(しょうじきい)って、勘太(かんた)がクラブ活動(かつどう)をここまで一生懸命(いっしょうけんめい)やるとは(おも)いませんでした。それまでは、(ほん)()きという以外(いがい)には(なに)かに熱中(ねっちゅう)することがなかったので。
 将来(しょうらい)は、自分(じぶん)(のぞ)(みち)納得(なっとく)のいくまで(すす)めばいいと(おも)います。本人(ほんにん)自分(じぶん)(かんが)えて途中(とちゅう)(みち)()えるなら、それはそれでいいと(おも)います。(OK-P10参照(さんしょう)。)

勘太(かんた)彼女(かのじょ)綾子(あやこ)さん
 (かれ)は、あんまり自分(じぶん)をださず、一歩(いっぽ)ひいてものごとをみているところがあります。大家族(だいかぞく)(すえ)()だったせいか、(まわ)りに()をくばる態度(たいど)自然(しぜん)()についたのでしょう。(ひと)(なに)(たの)まれると、よっぽど無理(むり)なことでないかぎりひきうけます。相手(あいて)にとっていいと(おも)うことをやろうとする(ひと)だと(おも)います。そういうところが(かれ)のいいところだと(おも)います。一方(いっぽう)で、周囲(しゅうい)から一歩(いっぽ)ひいてものごとをみる態度(たいど)高慢(こうまん)じゃないかと(かん)じることもあります。そうすることで、(かれ)(らく)()きられるのでしょうが、わたしはそういう態度(たいど)はあまり()きではありません。(べつ)にそれを()えてほしいとは(おも)いません。でも、しばしば(はら)がたって文句(もんく)()ってしまいます。(OK-P09参照(さんしょう)。)

(とも)だちの松浦(まつうら)さん
 (ひと)()かれたいという気持(きも)ちが(つよ)いです。そのために(ひと)奉仕(ほうし)するのをあまり()(かん)じないようで、会話(かいわ)では()()(かえ)しが(おお)く、(まわ)りによく()をつかいます。(ひと)()をつかわれるのが(きら)いで、もっぱら(あた)えつづけることに快楽(かいらく)をえている様子(ようす)。たとえば、2人(ふたり)()べに()ったときなど、()(かん)にする予定(よてい)だったのに(かなら)自分(じぶん)でほとんど(はら)い、わたしがお(かね)(わた)そうとするとかたくなに拒否(きょひ)。それでもしきりに(わた)そうとすると、()(けつ)したようにその(かね)()って()(まえ)のパチンコ()*()びこみ、むちゃな勝負(しょうぶ)をして見事(みごと)使(つか)いきる。(なん)だかよくわからないが、コレも(かれ)()づかいなのでしょう。(OK-P11参照(さんしょう)。)

*これは、卒業後(そつぎょうご)のエピソードです。日本(にほん)では、18歳(さい)未満(みまん)のパチンコ()への()()りは法律(ほうりつ)禁止(きんし)されています。

(とも)だち
A「「他人(たにん)言動(げんどう)(おのれ)(まど)わす(きり)なり」 (なん)だかんだ()って身近(みじか)なものにそめられるのを(いや)がります。」
「そうです。でも、みんなだってそうじゃないか!!」

B「「恋人(こいびと)家族(かぞく)(とも)だち>仕事(しごと)」 恋人(こいびと)家族(かぞく)(あい)するフレンチ気質(きしつ)です。」
恋人(こいびと)家族(かぞく)(とも)だち>仕事(しごと)

C「「あるが(ゆえ)にイコール」 (むかし)つかっていた座右(ざゆう)(めい)、さっぱり意味(いみ)がわかりません。」
「ぼくにもわかりません。存在(そんざい)している時点(じてん)(ひと)しい関係(かんけい)ってことだったかな?」

D「「()ったかぶり魔王(まおう)」 たいして()りもしないことを(かた)りだします。」
反省(はんせい)します。」

E「だれからも(にく)まれない(ひと)。」
「なるほど。反省(はんせい)します。」

 

(ちゅう)
 

※1
日本(にほん)首都(しゅと)。1868(ねん)江戸(えど)幕府(ばくふ)所在地(しょざいち)であった江戸(えど)東京(とうきょう)(かい)(しょう)し、京都(きょうと)から遷都(せんと)した。日本(にほん)政治(せいじ)経済(けいざい)文化(ぶんか)中心地(ちゅうしんち)で、人口(じんこう)(やく)1,200(まん)日本(にほん)最大(さいだい)都市(とし)地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※2
東京(とうきょう)23()のひとつ。人口(じんこう)(やく)159,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※3
●ドナルド・ソボル作、花輪(はなわ)(かん)()(やく)。1977(ねん)偕成社(かいせいしゃ)発行(はっこう)

