マイ・ストーリー
水島(みずしま)(ゆう)
みずしま ゆう


わたしはこんな人
 

 のんびり()楽観的(らっかんてき)前向(まえむ)きで向上(こうじょう)(しん)(つよ)く、好奇心(こうきしん)がおうせいです。()きなことには、全精力(ぜんせいりょく)をかたむけて()りくみます。また、(ひと)なつっこいほうだと(おも)います。いったん信用(しんよう)して()をゆるした(ひと)(たい)しては、自分(じぶん)自身(じしん)をさらけだすことができます。
 一方(いっぽう)で、感情(かんじょう)起伏(きふく)(はげ)しく、ちょっとしたことですぐに()ちこんだりします。(ひと)()をつかいすぎてしまうのです。もう(すこ)鈍感(どんかん)になれればいいのになあと(おも)います。
 以前(いぜん)(とも)だちに、「(ゆう)は、(あか)でも(あお)でもない、(むらさき)みたいな(ひと)。いろんな(めん)をもっているから」と()われたことがあります。そのことばがうれしくて、それ以来(いらい)(むらさき)()きになりました。

 

おいたち
 

(ちい)さいころ
 わたしは、1983(ねん)神奈川県(かながわけん)※1川崎市(かわさきし)()まれました。小学(しょうがく)2年生(ねんせい)のときに横浜市(よこはまし)※2()()してきました。それからずっと横浜(よこはま)に住んでいます。だから、横浜(よこはま)がわたしのふるさとなのかなと思います。
 5(さい)のときに(いもうと)()まれるまで1(ひと)()()だったので、両親(りょうしん)には大事(だいじ)(そだ)てられました。とても自由(じゆう)(そだ)ててくれたおかげで、(ちい)さいときから自分(じぶん)のやりたいことをはっきりと主張(しゅちょう)する()だったようです。幼稚園(ようちえん)のころはおとなしくて、(はは)(ほん)()んでもらったり、()をかいたりするのが()きでした。

小学生(しょうがくせい)のころ
 小学校(しょうがっこう)時代(じだい)成績(せいせき)は、それほどよくもなく(わる)くもなく、成績(せいせき)のことでとくに問題(もんだい)になることはありませんでした。4年生(ねんせい)から3年間(ねんかん)、クラブ活動(かつどう)新体操(しんたいそう)をしていました。先輩(せんぱい)たちがボールやリボンなどを使(つか)って演技(えんぎ)する様子(ようす)がとてもかっこよく()えたので、自分(じぶん)もやりたいと(おも)って(はじ)めました。

中学生(ちゅうがくせい)のころ
 ブラスバンド()所属(しょぞく)して、フルートを()いていました。でも、1年生(ねんせい)の2学期(がっき)生徒会(せいとかい)(はい)ると、そちらのほうの活動(かつどう)(いそが)しくなり、ブラスバンド()(やす)みがちになりました。
 生徒会(せいとかい)はみんなでお(まつ)りのようにワイワイとやるところだったので、とても(たの)しかったです。いちばん印象(いんしょう)(のこ)っているのは、マリ共和(きょうわ)(こく)のサハラ砂漠(さばく)隣接(りんせつ)地帯(ちたい)砂漠化(さばくか)から(まも)植林(しょくりん)活動(かつどう)(たい)して寄付(きふ)(きん)(おく)るために、いろいろな活動(かつどう)()りくんだことです。わたしは文化(ぶんか)(さい)寄付(きふ)(つの)るため、寸劇(すんげき)脚本(きゃくほん)()いたりしました。文章(ぶんしょう)をまとめたり、()いたりするのは、小学生(しょうがくせい)のころから()きでした。中学校(ちゅうがっこう)では、文化(ぶんか)(さい)のために『白雪(しらゆき)(ひめ)』の脚本(きゃくほん)()きました。また、祖母(そぼ)戦争(せんそう)体験(たいけん)()()きした文章(ぶんしょう)博物館(はくぶつかん)展示(てんじ)されたこともありました。

 
 

高校(こうこう)生活(せいかつ)
 

