Be Myself―日本語教師からカフェバリスタへ!

武蔵野美術大学

Be Myself―日本語教師からカフェバリスタへ!

PEOPLEこの人に取材しました!

尾島ヴァンダメイ幸香さん

Japan Australia Life Company最高経営責任者/ ZeeCaf. Nosh Co.オーナーバリスタ/日本語教師/トラウマヒーラー

オーストラリアへ渡りJapan Australia Life Company(JALC)の主任として日本語講座、日本語教師養成講座を開講。多くの生徒との関わりの中で、トラウマヒーラーとしても活躍する。そして2017年、シェフである夫リックさん、仕事仲間の直美さんと共にZeeCaf. Nosh Co.というカフェレストランを開く。日本からオーストラリアへ、教師からバリスタへとユニークな経歴を持つ尾島ヴァンダメイさんに、オーストラリアへの移動で経験した多くの出会い、そして自身の生き方についてお話を伺った。

日本語教師からカフェ経営へ!?

私はもともと、日本で国語の教師をやっていました。その中で日本語というものを別の側面から見てみたいと思っていました。2000年にワーキングホリデーでオーストラリアに来たのも、日本語教師の経験をしたかったからなんですよ。はじめはワーキングホリデーが終わったら日本に帰るつもりでした。でも、オーストラリアで日本語教師をする方が面白くなってしまって、しばらく滞在しようということになりました。
それから私は、日本語教師の資格をとって、シドニーで日本語教師として働き始めました。もっと日本語の研究をしたくて、シドニーの大学院にも通いました。大学院に通いながら大学や日本語学校で教えていましたね。 さらに、2005年にはオーストラリアで学校を始めました。
日本語学校で働きはじめてしばらく経ったころに今の夫と出会いました。夫は16歳からずっとキッチンで働いていたそうです。出会ったころの夫は、コース料理などが専門のレストランで副料理長をやっていました。出会ってしばらくはシドニーでバラバラに仕事をしていましたね。それから夫と結婚しました。 夫との出会いがカフェレストラン経営に至ったきっかけなんです。

夫の夢を叶えることを決心した

私が2005年からオーストラリアでやっていた学校は、メインは日本語教師養成講座で、日本人が相手のビジネスだったんです。ワーホリや観光で日本から来る日本人に、日本語だけでどうやって日本語を教えるか、ということを教えていました。学校は12年やっていて、世界中に500人くらい卒業生がいます。でも2011年に東日本大震災があってから、全然日本から留学する人が来なくなっちゃったんです。そこからビジネスがどんどん下り坂になってしまって。仕方なく、震災から2年後の2013年に学校をしめました。学校をしめることを決めた時に、既に料理長だった夫から、昔からの夢だった自分のお店を作りたいって言われました。結婚してから、7、8 年たっていたんですけど、その前から時々、将来的に自分のお店を持ちたいとは言われていたんですよ。でも、私は教師しかやったことがなかったので、接客なんて自分はやれないと思っていました。だけど、自分の学校がなくなることになって、もう覚悟を決めるしかないって思ったんです。彼の夢を一緒に叶えようと思いました。

尾島ヴァンダメイさんと夫リックさん

「教師を辞めちゃダメです!」

直美さんと尾島ヴァンダメイさん夫婦。3人の強い絆が新しい道を切り開いた

その時、私は完全に学校をやめて再開するつもりもありませんでした。もし希望があれば、レストランかカフェの片隅で、日本語をプライベートで教えるくらいでいいかな、とは思っていたんですけど。でも、私の学校で日本語教師として働いてくれていた直美さんという方に、学校をしめて、夫と一緒にカフェレストランをやるつもりだと話したら、日本語教師をやめちゃダメですって言われて。教師を続けてください、なんなら一緒にやりましょうって言われて、それで、直美さんと夫と私の3人で、新しく会社を作ることを決めたんです。

そのとき三人で始めた会社が、今やっているJapan Australia Life Companyという会社です。ZeeCaf. Nosh Co.っていうカフェレストランと、ジャパン・オーストラリア・ラングエッジセンターという語学部門が、一緒にコンバインされた会社になっています。
今カフェレストランをやっているサンシャインコーストへは、7年前に引っ越してきました。でも、4年前にカフェレストランをオープンする前の3年間は、カフェレストランができる場所を探しながら、自宅の片隅で引き続き日本語学校だけを続けていたんです。一応日本語教師養成講座も、細々とやっていました。

