マイ・ストーリー
吉田(よしだ)功二郎(こうじろう)
よしだ こうじろう


ぼくはこんな(ひと)
 

 ぼくは人見知(ひとみし)りをするタイプです。でも、(ひと)によってぼくに(たい)する印象(いんしょう)(ちが)うと(おも)います。ある(ひと)は、ぼくのことをおとなしいと(おも)うかもしれませんが、(べつ)(ひと)はよくしゃべるやつだと(おも)うのではないでしょうか。自分(じぶん)でも二面性(にめんせい)があると(おも)います。(とき)場合(ばあい)(おう)じて、積極的(せっきょくてき)にも消極的(しょうきょくてき)にもなります。(なに)(かんが)えていないように(おも)われたりするのですが、(じつ)(なに)()ったあとで、「どうしよう」と(おも)(なや)んだりすることもあります。
 まちなかよりいなかのほうが()きなように、人工的(じんこうてき)なものよりは自然(しぜん)のほうが()きです。

 

おいたち
 

(ちい)さいころ
 ぼくは、1981年(ねん)長崎県(ながさきけん)※3長崎市(ながさきし)()まれました。()まれたばかりのころは、ミルクをたくさん()んでいたそうです。()まれてしばらくすると体重(たいじゅう)(すこ)()るのがふつうなのですが、ぼくは(ぎゃく)体重(たいじゅう)()えました。医者(いしゃ)から「生活(せいかつ)能力(のうりょく)がある()だね」と()われたそうです。よく(ねむ)り、おとなしくて()のかからない(あか)(ぼう)だったようです。
 幼稚園(ようちえん)のころは、おとなしく、口数(くちかず)(すく)ない()でした。(いえ)(まわ)りは自然(しぜん)(おお)かったので、幼稚園(ようちえん)のころから、(むし)かごと(あみ)()って(やま)(おこな)って昆虫(こんちゅう)()っていました。昆虫(こんちゅう)図鑑(ずかん)がぼろぼろになるまで()るほど昆虫(こんちゅう)()きでした。

小学生(しょうがくせい)のころ
 小学(しょうがく)3年生(ねんせい)のとき、(ちち)転勤(てんきん)兵庫県(ひょうごけん)※1姫路市(ひめじし)※2()()すことになりました。ぼくにとって、これは大事件(だいじけん)でした。姫路(ひめじ)長崎(ながさき)では、文化(ぶんか)というと(おお)げさすぎますが、(ちが)うところがたくさんあります。まず、ことばが全然(ぜんぜん)(ちが)うし、()んでいる(ひと)性格(せいかく)(ちが)うように(かん)じました。それから、環境(かんきょう)(ちが)いました。長崎(ながさき)では、(いえ)(まわ)りがみかん(はたけ)で、学校(がっこう)から(かえ)ると、1人(ひとり)昆虫(こんちゅう)(つか)まえに()ったりしていました。ところが、姫路(ひめじ)では、公園(こうえん)はあっても(そと)(あそ)()どもは(すく)なく、だれかの(いえ)(あつ)まってテレビゲームで(あそ)ぶのがふつうでした。
 環境(かんきょう)やことばの(ちが)いに、ぼくはすっかりとまどってしまいました。(あたら)しい環境(かんきょう)になかなかなじめず孤独感(こどくかん)(あじ)わうこともありました。
 そして、転校(てんこう)してきた(とし)10月(がつ)遠足(えんそく)()ったとき、かなり(たか)遊具(ゆうぐ)から()ちて、左腕(ひだりうで)骨折(こっせつ)して入院(にゅういん)しました。2、3週間(しゅうかん)入院(にゅういん)したことがきっかけとなって、「保健室(ほけんしつ)登校(とうこう)」をするようになりました。つまり、学校(がっこう)には()くのですが、教室(きょうしつ)ではなく、保健室(ほけんしつ)でずっと()ごしていたのです。そのときは、保健室(ほけんしつ)先生(せんせい)がいろいろと(はなし)()いてくれました。でも、4年生(ねんせい)になると、その保健室(ほけんしつ)先生(せんせい)他校(たこう)(うつ)ってしまい、保健室(ほけんしつ)()くこともなくなりました。そして、(いえ)()じこもるようになりました。そんなぼくを両親(りょうしん)心配(しんぱい)して、(うみ)(かわ)()りに()れていったりしてくれました。夏休(なつやす)みなどには、(なが)めの旅行(りょこう)にもよく()かけました。(ふゆ)には信州(しんしゅう)()って、(はじ)めてスキーも経験(けいけん)しました。
 このころ、ぼくの身近(みぢか)にいて、なぐさめてくれたのはペットでした。そのころ(いえ)にいたのは、(かめ)1(ぴき)(ねこ)2(ひき)、そして(いぬ)1(ぴき)です。ちなみに、現在(げんざい)は、(かめ)が4(ひき)(ねこ)が3(びき)(いぬ)が2(ひき)、それから小鳥(ことり)が4()います。動物(どうぶつ)のほか、植物(しょくぶつ)にも興味(きょうみ)があって、いろいろな植物(しょくぶつ)名前(なまえ)(おぼ)えました。(いま)でも、植物(しょくぶつ)()たり(そだ)てたりするのが()きで、ときどき園芸店(えんげいてん)などに()って、鉢植(はちう)えなどを()います。