鶴見(つるみ)高校(こうこう)
 もともと、ある私立(しりつ)高校(こうこう)推薦(すいせん)入試(にゅうし)※3をうける予定(よてい)でした。でも、ぎりぎりになって推薦(すいせん)基準(きじゅん)(たっ)していないことがわかり、公立(こうりつ)高校(こうこう)志望(しぼう)()えなければならなくなりました。あわてて、自分(じぶん)成績(せいせき)のレベルにいちばん(ちか)神奈川(かながわ)県立(けんりつ)鶴見(つるみ)高校(こうこう)受験(じゅけん)することに()め、受験(じゅけん)勉強(べんきょう)()りくみました。とにかくやれるだけのことはやろうと勉強(べんきょう)した結果(けっか)鶴見(つるみ)高校(こうこう)入学(にゅうがく)することができました。
 鶴見(つるみ)高校(こうこう)校則(こうそく)はそれほど(きび)しくありません。学校(がっこう)は、生徒(せいと)(きび)しく管理(かんり)するのではなく、生徒(せいと)自主性(じしゅせい)(おも)んじてくれます。わたしは、鶴見(つるみ)高校(こうこう)のそういう校風(こうふう)()きです。鶴見(つるみ)高校(こうこう)生徒(せいと)は、いい()で、そこそこ勉強(べんきょう)もできるけれど、(ちい)さくまとまっているという印象(いんしょう)があります。がんばらないのがいいという雰囲気(ふんいき)があって、文化(ぶんか)(さい)などの行事(ぎょうじ)中途半端(ちゅうとはんぱ)()りあがりで()わってしまいます。そういうところに(すこ)しもの()りなさを(かん)じますが、()ちついた雰囲気(ふんいき)には居心地(いごこち)のよさを(かん)じます。