一からバリスタの勉強をはじめた

そのあとお店ができる場所が見つかって、2017年にカフェレストランをオープンしました。カフェレストランで日本語教師養成講座を続けようと思っていたのですが、その年に日本語教師の資格が見直されることになって、海外では日本語教師の資格が取れないことになってしまったんですよ。そうすると卒業しても生徒は日本の日本語学校でちゃんとした先生になりにくいってことになってしまったんです。すごく考えたんですけど、思い切って日本語教師養成講座をその年にやめました。
講座をやめてからは、バリスタになるために、1から勉強をはじめました。それまでは他の人にバリスタやフロントをやってもらっていたんですが、今は私がしています。仕事の内容は、カウンターに立って接客して、お客さんの注文をとって、コーヒーやドリンクを作ることです。お客さんの少ないランチタイムやディナータイムの間の時間を使って日本語も教えています。サンシャインコーストには日本語を勉強したい人がたくさんいるので、断っているくらいです。
カフェレストランのオーナーは私と、夫と、直美さんの3人でやっています。夫がシェフで、直美さんもちょっと料理をやっていますね。私は、料理は全然だめなんですけど。

カフェレストランのメニュー「とんかつ定食」

抹茶と柚子を使用したチーズケーキ

教師からトラウマヒーラーへ

日本語教師養成講座を12年間やってきましたが、周りからはよく、私の教え方は変わっていると言われました。私の授業では、生徒さんに模擬授業をやってもらって、終わったあとに、自分で反省してもらうんです。さらにそのあとに、模擬授業を見ていたクラスメイトが、フィードバックをしたり、ディスカッションをしたりします。基本的に生徒にやらせていくスタイルの授業ですね。
それを続けるうちに、生徒さんがクラスの前で発表する授業の反省点の原因が、生徒さんの子ども時代のトラウマにつながることが多いとわかってきました。 授業だけじゃなくて、例えば勉強をしていても、仕事をしていても、接客をしていても、上手くいかないことが繰り返し起こることってあると思います。 そのことに対して、なんでなんだろう?とか、変えたいって思って深く自分のなかに向き合っていくと、小さい頃とか、子どもの頃のトラウマに気づくことが結構あります。やっぱりずっとトラウマを見ないでいると、似たような同じ失敗が人生に起こってくるんです。
授業内でそういうことが結構起こり始めて。例えばフィードバックセッションの途中で、トラウマを見ないようにしたり、隠したり、最悪のケースだと嘘をついたりするようなことが起こってきます。私は次第に、生徒が言っていることが心から言っていることなのか、嘘をついているのか見抜けるようになっていました。そして、その生徒さんを鋭く追及することもあります。生徒の皆さんは辛いんですけど、辛いところを乗り越えていくので、私と一緒に学校で学んだことが人生に活きていると言ってもらえることが多くなりました。
一緒に働いていた直美さんが私の授業のやり方を見て、私は素でスピリチュアルを人生に取り込んでいる人だって言ってくれたことがあります。 スピリチュアルは現実の世界から切り離されたところにあるみたいなイメージを持っている人が多いんですが、そうじゃないんです。現実世界で今やっていること、例えば授業を通して、生徒さんの心がわかるようになったっていう体験自体がスピリチュアルということです。 今はカフェレストラン経営の傍ら、トラウマヒーリングをしています。これは、カウンセリングみたいなかたちで、お客さんのお話を聞きながら、どうやって自分のトラウマを探して向き合っていくのかをお手伝いするようなセッションです。必要であれば寝てもらってヒーリングして、体のエネルギーから変えていくようなこともやっています。