中学生(ちゅうがくせい)のころ
 中学校(ちゅうがっこう)進学(しんがく)してから、クラスメイトの(かお)ぶれは()わりましたが、学校(がっこう)(やす)みがちで、周囲(しゅうい)になじめない(てん)()わりませんでした。家族(かぞく)との関係(かんけい)もあまりよくありませんでした。両親(りょうしん)(あに)(いもうと)(くち)をほとんどきくこともなく、食事(しょくじ)は1(にち)一度(いちど)とるだけでした。1(にち)大半(たいはん)を、(いえ)にある(ほん)()んで()ごしました。だれとも(かお)をあわせたくなくて、部屋(へや)から()ませんでした。ペットにも(せっ)しませんでした。
 このころ、「いい高校(こうこう)()って、大学(だいがく)(すす)んで、安定(あんてい)した企業(きぎょう)のサラリーマンになる」ことを両親(りょうしん)期待(きたい)していることになんとなく()づいていました。両親(りょうしん)(おも)いえがいているような(みち)から、はずれてしまった自分(じぶん)(くる)しい気持(きも)ちをわかってほしいと(おも)っていました。でも、そのことを両親(りょうしん)()いませんでした。()ってもしかたがないと(おも)っていたからです。「なるようになれ」というすてばちな気持(きも)ちもありました。しかし、その一方(いっぽう)で、毎日(まいにち)学校(がっこう)(かよ)う「ふつうの生活(せいかつ)」がしたいという(おも)いが(すこ)しずつ(つよ)くなっていました。
 そんなとき、転機(てんき)(おとず)れました。3年生(ねんせい)の10(がつ)(ひさ)しぶりに登校(とうこう)したある()のことです。英語(えいご)授業(じゅぎょう)で、先生(せんせい)県内(けんない)私立(しりつ)高校(こうこう)3(こう)紹介(しょうかい)してくれました。そのひとつが市川(いちかわ)高校(こうこう)でした。姫路(ひめじ)では、私立(しりつ)高校(こうこう)公立(こうりつ)高校(こうこう)()ちた(ひと)()くところだというイメージを(いだ)いている(ひと)もいます。でも、先生(せんせい)説明(せつめい)()いて、私立(しりつ)高校(こうこう)には公立(こうりつ)(こう)にないよさもあるかもしれないと(おも)いました。それに、出席(しゅっせき)日数(にっすう)(すく)ないぼくにとって、内申書(ないしんしょ)※4(じゅう)()される公立(こうりつ)高校(こうこう)不利(ふり)でした。市川(いちかわ)高校(こうこう)推薦(すいせん)※5制度(せいど)というのがあって、推薦(すいせん)(わく)(はい)れば、内申書(ないしんしょ)がよくなくても(はい)れることを()りました。このことを()ったときは、うれしかった。これが、ぼくに(あた)えられた最後(さいご)のチャンスかもしれないと(おも)いました。すぐに担任(たんにん)先生(せんせい)に、「推薦(すいせん)市川(いちかわ)高校(こうこう)受験(じゅけん)したい」と相談(そうだん)しました。ぼくの希望(きぼう)理解(りかい)してくれた担任(たんにん)先生(せんせい)は、条件(じょうけん)()しました。それは、「明日(あした)からきちんと登校(とうこう)する」ということでした。突然(とつぜん)登校(とうこう)するようになったぼくに(たい)して、「がんばれよ」と(こえ)をかけてくれるクラスメイトもいました。担任(たんにん)先生(せんせい)応援(おうえん)もあって、ぼくは「やるしかない」という気持(きも)ちで、必死(ひっし)学校(がっこう)()き、(じゅく)にも(かよ)いました。そして、無事合格(ぶじごうかく)しました。両親(りょうしん)も、ぼくが自分(じぶん)(えら)んだ高校(こうこう)合格(ごうかく)したことを(こころ)から(よろこ)んでくれました。