写真(しゃしん)()ること
 わたしは写真部(しゃしんぶ)(はい)っています。写真部(しゃしんぶ)(はい)ったのは、ほかの()のように毎日(まいにち)参加(さんか)する必要(ひつよう)がなく、自分(じぶん)()きなときに写真(しゃしん)()ったり、プリント作業(さぎょう)をしたりすればいいというところが()にいったからです。
 写真部(しゃしんぶ)(はい)ったばかりのころ、先輩(せんぱい)たちと撮影(さつえい)()かけました。それまで、わたしはカメラにフィルムを()れる方法(ほうほう)さえ()りませんでした。そんなわたしに、先輩(せんぱい)は「(なん)でも()につくものを()ってみて。自分(じぶん)()きなものがあればそれを()ればいいし、ほかの(ひと)()るのをまねして()ってもいいよ」とアドバイスしてくれました。そこで、(らく)気持(きも)ちで写真(しゃしん)()りはじめると、シャッターを()(おと)感触(かんしょく)がとても(こころよ)(かん)じられました。アングルを()えるなど、いろいろな撮影(さつえい)のしかたがあるのも、そのとき(はじ)めて()りました。写真(しゃしん)()ること自体(じたい)がとてもおもしろくて、その()結局(けっきょく)100(まい)以上(いじょう)撮影(さつえい)しました。それ以来(いらい)、すっかり写真(しゃしん)にのめりこむようになりました。
 わたしは(ひと)写真(しゃしん)()るのが()きです。最初(さいしょ)のうちは、()らない(ひと)にカメラを()けるのがこわかったり、(わる)いような()がしたりして、(はな)建物(たてもの)など風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)写真(しゃしん)()っていました。でも、何度(なんど)撮影(さつえい)()くうちに、(ひと)にカメラを()けることにも()れ、(ひと)(うつ)すのが(たの)しくなってきました。
 (ひと)(うつ)した写真(しゃしん)は、自分(じぶん)()ったものでも、ほかの(ひと)()ったものでも、()ていてとてもおもしろいと(おも)います。「この(ひと)はどういう(ひと)なんだろう」とか、「この写真(しゃしん)がうまれるまで、撮影者(さつえいしゃ)被写体(ひしゃたい)のあいだにはどんなコミュニケーションがあったんだろう」とか、いろいろ想像(そうぞう)がひろがるのです。たぶん、わたしは人間(にんげん)()きなのだと(おも)います。
 写真(しゃしん)をきっかけに()りあった(ひと)もたくさんいます。カメラを()っていると、ふだんなら(はな)しかけることもない(ひと)たちと(はなし)をすることができます。たとえば、(あか)ちゃんを()れている(ひと)には、「(あか)ちゃん、かわいいですねえ。いくつですか」と(こえ)をかけたりします。写真(しゃしん)()りながら、いろいろな(ひと)とコミュニケーションをとるのは、本当(ほんとう)におもしろいです。
 写真(しゃしん)はわたしの(こころ)(うつ)(かがみ)でもあります。自分(じぶん)自身(じしん)(うつ)しても、ほかの(ひと)やものを(うつ)しても、自分(じぶん)(こころ)(うご)きが写真(しゃしん)(あらわ)れるのです。
 ある時期(じき)()った写真(しゃしん)()ると、(ひと)正面(しょうめん)から()ったり、アップで()ったりした写真(しゃしん)が1(まい)もありません。(うし)姿(すがた)や、(とお)くてだれだかまったくわからない人影(ひとかげ)のようなものばかり()っていました。ちょうどそのころ、わたしは自分(じぶん)企画力(きかくりょく)発想(はっそう)限界(げんかい)(かん)じていました。あるコンテストに()けて写真(しゃしん)()っていたのですが、どうしてもイメージをつかみきれずにいました。わたしは、いいアイディアであればほかの(ひと)意見(いけん)でも積極的(せっきょくてき)自分(じぶん)写真(しゃしん)()りいれたいと(おも)っています。でも、そのときは、(ひと)意見(いけん)にふりまわされるようになっていました。技術(ぎじゅつ)のなさはある程度(ていど)自覚(じかく)していたけれど、企画力(きかくりょく)発想(はっそう)(とぼ)しいというのは、われながらふがいなくて自分(じぶん)をゆるせませんでした。できあがった写真(しゃしん)は、ある程度(ていど)評価(ひょうか)をうけました。でも、自分(じぶん)写真(しゃしん)ではないような()がして()きにはなれませんでした。そのときは、自信(じしん)をなくして、以前(いぜん)のように積極的(せっきょくてき)(ひと)とコミュニケーションをとりながら撮影(さつえい)をする()になれませんでした。そういうわたしの心境(しんきょう)写真(しゃしん)(あらわ)れたのだと(おも)います。調子(ちょうし)(わる)いときのほうが、わたしの内面(ないめん)写真(しゃしん)にはっきり(あらわ)れるような()がします。調子(ちょうし)がいいときは、(なに)(かんが)えなくても、おもしろいように写真(しゃしん)()れるのです。

大学(だいがく)受験(じゅけん)
 (いま)高校(こうこう)2年生(ねんせい)なので、大学(だいがく)受験(じゅけん)までまだ時間(じかん)があります。でも、いつも(あたま)のどこかで受験(じゅけん)のことが()になっています。鶴見(つるみ)高校(こうこう)生徒(せいと)はたいてい2年生(ねんせい)まではのんびり()ごしています。でも、3年生(ねんせい)になったとたんに、(じゅく)(かよ)いはじめるなど、(ひと)()わったように一心不乱(いっしんふらん)受験(じゅけん)勉強(べんきょう)()りくむ(ひと)(おお)くなります。
 わたしは社会学(しゃかいがく)政治学(せいじがく)専攻(せんこう)できる大学(だいがく)受験(じゅけん)したいと(おも)っています。ジャーナリズムに関心(かんしん)があるからかもしれません。とくに、社会学(しゃかいがく)専攻(せんこう)すれば、分野(ぶんや)限定(げんてい)せずにいろいろなことを勉強(べんきょう)できそうだし、自分(じぶん)興味(きょうみ)をもっている社会(しゃかい)問題(もんだい)分析(ぶんせき)して、その解決(かいけつ)方法(ほうほう)(みちび)きだすことができるかもしれません。大学(だいがく)では、さまざまなタイプの(ひと)とであいたいので、なるべく学部(がくぶ)(おお)大学(だいがく)(はい)りたいと(おも)っています。