教師とスピリチュアル

日本語って日本人は無意識に話してるじゃないですか。でも、その無意識の中には気持ちが隠れているんです。例えば、「私、昨日は昼ごはん食べたよ」って言ったら、事実は、昨日お昼ご飯を食べたということだけだけど、「昨日は」の「は」を強調して使うことで、一昨日や今日は食べなかったってことかもしれない、というように、日本語の文法は無意識に隠れた気持ちを伝えてくるんです。
その無意識を意識化する作業が、日本人の日本語教師としての勉強です。そうやって自分の無意識にアクセスする作業を長年続けていたら、日本語の使い方以外にも、日頃から自分が無意識に言動していることがわかるようになってきました。日本語という、無意識で使っていることを意識して、勉強したり研究したりすればするほど、無意識の部分が小さくなったというか。自分が本当はどう思っているのかとか、表面的には忘れたことになっているけど潜在意識の中では辛いと感じていることがわかるようになってきたんです。
自分の潜在意識が深くわかるようになっていくと、今度は自分の無意識の下にある集合意識に感覚が届くようになってきて、そうすると人が潜在意識で思っていることがわかるんですが、それがトラウマに関連することがすごく多いんです。その能力を使って、人の心を読むとか、なんで人生上手くいかないのって思っている人の潜在意識を探っていくことが出来るようになりました。それで、もうスピリチュアルってことを堂々と言った方がいいなって思ったんです。夫と直美さんと私の3人で作った新しい会社では、カフェレストランと、日本語と、スピリチュアルな感じでやっていると言っています。
無意識を意識化するのは、やろうと思ってやったわけじゃなくて、気がついたらそうなっていたのですが、これも深掘りしすぎた結果なのかもしれないですね。

日本語教師時代の尾島ヴァンダメイさん

一つの物事を突き詰める

私は日本語教師養成講座を12年やっていました。教師や日本語に向き合うことは今もやっているので、25年も続けていることになります。だからそれしか出来ないと思っていたんですが、教師とは全然違うバリスタという仕事を1、2年やったぐらいに、世の中は全部同じなんだと確信したんです。人とのコミュニケーションを大事にする考え方とか、気になることがあったら見ないふりをしないで、ちゃんと掘り下げていくこととかです。
私は接客に関して新米だから、バリスタをゼロからはじめる気持ちでやっていたんです。でも、日本語教師や教師をはじめてから4年目のときに比べたら、バリスタの方が何倍も早く成長している気がします。それは、人生経験のおかげもありますが、やっぱり教師という一つの事をすごく深掘りして、向き合ってやったからなんだと思うんですよ。ひとつの事を突き詰めてやると、全然違うことにも応用がききやすいんです。

好きなことを突き詰められる環境をつくる

私は今も、料理が全然できません。まず気が向かない。私は料理が好きじゃないし、やってみたところであまりうまくいかないからです。大学に入ったとき、新しい友達や新しいサークルの人に、「幸香ちゃん料理できるの?」とか聞かれたんですけど、今が切り替えのチャンスだと思って、私は料理が全然できないって思い切っていうことにしました。本当のことを隠しちゃうと、自分がほんとは好きじゃなかったりできなかったりすることを変に期待されるじゃないですか。でも周りの人には、「そんなんじゃ、ちゃんと結婚できないんじゃないの?」とか言われていたんですけど、結局私はシェフと結婚したわけなんですよ。好きじゃなかったりやりたくなかったり苦手だったりすることは、どんどん手放して公言すると、そこをやってくれる人が現れるんです。代わりに、自分は料理してる時間と料理に使うエネルギーを自分の好きなことに費やせる。自分の好きなことを掘り下げられるといってもいいかな。だから人生は、自分が得意じゃないことを、どれだけ降参して諦めて手放していくかで、全然変わってくるんです。これ本当におすすめですよ。だから私は多分このまま、料理をほぼしなくていい人生を送ります。そういうふうに私は自分を好きなことに突き詰めさせるような環境を無意識に作ってきたんでしょうね。

選んだことに責任を持つ

日本を出てくる時、ワーホリビザは1年だけしかとっていませんでした。日本で一緒に働いてる人に「ワーホリに行きたいから学校辞めるとかどうかしてるんじゃないか」と言われたんですよ。安定した職業なのに。でもやっぱり今オーストラリアに行きたいし、行った方がいい気がするとすごく強く感じていて。やっぱり来てみたら正解だったんだなと思いました。そういう経験をちょっとずつ積み重ねることで、自分の直感に従って生きるべきだなという気持ちが、どんどん強くなってきたんです。この店始めてからもしばらく赤字だったり、田舎でお店やるって大変なので、うまくいかないこともたくさんありました。でも、間違ってたと思ったり後悔したりするのは簡単だけど、自分が選んだことの結果じゃないですか? 自分が選んだことに対して責任を持って、それが正しかったんだということに自分がしていかないといけないといつも思っていますね。だから、自分の選択が正しかったということにするために生きているって言ってもいいかもしれないです。

