My Way Your Way


夢をあきらめない

vol.2

チャンスをいかす

池田樹生(17歳、愛知県在住)

2014.06.05

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©中才知弥

高校3年生の池田樹生さんは、2020年の東京パラリンピックで活躍が期待される陸上選手のひとりだ。先天性の障がいで右足の膝下と右腕の肘から先がなく左手も指が2本ない池田さんは、義足をつけて短距離を走る。池田さんが、陸上との出会い、将来の夢などを語る。



1枚の写真が、陸上への思いに火をつけた

 中学3年生の夏、いつも使っている義足を修理するために、母と愛知県小牧市にある義肢製作所に行きました。義足は、体の成長にあわせて中学生ごろまでは1年に1回、その後は1年半~2年に1回作り直すんです。そのほか、細かな調整をしたり、修理したりする必要があります。

 何度も行ったことのある義肢製作所ですが、そのときロビーに飾られている山本篤選手*の写真が目に飛び込んできました。山本選手が走り幅跳びで、踏み切る瞬間をとらえた写真でした。それを見て、「自分にも陸上ができる」という思いがわいてきたんです。
 *北京パラリンピック・走り幅跳びで銀メダルを獲得。短距離選手でもある。

 小さい頃から、体を動かすことが好きでしたが、陸上は無理だと諦めていたところがありました。だから、小学生のときには地域のチームでサッカーをやっていました。ボールを義足でも蹴っていたので、あるとき壊れてしまいました。生活用の義足には補助金が出るんですが、100万円以上もする高価なものだし、新しく作るのにも修理するのにも時間がかかります。それで、サッカーを続けるのは無理だと思って、中学校ではバスケ(バスケットボール)部に入りました。

 バスケも大好きでしたが、山本選手の写真を見て「自分も陸上をやりたい」という気持ちが抑えられなくなりました。ちょうどその頃、同級生の親友が高跳びで全国大会に出場したり、韓国・大邱で開催された世界陸上選手権に、両足義足のオスカー・ピストリウス選手が南アフリカ代表で出場して話題になったりしていたことも刺激になったのかもしれません。

 夏の大会が終わると、たいてい中学3年生は高校受験のため部活動を引退します。ぼくもバスケ部は引退しましたが、先生に頼んで陸上部でいっしょに練習させてもらいました。あのとき陸上を始めてよかったです。そうでなければ、記録の伸び方がもっと遅かったでしょうから。

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©中才知弥

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©中才知弥

生活用の義足。

陸上部に入る

 スポーツについて学びたいと思って、三好高校スポーツ科に進学しました。もちろん陸上部に入りました。みんなは「何だ、あいつは?」「義足で陸上ができるのか」と思っていただろうと思います。

 陸上部に入ってすぐに、ぼくは「パラリンピックに出たい」と言っていました。それに対して、「こいつ、大口叩きやがって」「冗談だろう」と思われていたと思います。でも、「本当にパラリンピックに出る選手になってやる」という気持ちが強くなりました。

 とはいっても、最初はまったく走れなかったので、顧問の先生に「半年間、時間をください」と頼んで、一人で練習をしていました。1年生のときは、仲間を応援するだけで、試合には全く出られなくて寂しかったし、悔しかったですね。

 「パラリンピックに出たい」という気持ちは消えてませんでしたけど、他人からみたら、「口だけ」じゃないですか。モティベーションを保つのは難しかったです。陸上を辞めたいと思ったこともありました。3年生の先輩に「陸上、辞めたいです」と話したら、「ここが踏ん張り時だから、頑張れ」と言われて、それで諦めずに続けられたように思います。

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©中才知弥

高校には自転車で通う。30分ほどの道のりももう慣れた。

日々の練習

 陸上部では、健常者の部員と一緒に練習をしています。練習メニューは先生が決めるのですが、ぼくにできない練習は内容をかえてやっています。それでも、練習メニューを全部はこなせないこともあります。

 もっと走りたいと思っても身体がついていかないんです。負けず嫌いなので、「あいつがやってて、自分ができない」っていうのが悔しいです。以前は練習をしすぎて、走っているときの摩擦で膝の皮がはがれたり、膝にうみができたことがあります。だから今は冷静に考えるようになりました。

 高校2年生になって顧問の先生が代わりました。小野田先生は自分も陸上をずっとされていたこともあって具体的なアドバイスをいろいろとくれます。例えば、お尻の横の筋肉(中臀筋)を鍛えたいのでどうしたらいいですか?と質問すると、チューブを使ったトレーニングの方法を教えてくださったりします。以前から、健常者の大会に生活用の義足で出場していたのですが、障がい者の選手を対象にした大会を探してくれたり、日本身体障害者陸上連盟の選手登録をしてくださいました。それで、2013年6月の身体障害者日本選手権に出場することができました。

 そこにつながったのも、1年生のときの踏ん張りがあったからだと思っています。

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©中才知弥

みんなと同じメニューをこなす。

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みんなが倒立をしている横で、腕立て伏せをする。

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©中才知弥

練習しすぎると、義足をつけたときの摩擦で膝を痛めてしまう。

競技用の義足で伸びた記録

 競技用の義足を使い始めたのは、高校2年生の夏です。その年の春に、中京大学のグラウンドで練習する機会がありました。中京大学の陸上部で活躍していて、ぼくの憧れの佐藤圭太さん(ロンドンパラリンピック陸上日本代表選手)が、「競技用の義足を履いたほうがいいよ」とアドバイスをくれて、東京にいる義肢装具士の沖野敦郎さんを紹介してくれました。沖野さんは競技用の義足を多く手がけられています。