 

将来(しょうらい)について
 

 将来(しょうらい)は、ジャーナリズムの仕事(しごと)ができたらいいなあと(おも)っています。(ちい)さいころからテレビの報道(ほうどう)番組(ばんぐみ)()きでよく()ていました。「自分(じぶん)関心(かんしん)をもっていることについて調(しら)べ、その結果(けっか)(つた)える。それでお(かね)がもらえるなんて、ジャーナリストってなんていい仕事(しごと)なんだろう」と(おも)っていました。わたしは、写真(しゃしん)()れて、文章(ぶんしょう)()けるジャーナリストになりたいと(おも)います。それには、新聞社(しんぶんしゃ)がいちばんむいているかもしれません。1(ひと)()(ひと)()いかけるドキュメンタリーなど、テーマをしぼってじっくり()りくむような仕事(しごと)がしてみたいです。エリートコースにはのらなくてもいいけれど、(たの)しく夢中(むちゅう)になれる仕事(しごと)をみつけて、生涯(しょうがい)ずっと(つづ)けていきたいと(おも)っています。(はは)にも、「結婚(けっこん)しても、経済力(けいざいりょく)()につけておいたほうがいい」と()われています。つらいこともあるかもしれないけれど、自分(じぶん)のやりたいことを追求(ついきゅう)していくつもりです。

 

家族(かぞく)(とも)だち
 

■わたしの家族(かぞく)
 両親(りょうしん)(いもうと)とわたしの4(にん)家族(かぞく)です。わたしにとって家族(かぞく)空気(くうき)みたいな存在(そんざい)です。ふだんはそんなに家族(かぞく)存在(そんざい)意識(いしき)したりしません。でも、わたしを経済的(けいざいてき)精神的(せいしんてき)(ささ)えながらここまで(そだ)ててくれた両親(りょうしん)感謝(かんしゃ)しています。わたしは、自分(じぶん)がであう最初(さいしょ)社会(しゃかい)家族(かぞく)だと(おも)っています。家族(かぞく)とはいえ、自分(じぶん)とは(ちが)人間(にんげん)なので、いっしょに()んでいれば意見(いけん)があわなかったり、いがみあったりすることもあります。ぶつかりあいを()りこえて他人(たにん)との関係(かんけい)をきずいていくための訓練(くんれん)をする最初(さいしょ)社会(しゃかい)家族(かぞく)だと(おも)います。

■わたしの(とも)だち
  わたしには、クラスの(とも)だちや写真部(しゃしんぶ)仲間(なかま)など、いい関係(かんけい)をきずいている(とも)だちがいます。でも一時期(いちじき)友人(ゆうじん)関係(かんけい)、とくに(おんな)()どうしのつきあいについて、とても(ふか)(なや)んだことがありました。
 高校(こうこう)1年生(ねんせい)のとき、(むかし)から(なか)のよかった(おな)じクラスの()が、突然(とつぜん)(くち)をきいてくれなくなったのです。わたしは理由(りゆう)がわからず、「わたしが(わる)いんだ。どうすればいいんだろう?」「みんなわたしのことを(きら)いなのかな?」としばらく(なや)みました。(ひと)(しん)じることができなくなり、一言(ひとこと)ことばを(はっ)するにも勇気(ゆうき)必要(ひつよう)でした。相手(あいて)反応(はんのう)過剰(かじょう)敏感(びんかん)になっていて、こう()ったら(きら)われるのではないか、本音(ほんね)をぶつけると()まずくなってしまうのではないかと、あれこれ(かんが)えるうちにこわくて(なに)()えなくなっていました。わたしは、(おも)ったことをはっきりと、しかも(つよ)口調(くちょう)()ってしまいます。(べつ)悪気(わるぎ)はないのですが、相手(あいて)には(おも)ったよりきつく()こえて、それで相手(あいて)(きず)つけてしまうことがあるのかもしれません。その(おんな)()がなぜわたしを()けるようになったのか(いま)でもよくわかりませんが、もしかしたらわたしの(はな)しかたも関係(かんけい)があったのかなと(かんが)えたりします。自分(じぶん)全然(ぜんぜん)()にならないようなことでも、(ひと)によっては()になることもあるのでしょう。
 つらい状況(じょうきょう)でもなんとか学校(がっこう)生活(せいかつ)(おく)ることができたのは、写真部(しゃしんぶ)という()()があったからです。クラスにいるときはつらくても、写真部(しゃしんぶ)仲間(なかま)とは(たの)しく()ごすことができました。しばらくすると、クラスでも(あたら)しい(とも)だちができました。彼女(かのじょ)(なや)みをうちあけると、「みんながあなたのことを(きら)っているわけじゃないよ。わたしはそんなふうに(おも)ってないよ」と()ってくれました。それでたちなおることができたと(おも)います。
 (いま)でも(ひと)(はな)すときには()をつかうこともあります。(まわ)りの()がまったく()にならないというとうそになります。でも、以前(いぜん)のように神経質(しんけいしつ)になることはありません。それは、よい友人(ゆうじん)()ることができたおかげです。わたしが(なや)んでいたとき相談(そうだん)にのってくれて、わたしが自信(じしん)をとりもどす手助(てだす)けをしてくれた(とも)だち。ありのままのわたしを(みと)めてくれた(とも)だち。そういう(とも)だちがいなければ、自信(じしん)をとりもどすことも(ひと)(しん)じることもできなかったでしょう。つらかったけれどわたしにとっては大切(たいせつ)経験(けいけん)だったと、(いま)では(おも)います。よい友人(ゆうじん)関係(かんけい)をきずくには、自分(じぶん)自信(じしん)をもつこと、そして相手(あいて)(しん)じることが必要(ひつよう)なのだと(おも)うようになりました。

