異なる文化のための建築:森俊子さんによるアプローチ

武蔵野美術大学

異なる文化のための建築:森俊子さんによるアプローチ

PEOPLEこの人に取材しました!

森俊子さん

建築家・ハーバード大学大学院デザイン学部建築科ロバートP ハバード実務建築教授

異なるルーツや文化の人々の為に手がけたセネガルでの建築プロジェクトを中心に、教育者からの視点で、建築、文化、共生においての考え方について伺いました。
写真©Toshiko Mori
トップ写真©Toshiko Mori
〈プロフィール〉
神戸出身の日本人建築家。ニューヨーク拠点の独自の建築事務所、「Toshiko Mori Architect PLLC」、Visio Arcの創設者兼主宰者。ハーバード大学大学院デザイン学部建築実務ロバートPハバード建築実務教授。ハーバード大学デザイン学部で女性初の終身在職権(テニュア)取得。

学生、新人時代

Q:建築家を志したきっかけについて教えてください。

子どもの時から絵を描くのが好きで、最初は芸術の方を目指していました。昔は女性が建築の職業に就くことは少なく、学生のころ建築家になりたいとは考えていなかったです。クーパ・ユニオン大学*では、一年生の頃は芸術科にいたのですが、建築科を覗いてみたら、沢山の模型を使っていて、面白そうだと思いました。当時、1960〜70年代の社会を見ている中、外の世界と孤立をしているアーティストがエリート扱いされて、アーティストはなんだか社会とかけ離れている存在だなと物足りなく感じていたのですよね。それに対して建築科の授業を見ていると、皆学校などを設計していて、社会をものすごく考えながらつくっているってことがわかってきました。それで1年生の終わりに、ジョン・ヘイダック氏**のところに行って、 建築科に転科したいですとお願いしました。

*ニューヨーク州マンハッタン区にある私立大学
**クーパーユニオンの研究科の学部長。世界的に有名なチェコ系アメリカ人建築家、芸術家、教育者

Q:新人時代に印象に残ったプロジェクトを教えていただきたいです。

卒論では物流交換の場所の歴史と流れについて研究していて、人と物の交流があるような、新しいマーケット・プレイスのデザインを考えていました。独立後、ニューヨークのヘンリー・ベンデルというデパートの社長に卒論を直接プレゼンしました。 そのデパートで、「日本のファッション・デザイナーを呼ぶことを考えているから、あなたのマーケット・プレイスをつくってくれないか」と言われ、つくりました。それが、コムデギャルソンのニューヨーク初のポップアップだったのです。

その後はファッションの方から依頼が来たため、初めの仕事はファッションのショップが多かったです。マディソン・アベニューのジュエリーや、三宅一生さんの店など。

セネガルでのプロジェクト

Q:森さんが手がけたセネガルのプロジェクト「スレッド」***についての発足時の経緯やエピソードをお伺いしたいです。

以前ジョセフとアニー・アルバース財団の展覧会の企画を任された時、財団の代表のニコラス・フォックスウェバーからアフリカのセネガルにて困っているコミュニティがあると聞いたことがきっかけでした。妊産婦死亡率と乳児死亡率が世界で一番高いエリアで、現地の病院では西洋の医療に不安があるという理由で、一人の患者のために40人くらいの家族が来ます。

そこで、現地にハーバードの大学院生と2度の研修旅行の後、病院の隣に文化施設をつくるから設計してくれないかという話になりました。スレッドという文化施設で、アーティストレジデンスをつくりました。アーティストがいない時でも、夜、子どもたちが宿題をやったり、お母さんたちが農業を始めたりできる場になりました。スレッドの建物の屋根は、勾配をつけており、雨水が貯水槽に蓄えるように設計されているのです。その水を使ってお母さんたちが小規模な農業をはじめ、野菜栽培で収入源がでるようになりました。その影響で子供も学校に行けて、栄養の高い食生活が営めるようになり、公衆衛生が進歩し、妊産婦死亡率や乳幼児死亡率がゼロに近くなりました。社会が安定してきたのです。

一つの建築をつくり、そのコミュニティの将来を考えていくことで、 村の人々の豊かな想像力で使用効果が倍率して、生活も安定してきたのです。

実はアフリカの辺鄙な貧困地で子供や村人のために建物をつくることは今流行りなのです。色々な財団の人たちが、可愛いアフリカの子どもたちと一緒にお写真撮って、プロモーションして、それで終わり。というのがとても多いです。それはとても残念なことですね。メンテナンスをし、相談に乗り、出資し、うまく運営ができるようにお手伝いすることが大切です。

