生徒にやる気がない、教えるのは年中ひらがな。そんな授業を変えた金巨炫さん

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学校間交流に力を入れる韓国・順天電子高校の金巨炫(キム・コヒョン)さん。交流するようになったのは6年前。ある人との出会いがきっかけになりました。

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大学卒業後、私は証券会社に勤めました。東京駐在の2年を含めて10年。大きな組織の歯車となって働くことに疑問を感じていた頃、運よく故郷の全羅南道で公立日本語教師の任用試験に受かり、採用されたのです。

ところが、やる気のない生徒が多く、教えるのは一年中ひらがな。これでいいのかと苛立つ日々でもありました。環境を変えたいと思い、海外派遣教育公務員の制度を利用して、大分の韓国教育院に赴任しました。2005年のことです。

ここで受け持っていた韓国語講座には日本の女性が多く通っていました。韓流ブームだったんですね。そんななかひとりの女性がこう言うんです。「日本に苦しめられた韓国の人たちに会って韓国語で謝罪したいのです」と。私は驚きました。最初は嘘だろうと思いました。でも彼女は真剣でした。ここで言葉のもつ真の意味を悟りました。

私が大学で日本語を学んだのは、自分のビジネスチャンスを広げるため。日本語を実用のためにしか捉えていなかったのです。そして、この出会いが私の日本に対するイメージを大きく変えました。韓国語講座では韓国語だけなく、その背景にある文化や社会のことについてよく話をしました。私にとってとても意義のある3年間でした。

その後、 全羅南道の高校に戻って、日本語を学ぶ生徒たちを日本の生徒たちと交流させたいと思い、校長にかけあうと同時に、韓国教育院に交流相手校を探してもらいました。そして、2年後生徒たち20人といっしょに下関の高校を訪れ、3泊4日の交流が実現しました。

その翌年、私は異動になり、現在の高校に赴任。ここでももちろん交流をしたいと思い、校長に話をしたところ、初めてのことだが挑戦しようと言ってくれました。そして2014年から大牟田市・ありあけ新世高校と交流しています。

今、教えている生徒の成績ははっきりいってよくありません。ほめられたことのない生徒が多いのです。私は最初の授業でこう言います。「ほかの教科は差がついているかもしれない。でも日本語はみんな同じスタートラインに立っている。日本語の前には平等だぞ」と。

ひらがなをやさしく教えると、生徒は日本語を読めるようになります。テストも70~80点をとれるようなものにします。そんな点数をとったことのない生徒たちは、また自信をもちます。「一生懸命やれば、2学期にクラスで3人、日本に連れて行くぞ」というと、がぜんやる気が出てきます。もっと勉強する、どんどん日本語ができるようになる。いい循環です。

2年生しか日本語の授業はないのですが、その後も勉強を続け、日本語能力検定試験に挑戦している生徒もいます。交流はモティベーションを上げるだけでなく、相手と直接意見交換できる点が非常にいいことです。意見が合わなくてもいい。相手の考えを知って、それを認めることが大事だと思います。そして互いの理解者を増やしていってほしいのです。

公立だけに担当教師の異動があるものの、望ましい学校間交流は担当教師が異動しても続くことだと思います。実際、前任校では今でも交流が続いています。今の学校でも市や学校の予算がしっかり充てられていますから、自己負担も少しでいいし、きっと続くでしょう。私は近いうちに異動すると思いますが、新しいところでもまた交流を始めたいと思っています。