 
 

高校(こうこう)生活(せいかつ)
 

市川(いちかわ)高校(こうこう)
 市川(いちかわ)高校(こうこう)(はい)って、(わる)いイメージをもたれないように、ぼくは(つと)めて(あか)るくふるまいました。それまでの経験(けいけん)から、「なめられちゃだめだ」という(おも)いがあったからです。そして、弓道部(きゅうどうぶ)(はい)り、(おお)くの友人(ゆうじん)ができました。また、自分(じぶん)目標(もくひょう)()めて、その目標(もくひょう)()かってがんばることのおもしろさもわかってきました。たとえば、2ヵ月後(げつご)漢字(かんじ)検定(けんてい)試験(しけん)をうけるという目標(もくひょう)をつくり、がんばる。がんばった結果(けっか)合格(ごうかく)する。(つぎ)にまた(ちが)目標(もくひょう)をつくる。(はじ)めて自分(じぶん)(ちから)学校(がっこう)生活(せいかつ)をきりひらいているという実感(じっかん)がもてました。
 そして、いろいろな(みち)があることを()りました。市川(いちかわ)高校(こうこう)卒業生(そつぎょうせい)進路(しんろ)はさまざまです。就職(しゅうしょく)する(ひと)もいれば、専門(せんもん)学校(がっこう)※6()(ひと)もいるし、大学(だいがく)()(ひと)もいる。両親(りょうしん)(おも)いえがいている(みち)だけではないことを()ったのです。ぼくの視野(しや)(ひろ)がりました。そして、前向(まえむ)きになりました。現在(げんざい)まで、無遅刻(むちこく)無欠席(むけっせき)です。

弓道部(きゅうどうぶ)
 (おな)中学校(ちゅうがっこう)出身(しゅっしん)同級生(どうきゅうせい)から(さそ)われたので、弓道部(きゅうどうぶ)入部(にゅうぶ)しました。ぼく自身(じしん)、もともと弓道(きゅうどう)興味(きょうみ)もありました。3年生(ねんせい)から部長(ぶちょう)をつとめています。放課後(ほうかご)、2時間(じかん)ぐらい練習(れんしゅう)します。現在(げんざい)初段(しょだん)です。弓道(きゅうどう)は、スポーツ(けい)文科系(ぶんかけい)中間(ちゅうかん)位置(いち)するような武道(ぶどう)だと(おも)います。
 弓道(きゅうどう)は、()(まと)()てるかどうかだけではなく、入場(にゅうじょう)してから退場(たいじょう)するまでの作法(さほう)大切(たいせつ)です。ちょっと堅苦(かたくる)しいと(おも)うときもありますが、作法(さほう)必要(ひつよう)なことだろうと(おも)います。ぼくは(ゆみ)()くときがいちばん()きです。そのときは(なに)(かんが)えていません。その()状態(じょうたい)()きなのです。
 弓道(きゅうどう)(つづ)けることで、忍耐力(にんたいりょく)持続力(じぞくりょく)()ることができました。それまでぼくは(なに)かひとつのことを最後(さいご)までやりとおすことが苦手(にがて)だったのですが、弓道(きゅうどう)を3年間(ねんかん)(つづ)けられたこと、さらに部長(ぶちょう)としてみんなをまとめてこられたことは、(おお)きな自信(じしん)につながりました。「自分(じぶん)にもできるんだ」という自信(じしん)は、将来(しょうらい)目標(もくひょう)にもつながっていきました。それまで、ぼんやりと(かんが)えていた「獣医(じゅうい)」という目標(もくひょう)明確(めいかく)なものになったのです。