 

わたしのまち、横浜(よこはま)
 

 横浜(よこはま)日本(にほん)で2(ばん)めに人口(じんこう)(おお)都市(とし)です。自然(しぜん)(すく)ないけれど、とても()みやすいまちだと(おも)います。()しいものは(なん)でもすぐに()(はい)るし、映画館(えいがかん)図書館(としょかん)美術館(びじゅつかん)など文化(ぶんか)施設(しせつ)もたくさんあって、とても刺激的(しげきてき)です。
 また、横浜港(よこはまこう)は、150(ねん)ほど(まえ)日本(にほん)開国(かいこく)※4して以来(いらい)国内(こくない)最大(さいだい)貿易港(ぼうえきこう)です。そのせいか、いろいろな(くに)文化(ぶんか)()ざりあっています。(ちい)さいころから、わたしは横浜港(よこはまこう)周辺(しゅうへん)雰囲気(ふんいき)大好(だいす)きでした。いろいろな文化(ぶんか)()ざりあっている不思議(ふしぎ)雰囲気(ふんいき)がとても心地(ここち)よく(かん)じられます。たまに横浜港(よこはまこう)(ちか)くを散歩(さんぽ)するのですが、そのたびに(あたら)しい発見(はっけん)があります。
 わたしは、横浜(よこはま)大好(だいす)きです。でも、ほかのまちにも()んでみたいし、1(ひと)()()らしもしてみたいと(おも)っています。ほかにも、もっとおもしろいまちや自分(じぶん)にあうまちがあるかもしれません。それに、(あたら)しい環境(かんきょう)1(ひと)()生活(せいかつ)すれば、自分(じぶん)(あたら)しい(めん)発見(はっけん)したり、自分(じぶん)自身(じしん)成長(せいちょう)させたりすることができるような()がします。ほかのまちで生活(せいかつ)してみたら、横浜(よこはま)(たい)する印象(いんしょう)()わるかもしれません。

 

ユウってどんな(ひと)
 