「Be myself」私らしく堂々と

もっと堂々と自分らしく、人と違った方がいいというのが完全に定着したのはオーストラリアに来てからですね。オーストラリアはすごく「Be yourself」という感覚が強い国で、みんなが自分らしく生きているんです。人と違っていていいし、それぞれの個性を大事にするという文化がある国なんです。人生半分くらいこっちで過ごしているので、私が今自分らしく堂々と生きているのがオーストラリアに来たからなのか、単に色々な人生経験を積んできたからなのか、分からないですけど。全部ミックスなんでしょうけどね。
最終的には、「Be Myself」。つまり私自身でいることが大切だと、最近の何年かは思っています。オーストラリアにいるからオーストラリアに合わせて過ごすこともあったけど、結局、オーストラリア人特有の嫌味の冗談に対して傷ついてしまう自分とか、英語の発音が悪い自分とか、日本の文化を背負った自分も全部含めて私なので、その私っていう人を相手にちゃんと理解してもらうことが大事だなって思うようになりました。変に現地の人に合わせたり、オーストラリア人みたいに英語を話すことで仲良くなるというよりも、少し日本語のアクセントが残っているから私らしさが出るという風に思うようになりました。

浴衣を着てカウンターに立つ尾島ヴァンダメイさん

今もカフェレストランの外にジャパニーズレストランとは一切書いていないから、カフェレストランに入ってきたときに、日本人がいらっしゃいませみたいな感じで出てくると、戸惑う人も多いです。最初は、アジア人がやってることに慣れていなくて差別的な感じのお客さんや、あんまりアジア人と接したことがないお客さんもいて、あんまり私と話したがらない人もいました。
そこで、私が今立ってるのがこのうちのカフェレストランの特徴だと思うことにしたんです。そうしたら、お客さんに、私が堂々と明るく私らしくいるから、みんなもどんどん受け入れてると思うよって言ってもらえるようになりました。

カフェ、日々の出会い

お客さんとの出会いは、毎日特別だ

カフェレストランは4年になるんですけど、毎日来てくれる常連さんもできて、地元に根ざして地域の人たちにすごくサポートされながらやってきました。私、やっぱり人がすごく好きなんです。カフェレストランで働くようになって思ったのは、学校の生徒が、お客さんに変わっただけなんだな、ということ。もちろん、長い時間関わっていく生徒とその時その時のお客さんっていう違いはあるけれども、カウンター越しにお客さんと接していると色々な話を聞くし、悩み相談を受けることもあって、生徒さんみたいな感じでお客さんと接しています。オーストラリアの人って変に周りとか気にしない、というところもあるから、お店に来てくれる人たちの人生というか、いろんな部分を一緒に見てきた、というところもあります。オープン当時から知っている男の子、女の子が恋人を連れてくるようになったとか、喧嘩したり別れたりして辛いとか、相談にのってハグして慰めるとか、そういうことをしていると子どもがたくさんいるような気持ちになります。お客さんとのやりとりで、家族がたくさんいるみたいな気持ちになるし、毎日すごく特別な出会いがあるなと思っています。

移動するということ

学生の皆さんには「移動する」ことを勧めたいですね。移動することですごく世界が広がります。でも、たとえば日本の中だけの移動であれ、大学の中の移動であれ、どういう範囲の移動であっても、今いる自分の場所から動くって、場合によっては怖いことだとも思うし、勇気がいることじゃないですか。新しい場所に移動してどうやって適応していこうか、と考えると思うんですけど、そこでやっぱり大事なのが「自分をしっかり持つ」ということだと思います。自分が何をやりたいのかわからなくなっていたり、迷ってしまったりする時期ってあるけれど、必ず全員に役割というものがあって、必ずみんな自分らしさというものは持っているんです。だからそこを信じて移動して欲しい。自分の中で自分の芯をしっかり持っていれば、移動した先での相手の文化とか違いとかを受け入れられるし、新たな自分というものも見つけやすくなるよ、というのがこれまでの私の体験から言えることです。

(インタビュー:2021年6月)

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