市川(いちかわ)高校(こうこう)について
 当初(とうしょ)市川(いちかわ)高校(こうこう)にはあまりいいイメージはもっていませんでした。しかし、その半面(はんめん)市川(いちかわ)高校(こうこう)が「ふつうの生活(せいかつ)」ができるチャンスをぼくに(あた)えてくれるだろうという期待(きたい)もありました。市川(いちかわ)高校(こうこう)には勉強(べんきょう)にうちこむ(ひと)部活(ぶかつ)(はげ)(ひと)趣味(しゅみ)没頭(ぼっとう)する(ひと)など、とにかく、いろいろな個性(こせい)をもった(ひと)たちがいます。そういった(ひと)たちがぼくの固定的(こていてき)(かんが)えを(あらた)めてくれました。
 ぼくは、市川(いちかわ)高校(こうこう)入学(にゅうがく)して、努力(どりょく)することの(たの)しさを(おぼ)えたり、弓道部(きゅうどうぶ)部長(ぶちょう)をつとめたり、以前(いぜん)のぼくには(かんが)えられない生活(せいかつ)(おく)っています。ぼくにとって、いわば人生(じんせい)のスタートラインとなった学校(がっこう)なので、恩人(おんじん)のように(かん)じています。

 

将来(しょうらい)について
 

 (ちい)さいころから、「獣医(じゅうい)」という仕事(しごと)はとても身近(みじか)なものでした。ペットをたくさん()っていたので、ペットを病院(びょういん)()れていくことも(おお)く、「獣医(じゅうい)」に自然(しぜん)興味(きょうみ)をもつようになりました。そして、テレビや新聞(しんぶん)などで、ペットだけではなく、家畜(かちく)野生(やせい)動物(どうぶつ)()ることも獣医(じゅうい)仕事(しごと)であることを()り、野生(やせい)動物(どうぶつ)保護(ほご)するという仕事(しごと)(おお)きな魅力(みりょく)(かん)じるようになりました。
 自然界(しぜんかい)生息(せいそく)している(おお)くの野生(やせい)動物(どうぶつ)は、本来(ほんらい)なら(ひと)()()りずに()きていけるはずなのに、(いま)では自分(じぶん)たちの能力(のうりょく)だけでは()きていけない状況(じょうきょう)にあると(おも)います。たとえば、鉛玉(なまりだま)()みこんでしまった(とり)は、自分(じぶん)ではどうすることもできません。人間(にんげん)のせいで(きず)ついた動物(どうぶつ)は、人間(にんげん)しか(たす)けることができません。このような野生(やせい)動物(どうぶつ)(たす)けてやりたいと(おも)っています。
 以前(いぜん)()っていた(ねこ)()ってきた(とり)世話(せわ)したことが何度(なんど)かあります。(きず)ついて()べなくなった(とり)が、ぼくの手当(てあ)てで元気(げんき)になり、手元(てもと)から()んでいく姿(すがた)()て、(なん)とも()えない充実感(じゅうじつかん)(おぼ)えました。獣医(じゅうい)になって、もっとたくさんの動物(どうぶつ)元気(げんき)にすることができれば、本当(ほんとう)(しあわ)せだと(おも)います。

 

