フランス人の落語パフォーマー!?

武蔵野美術大学

フランス人の落語パフォーマー!?

PEOPLEこの人に取材しました!

シリル・コピーニさん

落語パフォーマー

落語パフォーマーとして活躍されているシリル・コピーニさん。シリルさんは、いつ日本文化と出会い、なぜ日本の伝統芸能である落語に興味を持ったのだろうか。また、フランス人でありながら日本文化に精通しているシリルさんが実際に感じている日本人とフランス人の笑いのツボに違いは存在するのか。その違いとは何か。果たして「笑いに境界線」は存在しているのか。今回、シリルさんが落語に出会うまでのこと、「笑いの境界線」について、お話をお伺いしました。

〈プロフィール〉
1973年フランス・ニース生まれ。
高校時代より日本の古典芸能である落語に興味を持ち、日本語を学ぶ。
1997年9月に福岡に来日し、フランス政府公式機関である「九州日仏学館」に勤務。
2001年に上京し、現在、在日フランス大使館アンスティチュ・フランセに所属。
2010年に落語家 林家染太との出会いを機に、本格的に落語を学び、2011年に開催された「落語国際大会in千葉」で3位を獲得。フランス人落語パフォーマー「尻流複写二(シリルコピーニ)」として、国内だけでなく、フランスやタイなど海外でも幅広く活躍している。

Q:そもそも日本文化に出会ったのはいつですか?

私はフランスの南にあるニースに生まれました。私が通っていた高校に日本語のコースがあったんです。30年前のフランスの田舎町で日本語が勉強できるなんて珍しくて、最初は面白そうだなっていう気軽な気持ちで始めました。いつしか気がついたら日本語にハマってしまっていて(笑)。それで高校卒業後も日本語を勉強したい、と思うようになったんです。高校卒業後は、ニースを離れてパリにある日本語のレベルの高い授業が受けられる大学へ進学しました。

Q:日本に来られたのはいつですか?

日本で生活するのは今年で22年目なんです。
フランスの大学に在学中、日本の文部科学省から奨学金をもらって1年間、長野県の松本市にある信州大学で勉強していたんです。日本に初めて来たのはこの時でした。
もともと日本の大学になんで留学したかというと、決まっていた近現代文学の論文のテーマを研究するためでした。
ところが僕が奨学金をカラオケと居酒屋にしか使っていなくて、全然勉強していなかったんですよ(笑)。
で、フランスに戻って、当然卒業できるわけもなく、あと1年間やりなさいって言われました(笑)。その翌年に福岡のフランス政府公式機関である「九州日仏学館」でちょうど仕事のチャンスがあったので、福岡にやってきて、1997年の秋から日本でずっと生活しています。

Q:落語との出会いを教えてください。

大学で二葉亭四迷*の研究をして落語の存在を知りました。僕は元々近代文学を勉強していて、二葉亭四迷の研究をしていました。実は、彼は落語にすごく影響を与えている人物なんです。二葉亭四迷の本を読んでいると、よく落語とか三遊亭円朝という単語をよく目にして。当時は、ネットも今の時代に比べたら普及していないし、資料もほとんどない、フランス語の資料も全然なくて、一体「落語」ってなんだろうってずっと思っていました。
ですが、日本に留学中にようやく「落語」を知ることになります。ある時、友達の家に遊びに行ってテレビを見ながらゴロゴロしていたら、日曜日の午後五時半になって(笑)

あーー!!“あれ”ですね(笑)。
そうそう(笑)“あれ”。「笑点」が始まって、「え、これなに!?」って友達に聞いたら、「これは日本の伝統芸能落語だよ」って言われて。「え、これが落語なの!?」って(笑)。僕が想像していた真面目な感じとは違っていて、すごく面白くてかっこいいなと思って、それから自分でもやりたいなって思ったんです。

*明治期を代表する日本の小説家。(1864年〜1909年)代表作『浮雲』。

Q:落語は修行されたんですか?

