若者の未来のために国際交流を。宮崎健さん

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横浜市立みなと総合高等学校の校長として、高校生の国際交流を引っ張ってきた宮崎健さん。今春、早期退職して長野県須坂市の古民家に移り住んだ。地元農家の農作業を手伝いながら、須坂の国際化推進のプランを練る。

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若者の未来のために国際交流を
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英語教師になったのは、中学のときに出会った英語の先生のようになりたいと思ったからです。生徒たちに英語が好きになってもらいたいと思い、また外国語が話せる素晴らしさを伝えてきました。

前 任校の横浜サイエンスフロンティア高校では、校長代理としてマレーシアの姉妹校との交流を立ち上げるなどさまざまな交流活動を、みなと総合高校では校長と して、国際性を高めるため英語のホームページを作ったり、来校した外国人生徒のお世話をするバディ制度の推進や上海研修などを実施しました。

み なと総合高校での5年間、ラッキーなことに先生方の協力もあり、国際交流は軌道に乗ったという手応えを得ました。定年まで2年。異動した学校で同じことを しようとしても2年は短すぎます。中途半端になるのなら、自分がやりたい国際交流をしようと思い、早期退職することにしたのです。

◎地方のメリットに気づく
今年春から長野県須坂市で新しい生活に入りました。空き家になっていた古民家を借りて、須坂の名産ブドウを作っている農家の手伝いをして地元の方たちとおしゃべりしたり、地区の神事に参加し、清掃や祈りも体験するなど目下地元になじもうと努力しています。

そのなかで、地方のメリットもわかってきました。自然が豊かで、夏は涼しいこと。また家屋が大きいことはホームステイ受け入れの好条件です。地域の「地産地消」による健康的な伝統食も素晴らしい文化の一つです。

そ んな魅力のある須坂市ですが、国際化はまだまだ進んでいないのが現状です。須坂では中学生、高校生そして地域の方々と語り合いながら、「次の時代の生き 方」を考えたいと思います。そのなかでは「人と人とのつきあい」が基本となります。「人と人とのつきあい」は、外国人との交流で学べる一番大事なことです が、実はふだんの生活でもそれをいかせる部分がたくさんあります。中学生、高校生にはそういったことを学んでもらい、これからの時代を切り開いていってほ しいです。

◎地域を支える人材づくり
地方では都会の大学に行って、帰ってこない若者が多いのが現状ですが、国際化を推進して観光 で集客できれば地元に仕事ができますから、地元で働く若者も増えます。また、観光以外の分野においても地域を支える人材づくりにつながる国際交流の推進を お手伝いしていくこと、それが私が自身に課したこれからのミッションです。

「インターナショナル・ブリッジ・ビルダー」というのが、今の 肩書きであり、私のライフワークです。私は高校・大学のとき、学校の先生がかけてくれた橋を渡って国際交流に目覚めました。みなと総合高校では自分でその 橋を作ることができました。これからは若い人たちにその橋を渡ってもらいたいと思います。そして、国際交流っておもしろいなという人をたくさん育てたいと 思っています。