(とも)だちのなっちゃん
 (ゆう)ちゃんとは1年生(ねんせい)のときから(おな)じクラスです。入学式(にゅうがくしき)(はじ)めて()ったときは、ちょっと()わった(ひと)だなあと(おも)いました。1(ひと)()でしゃべって、1(ひと)()(わら)っていたので、わたしはちょっとひいちゃったんです。でも、(はなし)をしてるうちに、2(ふた)()価値観(かちかん)()ているのに()づきました。たとえば、わたしも(ゆう)ちゃんも表現(ひょうげん)することが()きなんです。わたしは将来(しょうらい)文章(ぶんしょう)表現(ひょうげん)する仕事(しごと)につきたいと(おも)っているし、(ゆう)ちゃんは文章(ぶんしょう)写真(しゃしん)表現(ひょうげん)するような仕事(しごと)をしたいと()っています。お(たが)いの内面(ないめん)にふれてから、(なか)よしになりました。(ゆう)ちゃんは、いろんな(めん)をもった(ひと)です。とてもまじめなときもあれば、すごくはじけるときもあるし、(ひと)(たの)しそうにいっぱい(はなし)をしているときもあれば、1(ひと)()でだれとも(はな)さず(しず)かにしているときもあります。それから、自分(じぶん)のことやものごとをよく(かんが)えている(ひと)です。()いかたがちょっときついところがあるので、本人(ほんにん)には悪気(わるぎ)がないのに誤解(ごかい)されることもあります。それで、ちょっと(そん)をしているかな。とにかく、(ゆう)ちゃんは()れば()るほどおもしろい(ひと)です。(MY-P10参照(さんしょう)。)

■お(かあ)さん
 (ちい)さいころから感受性(かんじゅせい)(ゆた)かで、()をかいたり(ほん)()んだりするのが()きな()でした。その半面(はんめん)、とても繊細(せんさい)なところがあって、(ひと)のことばや行動(こうどう)にとても敏感(びんかん)反応(はんのう)していましたね。(いま)でも、(ひと)言動(げんどう)をストレートにうけとめて、あれこれ(かんが)えたり(なや)んだりするところがあるようです。わたしは、(ゆう)(おさな)いころから、「(ひと)(きず)つけるようなことはしないように」と()ってきました。だから、(ひと)(きず)つけないようにとても()をつかっていると(おも)います。その裏返(うらがえ)しで、(ひと)(きず)つけられることにも敏感(びんかん)になってしまうのでしょう。(ゆう)は、こわがりで慎重(しんちょう)(めん)もあるのですが、好奇心(こうきしん)(つよ)くて、(あたら)しいことに積極的(せっきょくてき)挑戦(ちょうせん)していく勇気(ゆうき)をもっている()です。将来(しょうらい)について、とくに(おや)としての要望(ようぼう)はありませんが、自立(じりつ)して、自分(じぶん)がやりたいことをみつけ、それを実現(じつげん)させていってくれたらいいなと(おも)っています。(MY-P07(さん)(しょう)。)

写真部(しゃしんぶ)仲間(なかま)たち
A興味(きょうみ)をもったことには、熱心(ねっしん)かつ真剣(しんけん)()りくむ。半面(はんめん)(ねっ)しやすく()めやすいところもあるかな」
「あたってる!わたしって、(なに)にでもすぐにはまって、すぐに()きちゃうの」

B意外(いがい)とミーハーなところがある。彼女(かのじょ)作品(さくひん)にトレンドを(かん)じるときがある」
(たし)かにミーハーなところがある。はやりものは大好(だいす)きだし、ちょっとすてきな(おとこ)()がいるとすぐにキャーキャー(さわ)いじゃう。でも、流行(りゅうこう)()りいれるかどうかは(べつ)!わたしのポリシーにあわなきゃだめ!」

C写真部(しゃしんぶ)活動(かつどう)について積極的(せっきょくてき)意見(いけん)()してくれる」
「へえ、そうなんだ。自分(じぶん)では積極的(せっきょくてき)なんて(おも)っていないけれど……」

D(なん)でも(たの)しくやろうというところがいい」
「わあ、うれしい!そう(おも)ってくれているなんて。(なん)でも(たの)しいほうがいいからね」

E(おとこ)まさりのところがある。『(おんな)()だから……』と()われるのをとても(きら)う」
(おとこ)まさりなんて、わたしのどこを()()ってるの?『(おんな)()だから……』って()われるのが(きら)いなのは、そのあとにたいてい否定的(ひていてき)なことばが(つづ)くからよ」
MY-P09(さん)(しょう)。)

 