※4
●1948~ 。ミステリー作家(さっか)(ねこ)探偵役(たんていやく)の『三毛(みけ)(ねこ)ホームズの推理(すいり)』(1978(ねん)光文社(こうぶんしゃ)発行(はっこう))がベストセラーとなり、以後(いご)人気(にんき)作家(さっか)となる。

※5
新宿(しんじゅく)山吹(やまぶき)高校(こうこう)単位制(たんいせい)無学年制(むがくねんせい)採用(さいよう)し、また、定時制(ていじせい)課程(かてい)通信制(つうしんせい)課程(かてい)併設(へいせつ)する。定時制(ていじせい)課程(かてい)授業(じゅぎょう)のある時間帯(じかんたい)によって昼間部(ちゅうかんぶ)3()夜間部(やかんぶ)1()の4部制(ぶせい)となっている。生徒(せいと)自主的(じしゅてき)科目(かもく)選択(せんたく)し、自分(じぶん)のペースで学習(がくしゅう)することができる。

※6
●ある科目(かもく)を1週間(しゅうかん)に1(こう)時間(じかん)年間(ねんかん)(35週間(しゅうかん))をとおして学習(がくしゅう)すると1単位(たんい)になる。たとえば(しゅう)2(こう)時間(じかん)・1年間(ねんかん)教科(きょうか)単位数(たんいすう)は2単位(たんい)である。

※7
()どもたちの安全(あんぜん)健康(けんこう)(いの)行事(ぎょうじ)男子(だんし)は5(さい)女子(じょし)は3(さい)と7(さい)にあたる(とし)の11(がつ)15(にち)に、神社(じんじゃ)参詣(さんけい)する。

※8
全日制(ぜんにちせい)高校(こうこう)が3年間(ねんかん)課程(かてい)(しゅう)(りょう)するのに(たい)し、4年間(ねんかん)(しゅう)(りょう)する高校(こうこう)就業(しゅうぎょう)しながら(まな)生徒(せいと)事情(じじょう)にあわせ、時間割(じかんわり)がくまれている。

※9
(あさ)から夕方(ゆうがた)まで(通常(つうじょう)午前(ごぜん)4時間(じかん)午後(ごご)2時間(じかん)授業(じゅぎょう)(おこな)高校(こうこう)高校生(こうこうせい)大多数(だいたすう)全日制(ぜんにちせい)(かよ)っている。

※10
父親(ちちおや)感謝(かんしゃ)する()。6(がつ)(だい)3日曜日(にちようび)

※11
母親(ははおや)感謝(かんしゃ)する()。5(がつ)(だい)2日曜日(にちようび)

※12
●3(がつ)3()(おこな)われる(おんな)()のための(まつ)り。ひな(だん)(もう)けてひな人形(にんぎょう)(かざ)り、ひしもちや白酒(しろざけ)(もも)(はな)などを供える。

※13
新年(しんねん)(はじ)めて神社(じんじゃ)寺院(じいん)にお(まい)りすること。例年(れいねん)(おお)くの日本人(にほんじん)初詣(はつもう)でをする。

※14
日本(にほん)神社(じんじゃ)寺院(じいん)でくじをひいて運勢(うんせい)をみる(うらな)いの一種(いっしゅ)運勢(うんせい)がよくないときは、(うらな)いが()かれた(かみ)()(むす)び、その(とお)りにならないように(ねが)うことが(おお)い。

※15
毎年(まいとし)12(がつ)31(にち)夜半(やはん)から、(ふる)(とし)(おく)(あたら)しい(とし)(むか)えるにあたって、仏教(ぶっきょう)寺院(じいん)(かね)をつくこと。人間(にんげん)は108の煩悩(ぼんのう)(なや)まされているとする仏教(ぶっきょう)(おし)えにもとづき、(かね)は108(かい)つき、1(かい)つくごとに煩悩(ぼんのう)がひとつなくなるとされる。

※16
公立(こうりつ)小中学校(しょうちゅうがっこう)養護(ようご)学校(がっこう)、ろう学校(がっこう)(もう)学校(がっこう)では昼食(ちゅうしょく)用意(ようい)される。また、夜間(やかん)定時制(ていじせい)高校(こうこう)では夕食(ゆうしょく)用意(ようい)される。児童(じどう)生徒(せいと)給食(きゅうしょく)にかかる費用(ひよう)一部(いちぶ)支払(しはら)う。高校(こうこう)では通常(つうじょう)給食(きゅうしょく)はなく、各自(かくじ)弁当(べんとう)持参(じさん)したり、校内(こうない)購買部(こうばいぶ)(ちか)くの(みせ)()ったりして昼食(ちゅうしょく)とする。