つまり、建物一つのみをつくっただけではダメで、実際にこつこつと村の人たちと協力しながら運営する組織がないといけないのです。

***2015年に森さんが手がけたセネガルでの建築プロジェクト。アーティストの居住施設と屋内外のスタジオスペースを備えた社会文化センター。今では、農業トレーニング、音楽や芸術パフォーマンス拠点、そして周辺のコミュニティーの集会場所となっている。

スレッド
© Iwan Baan

Q:森さんは、セネガルのコミュニティとは異なるいわゆる部外者の立場ですが、現地の方からの信頼や理解は、どのようにして得られたのでしょうか。

これが一番大切なのですよ。こういうプロジェクトでは、部外者としてどういう風にアプローチするかということがものすごく大切です。

普通の建築家だったら、こういうものをつくりたいからこれをつくりますと言って、勝手に自分の主観からデザインを作成してしまいます。それは、ニューヨークでも東京でも都市社会でも同じです。いつでも建築家は部外者です。外の者が勝手に自分の考えを押しつけていいのかということはものすごく大きな課題だと思いますが、それを自覚している人が少ないと感じます。建築家は部外者で、どういう風に理解を深めて、適応性のある建物をつくっているのかというのが大切な作業なのです。今、国際的にも政治的にも不安定で、ややこしい時代だからこそ、色々なことを聞いて理解するという作業がとても大切だなと思います。

セネガルの場合では、ビレッジの医者が代表になって仕事を進めてくれました。ビレッジの医者なので、皆からの信頼がありコミュニティの人々を集めることができます。そのため色々な相談をしながらデザインを始めました。茅葺の屋根をつくる人たちに模型を見せて、つくり方の工程などを話し合いました。会話を重ねながら参加してくれたので、メンテナンスもしやすく村の生活と作業の一部になりました。建築は綺麗なものをつくって終わりという話ではないと思っています。そういうものもたくさんあるけれど、皆が参加していないから使われていないことが多いのです。したがって、コミュニティのものにするためにはどういう努力が必要か考えることがとても大切だと思います。

現地の人とコミュニケーションをとる
©Manuel Herz

共生について

Q:次に、森さんにとって、共生とは何でしょう?

私、その共生という言葉が漠然としていてわからないですが、この言葉は細かい、ささやかなところから発生しなればならないと思っています。例えば、一緒に皆で共生して宇宙に行こうとしてもできないですよね。どこで本当に理解しあえるかというと、お互いに生活していく中で、共通点を見つけてそれを繋げていくといったような、作業的には分別されて地味な話になってしまうわけです。漠然に共生といってもできないと思っています。

セネガルでは井戸水の生活でした。しかし気候変動で、ひとりが井戸水をつくってしまうとお隣さんの井戸が乾いてしまうのが現状です。水が足りなくなると女の子達が学校を休んで遠いところに水を取りにいくことになります。すると、学校へ登校できなくなります。そういう結果は大きな社会問題に繋がります。

つまり共生というと大きくてかっこいいと思うかもしれないけど、実際はその人々の毎日の日常生活に実際に関わらないと一緒に生きられません。家族と幸せに暮らしていくことで大きな社会ができていくといった、小さなしあわせの積み重ねによって、共生というものになってきます。その中の1つでも崩れてしまうと成り立ちません。

アートの社会的アプローチ

Q:今、ガザでも戦争が起きています。アートは医療に比べて直接的な影響力が低いと思いますがが、アートはどのような方向で良い社会的アプローチができるのでしょうか?

やはり文化を大切にすることは、根本的に爆弾などを落とさないということになります。人の命を奪う上に、パレスチナの芸術や伝統が宿る建物や街を壊すのはとてもいけないことです。それは、人類の文化を壊すということになります。したがって「アートの文化」の位置はとても高いと思いますね。

Q:ジョセフ・アルバース のように、お金ではなく誰かの生活を良くしたいからという意識によって、スレッドのような建築物ができたと思うのですが、企業やお金や政治の問題がある中で、世界平和のような夢のあることはどうすれば組み込めるのでしょうか?

