カンボジア人であり、日本人でもある私

カンボジア人であり、日本人でもある私

PEOPLEこの人に取材しました!

諏訪井セディモニカさん

役者兼カンボジア料理屋家族経営

日本生まれ日本育ちの彼女はカンボジア人の両親を持つ純カンボジア人。母が営む料理店を手伝うかたわら、役者としても活躍するパワフルな一児の母。日本とカンボジアの境界で今まさに活動されている彼女に、カンボジア料理のことや彼女にとっての日本、そしてカンボジアのことなどについてお話を伺ってきた。

誰かに会える場所、アンコールトム

アンコールトムが東京、町田にオープンしたのは、私が2歳の頃、33 年前のことです。
30 年前だとネットもあまり発達していなかったので、ここにいけば誰かしらに会える、といった感じでふらっとくるカンボジアの人も多かったです。母がずっとお店にいたので、私も学校に行って、お店に寄って宿題をして家に帰る、みたいな感じでしたね。お店のスタッフは、基本全員カンボジア人です。みんな親戚のような感じで小学生の私の面倒をよく見てくれていました。私にとってアンコールトムは第二の家、“家庭”といった感じなんです。

幼少のモニカさんとご両親
(写真提供:諏訪井セディモニカ)

私自身は、日本生まれの純カンボジア人です

実は、母方の親戚はだいたい日本に来ています。8 人兄弟の長女だった母は、カンボジアの国費留学生として1974 年に来日しましたが、日本に来た翌年、1975 年からカンボジア国内の情勢が悪化してしまいました。その年は、カンボジアでの内戦が終わった年でもあったんです。そして、母方の祖父母は内戦中に亡くなったので、兄弟3、4 人がうちのお母さんを頼って日本に来ました。うちの母は勉強してから来日していましたが、他のみんなは日本語ゼロの状態で来て、日本の難民支援センターとかで勉強をしていましたね。叔母も、15、16 歳で小学校に入り日本の教育を受けたみたいです。内戦を理由に難民として来日した叔父、叔母には様々な苦労があったと思います。その点、私はちゃんと日本に帰化することができたり、恵まれているなあと思います。私自身、自分が難民2世だということにはピンと来ないかもしれないです。

幼少のモニカさんとご両親
(写真提供:諏訪井セディモニカ)

感覚は日本人ですね

ハーフとかでもなく純カンボジア人ですが、感覚は日本人だと思います。人との距離感とか。あと、お店のことで言ったら「料理はこの順番で出して欲しい」といった日本的な感覚があります。カンボジアの人はコース料理が注文されると全部一気に出したがるんです。でも私の感覚は日本人だから「いやここはもうちょっと待ってあげようよ」って。
日本の学校に通い、日本の教育を受けているのは大きいと思います。両親からはカンボジアの文化をあまり教わってないんです。だから余計、日本人っぽいのかもしれません。両親は通訳の仕事をしているので、日本語が喋れる。だから私自身、使う機会がなくてあまりカンボジア語が喋れないんです。そこにコンプレックスもありましたし、物心つく前から喋れてればよかったなぁっていうのは今でも思います。
あとは幼少期にカンボジア人ってことで男の子にいじられたことがあって、それが嫌でしたね。だから、私は中学から女子校に行きました。共学で自己紹介をしていじられるのが嫌だったんです。中学校での友達は変わっている子が多くて、私自身も感情を表に出すようになりました。歌を褒めてくれる友達がいて、表現することが楽しいと思いはじめました。高校生になってダンスをはじめて、そっちをメインに活動したいから大学は卒業するためだけに行こうと。そんな中、大学の授業の一環で『ライオンキング』を見た時にすごい感銘を受けたんです。パフォーマンスでこんなに人を感動させられるんだって。そして、私は見てる側じゃなく実際にパフォーマンスをする側に行きたいと思ったんです。それがきっかけでお芝居の授業も取りはじめて…そこからですね、演技を始めたのは。
演技をする中でカンボジアを意識することはほとんどないです(笑)。見た目も日本人だから、オファーを受けるのも日本人役が多いです。日本語も流暢なので日本人を演じても何の違和感もないんですよ。何度か、中国人でもなくタイ人でもフィリピン人でもなくて、「アジア人女性」みたいな役を受けたことがありますが、逆に難しいです(笑)。とりあえずメイクはもっと濃くして、色使って…、自分の描くアジア人像に近づけるんですけどね(笑)。
アジアって広いですし、たどたどしい日本語っていうのが一番難しい…。ですが、お店のキッチンの人の話し声を聞いて「ここに変なイントネーションが入るんだなあ」と身近なところから学んでいましたね(笑)。

ある舞台での集合写真。左最前がモニカさん
(写真提供:諏訪井セディモニカ)