家族(かぞく)(とも)だち
 

■ぼくの家族(かぞく)
 両親(りょうしん)2(ふた)(うえ)(あに)2(ふた)(した)(いもうと)、ぼくの5人家族(にんかぞく)です。ぼくの家族(かぞく)はみんなで(あつ)まってワイワイとにぎやかに(さわ)ぐことはあまりありません。どちらかと()えば、(しず)かです。でも、ぼくにとって、家族(かぞく)はいつも(ちか)くにいるのがあたりまえの存在(そんざい)です。もしいなくなったら、「ぼくはどこに(かえ)ればいいの?」と途方(とほう)にくれるのではないかと(おも)います。中学生(ちゅうがくせい)のときは、両親(りょうしん)とあまり(はなし)をすることはありませんでしたが、ぼくが市川(いちかわ)高校(こうこう)進学(しんがく)したいと()ったとき(はは)(こころ)から(よろこ)んでくれました。そんな(はは)姿(すがた)()て、ぼくもうれしかったことを(おぼ)えています。(ちち)仕事(しごと)(いそが)しく、ぼくら()どもたちには無関心(むかんしん)だと(おも)っていました。でも、最近(さいきん)進路(しんろ)(はなし)をするようになって、そうではなかったことを()りました。それもやはりうれしかったことです。
(はは)とはよく(はなし)をします。(はは)動物(どうぶつ)植物(しょくぶつ)()きので、(はなし)がよくあうのです。ぼくは、基本的(きほんてき)にだれにも相談(そうだん)しないで、(なに)ごとも1人(ひとり)(かんが)えて()めます。でも、()めていても、(はは)相談(そうだん)するように(はなし)をします。たとえば、英語(えいご)検定(けんてい)試験(しけん)をうけるとを()めているときも、「英語(えいご)検定(けんてい)試験(しけん)、うけようかなあ」というように(はは)(はな)すのです。(はは)はぼくがすでに()めていることを()ってか()らずか、「いいんじゃない」と賛成(さんせい)してくれます。ぼくの気持(きも)ちを尊重(そんちょう)してくれているのだと(おも)います。
 高校(こうこう)2年生(ねんせい)のとき、(はは)に「わたしたちは、『いい学校(がっこうく)(はい)って、いい会社(かいしゃ)就職(しゅうしょく)する』のが(しあわ)せだと(おも)っていたのよ」とうちあけられました。「ぼくの(かん)じていたとおりだったんだ」と(おも)いましたが、そのときは、獣医(じゅうい)になるという目標(もくひょう)をもっていたので、いやな(かん)じはしませんでした。むしろ、(おや)()どもに期待(きたい)するのは当然(とうぜん)なことで、(なに)期待(きたい)されなかったら(さび)しいことです。(おや)期待(きたい)されるのは、むしろ(しあわ)せなことだと(おも)うようになっていました。

■ぼくの(とも)だち
 ぼくにとって、友人(ゆうじん)()がねなしにつきあえる存在(そんざい)です。()ちこんでいるときに、(なや)みを()いてもらうのではなく、いっしょに(さわ)いだりしているうちに(なや)みを(わす)れることができる、そういう存在(そんざい)です。ぼくは(ひと)をよくからかいます。だから、()がねなくからかうことができる(ひと)、つまりよけいな()をつかわずに意思(いし)疎通(そつう)ができるかできないかが、友人(ゆうじん)としてつきあえるかどうかのポイントだと(おも)います。

 

ぼくのまち
 

(いま)()んでいるまち、姫路市(ひめじし)
 姫路(ひめじ)()えば、世界(せかい)遺産(いさん)にも指定(してい)されている姫路城(ひめじじょう)※7圧巻(あっかん)だと(おも)います。(いま)()んでいる「城見台(しろみだい)」はその()のとおり、(しろ)()える台地(だいち)で、(よる)になるとライトアップされた姫路城(ひめじじょう)がうかんで()えます。本当(ほんとう)にきれいな景観(けいかん)です。()中心部(ちゅうしんぶ)()ると、ごみごみしていて(すこ)苦手(にがて)です。どちらかというと、にぎやかなまちなかはあまり()きではありません。姫路城(ひめじじょう)周辺(しゅうへん)年中(ねんじゅう)地元(じもと)(ひと)はもちろん国内外(こくないがい)から人々(ひとびと)(おとず)れます。姫路城(ひめじじょう)中心(ちゅうしん)にいつも活気(かっき)にあふれているまち、それが姫路(ひめじ)だと(おも)います。

()まれたまち、長崎市(ながさきし)
 (おさな)いころ()んでいた長崎(ながさき)理屈(りくつ)ぬきで(なに)から(なに)まで()きです。(いま)でも、テレビなどで長崎(ながさき)のまちなみが紹介(しょうかい)されているのを()にすると、すぐにでも()きたくなります。でも、それは過去(かこ)のいいおもいでがあるからで、あくまで過去(かこ)過去(かこ)だと(おも)っています。過去(かこ)をときどきなつかしむのはいいけれど、(いま)(なに)より大切(たいせつ)です。これは、市川(いちかわ)高校(こうこう)自分(じぶん)居場所(いばしょ)をきちんときずけたから()えることだと(おも)います。

 

コウジロウってどんな人?
 