「世界平和」って、すごく良いキャンペーンなので、うまく利用すればいいのです。「良い宣伝になるよ」、だったり「こう言うと、名前がよく見えるよ」だったり、誘導するのです。誘導するには、ある意味で社会の人々を教育しなければいけないので、建築家は常に教育者でもあるわけです。

例えば、ものを破壊する方が得意な会社であれば「その反対構想をして、人の命を救う会社をつくるのはどう?」とか言うのです。そうすると、反対する人はいないじゃないですか。 「いいね!」ってなることだってあります。

私たち、アーティストや、建築家は、かなり発言力を持っています。なぜなら、欲があって発言するわけじゃないからです。だからこそ、信頼性があるのです。信憑性もあり信頼性もあるため、「こっちの方がいいですよ」とか「こういう形でやるとお金が儲からないかもしれないけど、ネームバリューが上がりますよ。他の社会貢献が出来ますよ」とか言ってみるのです。そのように仕事を進めると、嫌と言う人は居ませんよね。

社会を住みやすく良い方向に誘導していくことが私たちの仕事でもあります。

(インタビュー:2024年6月)

Related Articles関連記事

共生

NEW!

カテゴリを通した先にいるあなたと私

共生

カテゴリを通した先にいるあなたと私

アーティスト
百瀬文(ももせあや)さん

コロナ渦で急速に発達したSNSによって、私たちは人々との関係性や距離感についていま一度考えなくてはならなくなった。その中で、百瀬文さんはアーティストとして変化していく社会と関わり続けている。このインタビューでは、彼女の作品やこれまでの活動の…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

ありのままの私が向き合うカテゴライズされる私

共生

ありのままの私が向き合うカテゴライズされる私

歌手、バーの経営者
ギャランティーク和恵さん

歌手や、バーの経営など多岐にわたる活動をしているギャランティーク和恵さんに、個々の表現の自由が尊重されている昨今で、自分がカテゴライズされることや、ありのままの自分を多角的に見せるにはどのようにするかという視点から、お話を伺いました。私たち…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

武蔵野美術大学

あったかいお湯とあったかいコミュニティ

共生

あったかいお湯とあったかいコミュニティ

黄金湯店主・オーナー
新保朋子さん

黄金湯を、地元の方から銭湯を愛する方、銭湯に馴染みのない方まで様々な人が楽しめる新しい銭湯として経営し、日本の銭湯文化を未来に繋いでいくことを目指しています。新保さんが打ち出す新たな銭湯のかたちを伺う中で、銭湯と人との繋がり、ひいては新保さ…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

パレスチナ~レンズの向こうの「第二の家族」

共生

パレスチナ~レンズの向こうの「第二の家族」

写真家
高橋美香さん

高橋美香さんは2000年からパレスチナに通い始め、そこで出会った「第二の家族」であるママとマハの二つの家庭での滞在を通してその日常を写真に収めています。この二つの家庭はどちらもイスラエルに隣接するパレスチナ自治区の、ヨルダン川西岸地区にあり…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

誰かの快は誰かの不快

共生

誰かの快は誰かの不快

感覚過敏研究所所長
加藤路瑛さん

私たちの班のメンバーの中には感覚過敏(具体的には嗅覚・味覚・聴覚過敏)があり、家族や周りの人と感覚に差があることで日常生活の中で苦痛を感じることがある人がいた。しかしこの班のメンバーはこれまで感覚過敏を持つ人が身近におらず親にもなかなか言え…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

海苔は食べるもの? 〜もう一つの視点で世界をのぞくデザイナー〜

共生

海苔は食べるもの? 〜もう一つの視点で世界をのぞくデザイナー〜

we+
林登志也さん 安藤北斗さん

we+は、 自然や社会環境からデザインの可能性を考え、歴史や自然、人工などの融合の模索をされている、コンテンポラリーデザインスタジオです。設立者は林登志也さん・安藤北斗さん。今年のインタビューテーマである「共生」という言葉すらもフラットな視…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学

やはり、味はムシできない

共生

やはり、味はムシできない

Bistro RIKYU オーナー
角田健一さん

角田さんは21歳から2年間飲食関連の専門学校通い、一度は飲食業も離れるも、神奈川県茅ケ崎市のレストランで10年以上シェフを務める。とあるイベントで昆虫食に触れたことを機に、2022年2月に地元である藤沢市に、昆虫食も扱うカフェ&ビストロ「B…(続きを見る)

私たちが
取材しました

武蔵野美術大学