(ちゅう)
 
※1
(きた)東京都(とうきょうと)隣接(りんせつ)する。県庁(けんちょう)所在地(しょざいち)横浜(よこはま)は、1859(ねん)開港(かいこう)以来(いらい)生糸(きいと)貿易(ぼうえき)中心(ちゅうしん)発展(はってん)し、現在(げんざい)では貿易(ぼうえき)(がく)日本一(にほんいち)港湾(こうわん)国際(こくさい)文化(ぶんか)都市(とし)となっている。高度(こうど)成長期(せいちょうき)(1955~73(ねん)以来(いらい)東京(とうきょう)のベッドタウンとして県内(けんない)宅地(たくち)開発(かいはつ)(すす)み、人口(じんこう)増加(ぞうか)(いちじる)しい。人口(じんこう)(やく)8,490,000(2000(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※2
東京(とうきょう)(わん)(めん)する神奈川県(かながわけん)県庁(けんちょう)所在地(しょざいち)日本(にほん)最大(さいだい)(みなと)(ゆう)する。江戸(えど)末期(まっき)までは(ちい)さな漁村(ぎょそん)であったが、1858(ねん)日米(にちべい)修好(しゅうこう)通商(つうしょう)条約(じょうやく)調印(ちょういん)により、横浜(よこはま)海外(かいがい)との通商(つうしょう)のため開港(かいこう)した。今日(こんにち)では、隣接(りんせつ)する川崎市(かわさきし)とともに京浜(けいひん)工業(こうぎょう)地帯(ちたい)中心(ちゅうしん)である。人口(じんこう)(やく)3,457,000(2000(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※3
通常(つうじょう)学科(がっか)試験(しけん)(おこな)わずに、中学(ちゅうがっ)校長(こうちょう)推薦(すいせん)内申書(ないしんしょ)面接(めんせつ)小論文(しょうろんぶん)学業(がくぎょう)以外(いがい)実績(じっせき)(スポーツ(など))などにもとづいて高校(こうこう)入学(にゅうがく)判断(はんだん)する入試(にゅうし)制度(せいど)

※4
●1850年代(ねんだい)から60年代(ねんだい)にかけて、徳川(とくがわ)幕府(ばくふ)鎖国(さこく)政策(せいさく)をあらため、西洋(せいよう)諸国(しょこく)との通商(つうしょう)外交(がいこう)関係(かんけい)再開(さいかい)したこと。とくに、1854(ねん)日米(にちべい)和親(わしん)条約(じょうやく)と1858(ねん)安政五ヵ(あんせいごか)(こく)条約(じょうやく)にもとづき、横浜(よこはま)などの(みなと)西洋(せいよう)諸国(しょこく)開港(かいこう)したことを()す。

※5
●3(がつ)3()(おこな)われる(おんな)()のための(まつ)り。ひな(だん)(もう)けてひな人形(にんぎょう)(かざ)り、ひしもちや白酒(しろざけ)(もも)(はな)などを(そな)える。

※6
●5・7・5・7・7の5句体(くたい)和歌(わか)のひとつ。7世紀(せいき)から今日(こんにち)にいたるまで、(ひろ)(さか)んに(おこな)われている。

※7
●5・7・5の17(おん)定型(ていけい)とする(みじか)()日本(にほん)伝統的(でんとうてき)詩歌(しいか)のうち(もっと)()(きゅう)している様式(ようしき)で、(いま)人気(にんき)がある。近年(きんねん)海外(かいがい)にも(ひろ)まっている。

※8
日本(にほん)建築(けんちく)座敷(ざしき)(もう)ける装飾的(そうしょくてき)空間(くうかん)正面(しょうめん)(かべ)書画(しょが)などをかけ、床板(ゆかいた)(うえ)(はな)()きものなどを(かざ)る。

※9
●1990年代(ねんだい)後半(こうはん)、おもに女子(じょし)高生(こうせい)のあいだで流行(りゅうこう)したソックス。ゆるめの(なが)いソックスをたるませ、ハイソックスのようにしてはく。

※10
●1985(ねん)福音館(ふくいんかん)書店(しょてん)発行(はっこう)