 競技用の義足には補助金がでません。全部自費になります。でもこれから陸上でやっていくにはどうしても必要だと思って、両親に頼み込んで了承してもらいました。義足の型どりをしたあとも、細かい調整をするために、完成するまでに東京に3回ぐらい行きました。

 競技用の義足を使うようになってから、以前よりも長い距離を走ることができるようになりました。最初はバネが強く感じられて、体が左右に振られていましたが、最近ようやく一つの走りにまとまってきた気がします。

 走るときに意識しているのは、義足を体の前に出すことです。ロンドンパラリンピックで100m金メダリストのイギリス代表ジョニー・ピーコック選手は体の前で義足を動かす走りで、圧倒的なパワーがあります。ピーコック選手の走りを何度も動画で見て、自分が走るときにその走り方を頭の中でイメージしています。

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©中才知弥

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©中才知弥

生活用の義足(左)と競技用の義足。

記録をもっと伸ばすために

 今、大きな課題が二つあります。一つめは右足の筋力強化。ぼくは幼いときから右足に義足をつけているので、筋肉のバランスが左中心になっているんです。事故や病気で足を切断した人は、体がある程度成長した後で義足を使い始めているので左右の筋肉のバランスがとれています。ぼくは、右足の筋肉を強化して少しでも左足の筋力に近づけていく必要があります。

 でも逆にいうと、ぼくの左足の筋力はすごくあるということです。先輩方からは「左足の筋肉、ちょうだい」なんて言われます。左足の筋力を生かすためにも、右足を鍛えたいと思います。

 二つめの課題は腕ふりです。右腕の肘から先がないので、右腕を振るのを忘れてしまうんです。右腕に筋力をつけるトレーニングもしていますが、なかなか難しいです。今後は義手をつけることも考えるつもりです。義手をつければスタート時の課題も克服できると思っています。今は両足と片手の3点しか地面につけられないので、バランスが悪く、スタートダッシュが遅れてしまうんです。

 まずは義足をもっと自分のものにして、それから二つの課題をクリアできれば、もっともっと走りが良くなって、記録が伸びると思います。

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©中才知弥

めざすは東京パラリンピック

 2014年の目標は10月に韓国で開催されるアジアパラゲームス(Asian Para Games)に日本代表として出場することです。100mでは先輩たちのほうが圧倒的に速いので、ぼくは200m、400mで日本代表を狙います。そのために冬季は、トラック1周400mにプラス100mを走るなど持久力をつける練習をやっていました。

 200mはコーナーの走りがポイントになりますが、意外とうまく走れることがわかりました。直線だけの100mよりも200mのほうがぼくには向いているのかもしれないと思っています。

 来年の目標はドーハで開催される世界選手権に出ること、そして2016年のリオパラリンピックに出ることが次の目標です。そのもっと先にある目標は東京パラリンピックです。2020年は23歳になっていますが、心身ともに一番良いときだと思います。イギリス代表のピーコック選手が彗星のように現れて自国開催のロンドンパラリンピックで優勝したように、ぼくも東京パラリンピックで優勝したいです。

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©中才知弥

コーナーの練習をする池田さん。

今できること

 誇りをもって言えるのは、「もらったチャンスを無駄にはしなかった」ことです。  2013年9月に開催されたジャパンパラ陸上競技大会(Japan Para Championship)に、出場したのは、競技用の義足を使い始めて1週間後のことでした。大会では、義手・義足の選手で構成された1チームが走る400m×4リレーがありました。大会前に、出場を予定していた選手の一人の足の状態が悪いことから、代替選手を探していることを知りました。ぼくの専門は100mで、400mは走ったこともありませんでした。でも、すぐに「ぼくでよかったら、ぜひ、使ってください」と言いました。「ここで400mリレーに挑戦したら、次に何かあるんじゃないか」と思ったんです。

 初めての400mは後半が本当にきつかったですね。それでも必死で走りました。このときに400mのリレーを走ったからこそ、「自分は400mを走れる」という自信につながりました。

 2013年にアジアユースパラ競技大会の日本代表になったことで、周囲の目も違ってきました。でも、ここで浮かれてしまっていたらそれまでだと思うので、もっと上をめざしていきたいです。

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スポーツを通じて得たこと

 小さいときからスポーツを通していろいろな出会いがありましたし、友だちにも恵まれました。ぼくとは違うスポーツをしている友だちと話をしていて、「自分も負けてられないな」という気持ちになることもあります。障がいがあってもスポーツを通じて得るものや感じるものがあるので、障がいがあってもできるスポーツがあることを知ってほしいし、陸上もやってみてほしいです。

 それから、ぼくにとって先輩の存在は大きいです。佐藤圭太さんに、「そのうち、一緒にリレーを走れるようになりたいね」と言われたことが、すごく心に残っていて、大きな励みになっています。将来はぼくも後輩からそんなふうに思われる存在になれたらいいなと思っています。

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©中才知弥

ほかの部員と談笑する池田さん。

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©中才知弥

練習後、仲間からマッサージを受ける。

インタビュー2014年3月
構成/河原由香里
写真/中才知弥

義足をつける

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競技用の義足をはずしたら、底の土をはらってきれいにする。

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©中才知弥

ほかの選手は地面にあわせて靴をかえるが、競技用義足は1つしかないのでスパイクのピンをかえる。


国際文化フォーラム
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