公益財団法人国際文化フォーラム

探究する姿から見えてくるもの

稲垣 忠(東北学院大学教養学部教授)

空腹を満たしたい、眠りたいなど、私たちにはさまざまな欲求があります。生理的な欲求もあれば、旅行に行きたい、友だちに認められたいといった興味や社会的なつながりに類するものもあるでしょう。心理学者のマズローの欲求段階でいえば、最上位に来るのが「自己実現」です。自分の能力を存分に発揮して、なりたい自分、あるべき自分をめざすこと。探究とは、まさにこの自己実現を追究する営みです。

重視される「探究」

高等学校向けの次期学習指導要領の議論が進められています。高大接続改革の動きもあるなかで、キーワードのひとつになっているのが「探究」です。例えば、総合的な学習の時間を「総合的な探究の時間」に名称変更することや、「理数探究」や「古典探究」「日本史探究」などといった科目が検討されています。探究は、学習者が課題を設定し、必要な情報を収集し、整理・分析し、まとめたり、表現したりする過程として現行の学習指導要領から言及されてきました。「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)を通じて、めざす学びの姿として、より一層重視されるようになったといえるでしょう。

「アクティブ・ラーニング」が話題になったとき、勢い、「アクティブ・ラーニングをどう教えるか」といった書籍が大量に出版されました。現在は「主体的・対話的で深い学び」と言い換えられましたが、やはり「〇〇のような授業をすれば主体的な学びだ」「対話的な学びはこうつくる!」といった提案を見かけます。

ここで注意したいのが、アクティブ・ラーニングにしても、主体的・対話的で深い学びにしても、ラーニング(学び)であり、指導でも授業でもないことです。もちろん教師として生徒たちと関わる場は授業が中心です。ただし、教師は、あくまで学びが起きるためのきっかけを提供しているにすぎません。生徒たちが自ら動き、自分の頭で考え、他者と意見を交わし、「これを伝えたい」「こういうことだよ!」といった確信に満ちた表情がうまれたときに、深い学びが生起したといえるでしょう。

教師の関わり方

生徒たちの探究する道のりに教師はどのように関わっていくのでしょうか。綺麗に舗装された明るい道を絶えず安全確認しながら生徒たちを歩ませるのでしょうか。どこが道かもわからない藪のなかを生徒たちが掻き分けて進むのをただ黙って見ていればいいのでしょうか。クールソーの「ガイドされた探究」(Guided Inquiry)では、探究プロセスを7つのステージでとらえ、そこでの学習者の具体的な行動だけでなく、思考(認知)や情意面の変化を示し、教師がそれぞれのステージでどのように働きかけるのかを整理しています。課題を投げかける、学習計画に助言する、生徒の視野を広げる、励ます、ときには壁になる、学習環境を提供する、教師がやるべきことはたくさんあります。

ただし、教師の役割を思い浮かべるより前に考えるべきことがあります。生徒たちが探究する道のりを想像し、何を思考し、どんな気持ちで学びに従事し、どのように成長していくのかを見極めることです。生徒の立場になって探究の道のりをシミュレーションすることから始め、授業の役割を見定めることで、教師主導でもなく、生徒任せにもしない、教師の果たすべき役割が明確になります。

探究のプロに聞く

生徒たちは探究的な学習活動を通して何をつかむのでしょうか。そもそも、本来の探究とはどのようなプロセスをたどるものなのでしょうか。今回、2人の「探究のプロ」へのインタビューを通して、その内実を明らかにすることを試みました。

1人めは、慶應義塾普通部で司書教諭をされている庭井史絵さんです。庭井さんの学校には昭和2年から取り組んでいる「労作展」と呼ばれる学校行事があります。生徒一人ひとりが自分の目標をもち、調べたり、体験したり、考えたりといった試行錯誤を繰り返しながら成果物を生み出していくこの行事は、探究の元祖といえる取り組みのひとつです。庭井さんは、司書教諭の立場で探究に生徒たちが取り組んでいくための学び方の指導をされています。課題の解決につながる情報をどう入手するか、集めた情報から自分の考えをどう見出すかなどです。先ほどの「ガイドされた探究」のように、探究を一連の学習プロセスとみなす考え方は、図書館情報学の分野を中心に発展してきました。探究を支えるスキルのひとつが、情報活用能力※だといわれています。庭井さんはそこをどう指導されているかを伺いました。
慶應義塾普通部の図書館は、放課後に生徒たちが集まり、授業の課題や労作展に向けて準備をするラボのような役割をしています。授業とは別の場所で、生徒たちがそれぞれに探究する様子を見守ってこられた庭井さんから、いくつか労作展の例をご紹介いただきました。夢中になって探究する生徒たちの姿から、まさに自己実現としての探究の実像が見えてきました。

2人めは、金沢で舞台衣装のデザインをされている川口知美さんです。衣装のデザインというと、直感あるいはインスピレーションありきで仕事をするイメージをもつかもしれません。ところが実際には、舞台の主題をつかみ、情報を集め、デザインのコンセプトを練り、提案し、形にしていく、まさに探究的に仕事をされています。さらに、このプロセスには演出、俳優、美術、照明などさまざまな役割を担う専門家がいて、彼らと分業しながら、コミュニケーションを積み重ねます。そして、舞台は上演されたら終わりではなく、観客によってさまざまに解釈され、批評されます。「山が立つ」「バランス」といったことばの向こうに、探究を通して追い求める川口さんの美学が見えてくる、そんなインタビューでした。

特に興味をひかれたのは、振り返りの場面です。ひとつの仕事が終わったときに、衣装そのものの良し悪しというよりも、つくるまでのプロセスがどうだったのか、自分の意図や思いがどの程度届いたのか、チームの個性が舞台にどう反映されたのかを振り返っています。川口さんは気づいた課題やもっとこうしたいという思いを見つめ、次の舞台へとつなげています。自分自身を俯瞰すること(メタ認知)を強く意識して試行錯誤を積み重ねる姿は、探究的な学びを繰り返しながら学び続ける、学習者の姿でもあります。 そして、実は、企業で商品を企画・提案する人、開発する人、営業・販売する人、公務員としてさまざまな施策を企画・実行する人など、多くの方が仕事のなかでこのような探究的な学びをされているのだろうと思います。

お二人へのインタビューを通して気づかされたことがあります。探究には学ぶ楽しさの本質が凝縮されているということです。新たな課題に出会うワクワク感、わからない、伝わらないもどかしさ、自分の考えが「見えた」ときのスッキリ感、つくりあげた満足感と次をもう考えてウズウズする気持ち。探究をそれらしいルーチンで終わらせることなく、こうした「学びに向かう態度」を生徒たちの内面に耕していくために、教師に、学校にできることは何か。これもまた、探究しがいのある課題だと思います。

※世の中のさまざまな事象を情報とその結びつきとして捉え、 情報及び情報技術を活用して問題を発見・解決したり、自分の考えを形成したりする資質・能力。次期学習指導要領では、すべての学習の基盤となる資質・能力として、言語能力とともに情報活用能力が位置づけられている。

クールソーの「ガイドされた探求」

※事業報告書『CoReCa2016-2017』(2017年8月発行)に掲載。所属・肩書きは掲載時のもの。