陽気な人が多くてみんなすぐ踊るんです

多くはないですが、家庭内でカンボジアの行事をすることもありました。例えばカンボジアには、日本などで祝われる1 月のお正月の他にクメール正月という行事が4月にあります。クメール正月では、家族や従業員、カンボジア人のお客さんと一緒にお祝いの料理を囲みます。普段から陽気なカンボジア人ですが、お正月にはそのムードがより増すんです。音が流れたら踊っちゃうみたいな(笑)。
日本にはない活気がカンボジアにはあると思います。現地に行くとよくわかるんですけど、優しい人や人との距離が近い人が多いです。でも貧富の差は結構激しくて、高級車に乗っている人もいれば1 日100 円で暮らしている家族もいる。それでも独特の活気はみんな持っていて、前向きに今を楽しんでいる感じがします。食べ物がそこら中になっているっていうのも関係あるんですかね(笑)。多分、国自体がだんだん良くなっていくっていうのをわかっているからなんだと思います。
母は昔日本の大学で、今はカンボジアの大学で教鞭を執っているのですが、学生の学ぶ姿勢がかなり違うそうです。カンボジアの学生の方が真剣で、学ぶ意欲がすごいから向こうで教えている方が楽しいみたいですよ。日本だと、若者含め多くの人が投票に興味がなかったり、国としての将来へのビジョンがないじゃないですか。カンボジアの若者は一人一人が自分の国をちゃんと良くしたいって思っている感じがするんです。そういうのが、さっき言ったようにカンボジアという国全体の活気につながっているんでしょうね。

カンボジアでの一枚
(写真提供:諏訪井セディモニカ)

カンボジアに行ってみたけど…

私は住めないって思っちゃいました。大学生の時の1 ヶ月しか行ってないから、知っている人も少ないし、休日をどう過ごしていいのかわからなかったというのもあると思いますが。暇なのが不得意なんです。カンボジアに行ってやることが、カンボジア語の授業と何もしない時間しかなかったんです。1 ヶ月くらいであーもう私だめだ、ここに居られない!って。その授業が個人的なものだったので、もしかしたら向こうで学校に行って友達とかができていたらまた別だったと思います。遊びに行ったりとかできただろうなって。
私がカンボジア語を流暢に喋れるわけじゃないから、共通言語が英語しかなかったのもあります。お互いすごくたどたどしい英語で喋ってましたね。コミュニケーションが完璧に取れてないもどかしさがありました。あとは日本も最近そうですけど、とにかくでかいんです、向こうで出るゴキブリが!それがやっぱり耐えられなくて。やっぱり暑い国ってすごいなあって。大きくなるんですよ、奴らは(笑)。やっぱり平気で家の中に出るから耐えられない!って…(笑)。いい国なんですけどね。

「異文化」を知っていてほしい

日本国内でカンボジア料理って、まだまだマイナーですよね。そんなにお店もないし。カンボジア料理店を増やしたい、とかではないですがカンボジア料理ってこんな感じだよねってみんなが想像できるくらいメジャーになればいいな。よく聞かれるんですよ、カンボジア料理屋さんをやっていると言うと。カンボジア料理って?って(笑)。こちらも、タイ料理とベトナム料理の間ですかねえ…みたいな(笑)。お店としては、カンボジア料理や文化を発信できる場所、カンボジアを知るきっかけになっていけたらなあと思います。
息子に関しては、カンボジアや日本の文化に限らず「異文化」を知っていてほしいです。私自身、どちらかというと日本の文化だけで育っているので、もったいなかったなあって思うんです。いろんな人が交わってできている世の中、時代ですし偏見なくいろんな国の文化を吸収していってほしいです。
息子とカンボジア文化といえば、最近息子が坊主にしたのですが、カンボジアで子供が坊主にするのは親が死んだ時だけだったらしく、お店のカンボジア人の従業員に怒られてしまいました(笑)。 お店に来ると従業員に可哀想だって言われるから…、3歳なりに何か感じたのかな。気にしてフードを被ったり、もう坊主は嫌だって言ったり、カンボジアの文化に揉まれた経験だったと思います。でもやっぱり息子にはカンボジアという母国があるということを忘れないでほしいです。
カンボジアに始まり、いろんなご縁を経て今こうして日本で暮らしているわけだから、そこは大事にして欲しいですね。日本といっても、カンボジア人に囲まれて生きているわけですし。本人に興味があれば、向こうの学校に行ってもいいんじゃないと思うぐらいです。

モニカさんと息子のかんたくん。左に座るのはお店のオーナーである母、セタリンさん
(写真提供:諏訪井セディモニカ)

境界、私はあると思います

境界…難しいですけど、ないほうがいいとも言い切れないものというか、境界はあると割り切ることで保っている部分がきっとあるんじゃないですか。自分と相手に境界があるってわかっているからこそ、歩み寄ろうとできるのだと思います。お互いに一緒だと思うと、いざこざが起きるんです。一緒だと思っていたのに、なんでここはこうなのとか。でもちゃんと境界があるっていう認識を1人1人が持っている方が、スムーズにコミュニケーションを取れるんじゃないかな。ありすぎてもいけないけど、あった上でコミュニケーションをとろうよって各々が思っていれば、お互いに尊重しあって寄り添い合えると思います。
偏見とかも、同じ話だと思います。自分の枠の外の話だったり、自分とは違う価値観で来られたら理解できないじゃないですか。でもそれを埋める必要はなくて、そういう人だよねって了解できたらいいと思います。結局境界って、自分を守るためにあるものなんじゃないかな。自分とは違うと思った上で接するって面白いじゃないですか、ここが違うんだっていうポジティブな発見があって。

(インタビュー:2019年6月)

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