僕は修行をしていないので、落語家ではなく、落語パフォーマーっていう風に活動しています。僕は日本の教育を受けてきたわけではないから、修行、とか、弟子入りとか…
自分の性格的に上下関係とか俺は無理やわ〜って(笑)。この日本特有の文化が少し苦手で。なので、客席から楽しんでいればいいか!って思っていました。それからは落語をいろいろ見たり、落語に関する本を読んだり、「笑点」も毎週欠かさず見たりしていました。
ですが、大阪の落語家 林家染太さんという方に出会って僕の落語との関わり方は変わりました。染太さんに僕が修行に対するイメージを話したら、「シリルさん、シリルさんのイメージしている修行っていうのが江戸落語スタイルなんです」って言われて、「うち大阪はもうね、おもろいやつは誰でも高座*に上がってええねん!」って。それを聞いて、「これから毎月、日帰りで大阪に行くので一席教えてください」って染太さんに提案してみたんです。最初は染太さんも本気かよ!?って少しびびってましたけど(笑)。
本当に東京と大阪の行き来を1年間続けたんです。そこから少しずつ落語を覚えていきました。

*寄席などで、芸人が芸を演じるための一段高い段。劇場の舞台に相当する。

Q:落語を初めて披露されたのはいつですか?

染太さんと出会った翌年2011年に初めて高座へ上がりました。そこから今もずっと続けてきて、染太さんと海外ツアーをやったり、世界最大演劇祭のアビニョンフェスティバル*に参加したり、日本に限らず活動しています。

*フランス・アヴィニョンで毎年開催される世界最大の演劇祭。

Q:落語は日本語、フランス語どちらでパフォーマンスされているんですか?

普段、日本では日本語でパフォーマンスして、フランスではフランス語でパフォーマンスしています。

Q:日本語とフランス語、それぞれ披露する時の違いってありますか?

日本でもフランスでもできる、同時通訳のネタもあるんですけど、フランスっぽい「雰囲気」を入れたりするんです。お客さんがフランス人の場合は、フランス人が持っている日本や日本人に対するイメージなどに合わせたネタを入れたり、オーディエンスに合わせて少し調整したりしています。

Q:ズバリ日本とフランス、「笑いの境界線」ってありますか?

日本とフランスの言葉や文化の違いが、「笑いの境界線」に繋がっていると思います。日本で当たり前とされていることがフランスでは新鮮で。日本の言葉遊びとかも、フランスにはない、伝わりにくい部分ですよね。フランス人にとってのお笑い、っていうと今流行りの「スタンダップコメディー*」みたいなもの。マシンガンのようにわーっと笑わせるみたいな感じなんです。
でも、落語はその真逆。これはフランス人にとって新鮮で結構面白がられるという印象があります。フランスのお笑いは皮肉って笑いを取るっていうのが主流なところがありますが、落語って優しいし、人を傷つける笑いではない。日本の笑いのレベルって本当に高いと思います。

*アメリカのお笑い芸。一人でステージに立ち、観客に向けてまくし立てるのが基本的なスタイル。

Q:実際にフランスの方に日本の笑いってどう思われていますか?

そもそも日本人って笑うっていうイメージがあまり持たれてないと思います。真面目で仕事ばっかり、みたいなイメージを持たれていると思います。でも全然違う!日本のお笑いの文化ってずっと昔からあるし、お笑いのベースは落語だし。落語を知ってもらえれば日本のお笑いも少しわかってもらえるようになると思います。

Q:日本語とフランス語で披露するにあたって苦労していることはありますか?

日本語の独特な語尾の使い方や、私、俺、拙者、あたし…いろいろ第一人称ってあるじゃないですか。でもフランス語って「Je」、英語でいうと「I」しかないわけで。「Je」って言われると、女性の言葉なのか、男性の言葉なのか動物がしゃべっているのかわからないですよね。だからいろいろな工夫をしなきゃいけないのが大変ですね。

Q:今後の目標や目指していることはありますか?

「笑点」に出演すること!とかではないんです。もちろんオファーが来たら断らないんですけど(笑)。いくら素晴らしい落語家さんでもフランス語はできないから海外に紹介できない。でも僕はフランス語も英語も日本語もできるから、日本の文化を海外、フランスをはじめ広く拡大していくのがやっぱり僕にしかできない、ライフワーク、使命じゃないかなって思います。

(インタビュー:2019年5月)

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