■お(かあ)さん
 長崎(ながさき)にいたころは、「勉強(べんきょう)ができてあたりまえ」「いい()であってあたりまえ」と(おも)ってました。でも、姫路(ひめじ)()()してきて、勉強(べんきょう)()きとか(きら)いとかという以前(いぜん)に、学校(がっこう)すべてを拒否(きょひ)している(こう)二郎(じろう)()て、元気(げんき)毎日(まいにち)()ごすことがいちばんだと(おも)うようになりました。
 (こう)二郎(じろう)自分(じぶん)意志(いし)行動(こうどう)できる()です。器用(きよう)ではないのですが、自分(じぶん)()きなものに(たい)しては、とことん熱中(ねっちゅう)するところがあります。自分(じぶん)(えら)んだ高校(こうこう)合格(ごうかく)したときは本当(ほんとう)にうれしく(おも)いました。(いま)はもう安心(あんしん)して()ていられます。(YKーP07参照(さんしょう)。)

写真(しゃしん)撮影(さつえい)担当(たんとう)森崎(もりさき)先生(せんせい)
 吉田(よしだ)くんが熱中(ねっちゅう)している弓道(きゅうどう)は、精神性(せいしんせい)(たか)いスポーツです。(かれ)はそれをよく理解(りかい)していて、自分(じぶん)性格(せいかく)にうまくあっていると(おも)って(えら)んだのでしょう。吉田(よしだ)くんのいいところは、ひとつの問題(もんだい)(たい)して、いきなりイエス、ノーを(こた)えるのではなく、ゆっくり(かんが)えて、自分(じぶん)でよく消化(しょうか)してから回答(かいとう)するところです。こういう人物(じんぶつ)将来(しょうらい)、どんどんのびていくと(おも)います。
 弓道部(きゅうどうぶ)でも新入生(しんにゅうせい)のときは先輩(せんぱい)(たい)する礼儀(れいぎ)作法(さほう)などが(もと)められ、上級生(じょうきゅうせい)になると下級生(かきゅうせい)指導(しどう)する立場(たちば)になります。どちらにしても人間(にんげん)関係(かんけい)大切(たいせつ)にしなければいけません。(かれ)自分(じぶん)のおかれた立場(たちば)をよく理解(りかい)して対応(たいおう)している、そういう(てん)感心(かんしん)しています。
 高校(こうこう)の3年間(ねんかん)自分(じぶん)との(たたか)いのときだともいえます。つまるところ自我(じが)確立(かくりつ)するうえでいちばん大切(たいせつ)成長期(せいちょうき)にあたります。この大事(だいじ)時期(じき)弓道部(きゅうどうぶ)でがんばっていることは、人間(にんげん)形成(けいせい)において、おおいに(やく)だつと(おも)います。

(とも)だち
A他人(たにん)(たい)して(おこ)らない(ひと)
「ウソです。(おこ)るときには(おこ)ってました。ぼくは(おこ)ると無口(むくち)になるのです」

B(あか)るい(ひと)
  「(やさ)しい」
「けっこううき(しず)みの(はげ)しいほうだと(おも)うので、()ちこむときはヘビーです」

C自分(じぶん)意見(いけん)をきちんと()える高校生(こうこうせい)
「そうかなあ。(とき)場合(ばあい)によるけど、かなり優柔不断(ゆうじゅうふだん)なほうだと(おも)うけど……」

D弓道部(きゅうどうぶ)部長(ぶちょう)をしていて、部員(ぶいん)からも信頼(しんらい)がある」
  「(きら)われないタイプ」
佐藤(さとう)は、けんかしたとき『(きら)いだ』と()ってたけど……」

E「(あそ)ぶときとまじめにやるときと、きちんとケジメをつけられる(ひと)
「みんな、まじめなぼくしか()てないから……。まだまだですね!」

F「この(ひと)だったら、世界中(せかいじゅう)高校生(こうこうせい)紹介(しょうかい)しても、()ずかしくない」
「どうでしょう。高校生(こうこうせい)()えないかも……」

 

(ちゅう)
 

※1
本州(ほんしゅう)西部(せいぶ)(ひがし)京都(きょうと)大阪(おおさか)(せっ)する(けん)江戸(えど)時代(じだい)(1603~1867(ねん))には姫路藩(ひめじはん)など(おお)くの(はん)()かれた。明治(めいじ)以降(いこう)臨海(りんかい)工業(こうぎょう)地帯(ちたい)となり、1867年(ねん)開港(かいこう)した神戸(こうべ)中心(ちゅうしん)日本(にほん)近代化(きんだいか)先駆(さきが)けとなってきた。人口(じんこう)(やく)5,556,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※2
本州(ほんしゅう)西部(せいぶ)兵庫県(ひょうごけん)南部(なんぶ)()。14世紀(せいき)以来(いらい)(じょう)下町(かまち)で、1609(ねん)完成(かんせい)した姫路(ひめじ)(じょう)有名(ゆうめい)。おもな産業(さんぎょう)電気(でんき)機械(きかい)食品(しょくひん)加工(かこう)鉄鋼(てっこう)石油(せきゆ)精製(せいせい)など。人口(じんこう)(やく)479,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※3
九州(きゅうしゅう)北西部(ほくせいぶ)(けん)。4つの()(ふく)(おお)(はん)(とう)(おお)くの島々(しまじま)からなる。外来(がいらい)文化(ぶんか)()けいれる(まど)(ぐち)として重要(じゅうよう)役割(やくわり)()たした。鎖国(さこく)時代(じだい)(1641~1854(ねん))には、外国(がいこく)(ひら)かれた唯一(ゆいいつ)窓口(まどぐち)だった。現在(げんざい)は、観光(かんこう)工業(こうぎょう)水産業(すいさんぎょう)主要(しゅよう)産業(さんぎょう)である。人口(じんこう)(やく)1,512,000(2001(ねん))。地図(ちず)[GIF Image, PDF]参照(さんしょう)

※4
高校(こうこう)入試(にゅうし)(さい)などに、受験生(じゅけんせい)中学(ちゅうがく)から高校(こうこう)提出(ていしゅつ)される書類(しょるい)。3年間(ねんかん)学習(がくしゅう)成績(せいせき)態度(たいど)学業(がくぎょう)以外(いがい)実績(じっせき)などが記入(きにゅう)されている。高校(こうこう)入試(にゅうし)筆記(ひっき)試験(しけん)成績(せいせき)内申書(ないしんしょ)内容(ないよう)合否(ごうひ)()まることが多い。

※5
通常(つうじょう)学科(がっか)試験(しけん)(おこな)わずに、中学(ちゅうがく)校長(こうちょう)推薦(すいせん)内申書(ないしんしょ)面接(めんせつ)小論文(しょうろんぶん)学業(がくぎょう)以外(いがい)実績(じっせき)(スポーツ(など))などにもとづいて高校(こうこう)入学(にゅうがく)判断(はんだん)する入試(にゅうし)制度(せいど)

※6
(しゃ)(かい)(よう)(せい)(そく)した実践的(じっせんてき)職業(しょくぎょう)教育(きょういく)専門的(せんもんてき)技術(ぎじゅつ)教育(きょういく)(など)(おこな)(きょう)(いく)()(かん)高校(こうこう)卒業(そつぎょう)入学(にゅうがく)資格(しかく)とし、美容(びよう)、コンピュータ、語学(ごがく)福祉(ふくし)医療(いりょう)服飾(ふくしょく)などをそれぞれ専門(せんもん)とする学校(がっこう)がある。

※7
姫路市(ひめじし)にあり、その姿(すがた)(たか)(しろ)優雅(ゆうが)白鷺(しらさぎ)()ていることから、白鷺(しらさぎ)(じょう)とも()ばれる。1993(ねん)ユネスコの世界(せかい)遺産(いさん)登録(とうろく)された。

※8
男子(だんし)は5(さい)女子(じょし)は3(さい)と7(さい)()たる(とし)の11(がつ)15(にち)に、神社(じんじゃ)参詣(さんけい)し、()どもたちの安全(あんぜん)健康(けんこう)(いの)(ぎょう)()

※9
●1948~ 。ミステリー作家(さっか)(ねこ)探偵役(たんていやく)の『三毛(みけ)(ねこ)ホームズの推理(すいり)』(1978(ねん)光文社(こうぶんしゃ)発行(はっこう))がベストセラーとなり、人気(にんき)作家(さっか)となる。

※10
●1(にち)交代(こうたい)で、クラスの仕事(しごと)担当(たんとう)する(かかり)日番(にちばん)仕事(しごと)は、(あさ)のホームルームの司会(しかい)連絡(れんらく)事項(じこう)伝達(でんたつ)学級(がっきゅう)日誌(にっし)記録(きろく)など。日直(にっちょく)とも()う。

※11
結跏趺坐(けっかふざ)略式(りゃくしき)のすわりかた。両足(りょうあし)交差(こうさ)させ、一方(いっぽう)(あし)他方(たほう)(あし)のももの(うえ)(かさ)ねてすわる。

※12
●1989(ねん)新潮社(しんちょうしゃ)発行(はっこう)